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2005年04月25日

けっこうビックリした

 初めてアクセス数を確認してみたのだが結構多いな…mixiに公開したのが効いているのだろうけどこの日記を読んで面白いと思う人もあまりいないだろう。まあ完全に自分の気持ちの整理、考え方をまとめるために書いているようなもんだからね。これで読んでくれるならありがたいってもんですよ、マジで♪
 ということで定期的に読んでくれている方、本当にどうもありがとうございます。今後もご購読宜しくお願いします。
posted by mi corazon como el pacifico at 13:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もうそろそろ3月の日記を処理しなければ…(3月13日〜21日)

 3月13日日曜日
  シェラに女帝君臨??!!
 実は昨日オレと同じ市であるシェラに住んでいる同僚の林さんから電話がありJICA専門家の工藤さんがもうこちらにいらしていることを知った。そして今日いっしょに夕食をどうですか?ということだった。当の林さんは体調を崩して来れないそうだ。ということはオレと工藤さんの一騎打ち?!と思っていざ彼女の家に着いたらなんと運転手もいっしょにお食事をするらしい。しかも通訳も後から来るそうだ。
 彼女のいいなぁーと思ったところは運転手や通訳などの違った立場の人とも交流をするところだ。たいていJICAや大使館の運転手その他は決められた仕事をこなし深入りはしないのが常識となっている。昼食や夕食もみんなとはいっしょに食べない。これは普通のことなのかもしれないがオレはあまり好きではない。やっぱ誰でも例外なく仲良くならないとね。オレの身分は少なくともそれができる。そして彼女も運転手らと仲良くやっている地位が上の人にしては珍しいパターン。
 さて、彼女の新居に着くとまずは料理を手伝わされた。すしにてんぷら、まさに日本食である。オレは料理補助みたいなことしかしていないから肝心なところはすべて彼女がやった。まあ、当たり前ですね。
 少し時間が経つと通訳も到着して全員集合。料理も同じぐらいの時間にできてちょうどよかった。乾杯をしながらスペイン語、英語が飛び交う。オレはどちらかと言えば運転手のほうと仲良くしていたかもしれない。メシはうまかったしなかなか面白い話もできたのでよかったかもしれん。しかし彼女がシェラに来てしまったということはオレも好き勝手できない状態になりそうだ…トホホ。

 3月13日月曜日
  ところかわればなんとやら♪
 今までシェラの先住民支援NGOであるCEDEPEMといってきた有機農業技術援助プロジェクトは2段階を迎えた。今まではシェラ県東部からトトニカパン西部県にかけての開発が主だったが今度はシェラ県北西部がメインとなる。よって言語もキチェ語からマム語に変化しいっしょに働く人の性格や文化も変わってくるだろう。
 本日の目的地はCajolaである。着いてみるとなかなか雰囲気のいいグループだった。何人か他の集落のグループが来なかったからかもしれないがフレンドリーではあった。しかし仕事をしてみるとこれもまた問題。無駄話ばっかりしていてあまり聞いていない。そんなわけでちょっと今日は脅しをやってみました。「今日だけなんだからちょっとぐらい集中して聞いてください。でなきゃオレはここで話している意味がないので帰ります」。なんて言ってみたらさすがにビックリしたようで少しは静かになった。もちろん30分もしたら元に戻ったけどさ(笑)。ただ機材、材料等はまあまあ揃っていたので(またもや土は用意してくれなかった)作業のほうは順調に進めることができた。
 ここまで見てきた様々なグループはまさに三者三様という感じ。結局はグループの雰囲気、グループの結束、CEDEPEMとの関係といっしょに働いている年数、そのグループが求めているモノ、などの理由で本当に全く違った環境のグループが出来上がる。もちろん同じグループがあったらそりゃおかしいんだけどさ。これらをどうやってうまく先導していくか…これが難しい。

 3月15日火曜日
  怒りは無謀に始まり後悔に終わる
 なんていうけど今日は本当にそんな感じだった。CEDEPEMのプロジェクトはいつもオフィスに8時集合というクセに出発はたいてい8時半から9時半の間。よっていつも待たされる。もういい加減にそれはイヤになってきたので今日はあえて遅れていくことにした。そうしたらなんとあっちから電話がかかってきた。オフィスまでは近いので5分後そちらに着いた。すぐに車に乗って現地に向かう。
 車の中でEmilioが遅刻だ、オレ達は遅れている、ということをことさらに強調する。「オレが遅かったらこうなったんだ」言わんばかりの態度だ。それを連呼するのでさすがのオレもキレかけた。そして彼の返事に応じるのを止めた。すると彼は「どうしたんだ?何かあったのか?」とまたしつこい。それもまたウザかったので「寝させて」といって寝たフリをしてやり過ごした。しかし気まずくなってしまった。
 結局怒ったことは何の意味もなかった。生んだのはギクシャクした関係とオレの後悔の念のみである。2500年前すでに犯していたミスを現代人は今も起こしてしまう。これじゃやっぱダメだよね。ピタゴラス師匠、すんませんでした。
 ところで今日のRancho de Tejaは前回あんまりモチベーションが高くなかったところ。それが今回もやっぱりダメだった。講習会の最後に次は日本食を作ってくれないか?といわれたけどどうしようか検討中。恐らく彼らの興味を引くには何か農業以外のことをして信用を高める必要もあるだろう。しかしそれで一発で相手の気を引くことができるだろうか?

 3月16日水曜日
  予定すべてキャンセル
 予定していた計画を全部キャンセルにされてしまった。残念だったなぁ〜と言いたいところだったけど、内心ホッした。実は最近ホントに忙しくてちょっと疲れ気味だった。しかも来週から初めてグアテマラに
友達が上陸するということでその用意もしたかった。両方をいっしょにやると本当に寝る時間がなくなるかも…と思っていたところだったのでマジで助かりました。
 ということでボランティアが観光ガイドになってグアテマラ各地の観光地を調べて予約三昧の日々だった。不運だったのは彼らが来るのはセマーナサンタ(イースター)の時期であり、日本で言えば正月のようなもの。だからバスは動かないしホテルは全部いっぱい。よってどの種類の予約もそんなに簡単にできるものではない。動き始めてから思った、「本当に仕事が中止になって助かった(笑)」。

 3月17日木曜日
  休日2日目
 今日も仕事キャンセルになっていたので農牧省に次のプロジェクトで必要な資料をゲットしにいったり、明日の空いた時間を有効利用するためにちょっとある人たちにコンタクトをとってみたりしてた。大学のほうも完全休日となり興味がある学生に自分の書いた資料を見せたりしていたけど校内はもうお祭りムード。今日か明日が最大級のお祭りになるらしい。まあ、オレは明日は予定ができたので参加せず。また来年参加させてもらいますよ。

 3月18日金曜日
  US Peace Corpsのお仕事
 明日から世界一キレイな景観を誇るといわれるグアテマラが誇る湖アティトラン湖をカヌーで一周するというとんでもないプロジェクト(いや遊びに過ぎません☆笑☆)に参加するためパナ・ハッチェルに来た。しかし理由はそれだけじゃない。昨日US peace corpsの友人であるAmandaに電話して彼女たちが立ち上げている健康省のプロジェクトを見学できることになったからだ。
 ということで朝から家を出てパナ・ハッチェルに向かう。運転手があまりにもひどい運転をしたもんで着いたのは早かったが、残念ながら命は縮みました(笑)。Amanda本人はある日の週末クラブに行ったらたまたま会ったPeace Corpsの25歳。年齢的にはオレと殆ど変わらない。Peace Corpsといえばケネディ大統領が作った青少年ボランティアの最初の制度と言えるだろう。グアテマラには230人も働いていて世界でも一番でかい規模のボランティア団体といえるだろう。
 今回のテーマは性教育だった。その中でもエイズが中心のテーマだったので興味津々だった。日本にもエイズ対策のプロジェクトは山ほどあるけどそれは他国も同じようだ。やっぱり現在もっとも恐れられている病の一つだけある。しかしグアテマラ人の協力性、プロジェクトのまとまり性など問題は多いように感じられた。正直オレは3日間の日程で最後の日しか見ることができなかったので評価を下すのは次を見てからにする必要がありそうだ。
 夜になると続々と友人達が集まってきた。7時になるとカヌーメンバー全員集合。夕食を食べながら明日の予定を立てた。3日間で70kmを漕ぐことになる。果たして簡単にできるものなのだろうか…不安ではあるが行くと決めた以上はやるしかないよね〜。でも実は楽しみだったりします。明日に期待!!!

 3月19日土曜日
  思ったより難しい…
 5時起床。ちょっと眠いが仕方ない。昨日は久しぶりに日本人と話したためちょっとはしゃぎ過ぎてしまったようだ。6時には船着場についてカヤックの品定め。オレはこいつについては全く知識がないので同僚があれこれ議論しながら選んでくれた。組み合わせを決めていよいよ出発。しかしここからが大変だった。
 動き始めてすぐに問題が発生した。なんと前に進まないのだ…。左右均等に漕いでいるのにはずなのにカヤックが左右にぶれてしまいぐるぐる回ってしまう。あまりにもうまくいかないので諦めかけたがこれから3日間で湖を一周しなければならないのだ。こんな初歩的なことで躓くわけにはいかん!!!と頑張ってみたのだが、できないものはできない。経験者の二人にいろいろアドバイスをもらったのだがやっぱりうまくいかない。
 結局1時間ほど足掻いた結果近くの浜に着陸してメンバーを変更することにした。オレはちょっと漕ぎやすいと勧められた1人乗りカヤックを使用することになった。しかし実際に乗ってみるとこれが本当に簡単。2人乗りとは雲泥の差、オレが漕いでも前に進む進む。完全に自由自在である。他の同僚に「見違えたね」と言われたけど実力的には何も変わっていないところが悲しいところ(笑)。
 4〜5時間からほど漕ぐと目的地であるサン・ペドロ・ラグーナに到着。しかしもうみんなクッタクタ。オレももちろん疲れた。しかしひどかったのは疲れではなく日焼けだった。サングラス焼けは本当にフチの部分が目立つぐらい。膝の部分がちょうど日に当たってそこはもう焼けど状態。その他全身がやばい。その中でも膝は日焼け止めを塗り忘れた部分だったので1番やられていた。
 昼ごはんはいかにも汚そうな食堂でご馳走になった。かなりまずかったのに値段が高くてちょっとみんなの機嫌が悪くなってしまった。カヤックを安全に明日まで置いておける場所がなかったのだが、ちょうどこっちでカヤックをかしているグアテマラ人と仲良くなったので彼女達にお願いをした。
 しかしそこで彼らのカヤックをみて驚き。質が違った。オレらのやつは手作りの似非カヤックだったが、こっちはちゃんと購入したヤツみたい。ポルトガル語で書いてあったからブラジルのものだろう。同僚の1人が「こいつがあればこんなに苦労することはなかったのに…」と嘆いていた。でも彼女達と仲良くなることができたので次からはこっちを使えば完璧だな。
 とは言っても今回の旅は借りてしまった以上こいつで頑張るしかない。そこで同僚の1人がカヤックを改造し始めた。それは至って簡単なモノだった。つけるものは竹の枝で直径2、3cm、長さは1mほど。それを船底にガムテープを使って垂直に固定しただけ。これで左右のブレがなくなるそうだ。これがどれだけの功を奏するかは未知数だかオレの現在の技術を考えるとこれが効いてくれないと正直困る。明日に期待しよう。

 3月20日日曜日
  思ったより長い道のりだった…
 起きたらやっぱり筋肉痛だった。しかしそれ以上に痛かったのはやっぱり日焼け。こいつだけはどうにもならん。ということで今日は日焼け止めをベッタリ塗って上着とジャージを着て漕ぐことに決定した。被害を最小限に留めるためにも致し方あるまい。オレより大変だったのは一人の同僚。なんと昨日の汚らしい食堂のメシが当たってしまったようだ。ゲリが酷くてかなり辛そうだった。なのに彼はリタイヤしないという。後に響かなければよいが…。
 カヤックのほうは昨日の改造が覿面だった。オレは昨日さっぱりダメだった2人乗りに挑戦したのだが全然簡単に前に進むことができた。本当に信じられないぐらい。しかしこれは技術が上がったわけではないですよ、確実に。
 んだが今日大変だったのは距離のほうだった。4時間ぐらい漕いだところで休憩地点のCerro de Oro(金の丘と訳せる)にて一休み。透き通った湖の浜辺で泳いだり貝、魚を探してゆっくりした。本当に水がキレイで驚きの一言。そしてカヤックで漕ぎ着いた場所なので完全なプライベートビーチ。東屋のような場所も発見したので次はここでバーベキュー&キャンプをするということで勝手に話がまとまった。
 休憩が終わってまた漕ぎ始めたのだがここからが大変だった。いくら漕いでも着かないのだ。しかも角度が悪いためゴールが見えないので余計疲れが増した。オレ的にはまだ元気だったので別に問題なかったのだが、何人かの同僚はブツブツ文句を言いながら漕いでいた。結局予定の1時を大きくオーバーして3時半に到着した。
着いたところはサンルーカス・トリマンというアティトラン湖でも端のほうにある村である。しかしよく観光客が来るので景色は比較的よく、お店も結構揃っていた。みんなで店をまわろうと思ったのだけれども、カヤックを全部ホテルに運ばなければならなかったりしたこともあり、誰もが疲れていて寝てしまった。
その夜今朝体調を崩していた同僚の調子がさらに悪化していた。下痢もゲップも酷いみたいでかなり苦しんでいた。だがそんなことは気にしないオレともう一人はよる笑い話をしながら結局3人で夜更かしをしてしまった。明日のことは心配だったがまあしょうがない。

 3月21日月曜日
  意外な最終日
 最終日も5時半には起きて用意は万全。ちょっと睡眠不足だったけどまあ運動自体は激しいものではなく腕の筋トレみたいなもんなので疲れていたとしても問題はない。しかしみんなの疲労の色は濃かった。動き始めると調子は良くなったのか良く進む。中間点のサンタカタリーナに着いたのが9時半。ゴール到達予定が1時だったのであまりの速さに驚き。もちろん距離が思ったより短かったことは否めないがそれにしてもこの3日間でみんな成長したと思う。
 サンタカタリーナでは温泉が出ているという泉を訪ねた。そこではわずかな岩の隙間から暖かいお湯が出ていた。日本人の観光客はここにスコップを持ってきて温泉につかるらしい。しかし午後から風が吹き始め波が高くなるのでせっかく作った即席温泉は水に沈んでしまうそうである。ちなみに今日はスコップがなかったので足だけつかってお終い。
 温泉は日差しが厳しかったので30分ほどで耐えられなくなり再出発。そこからはもっと速かった。1時間ほどでゴールのパナ・ハッチェルが見え、1時間半で念願のゴール!!みんな最後はさすがに疲れていたがゴールしたら笑顔笑顔。記念写真をしたとオレは試してみたいことを実際にやってみた。それは2日前にさっぱり前に進まなくてその改善のために船底に装着した竹を外して漕いでみるということである。乗ってみると驚いた。なんと簡単に前に進むではないか…。この2日間適当に漕いでいたはずなのにスキルは勝手に上昇していたようだ。不思議なもんである。
 本当にいろいろな困難や楽しみが目白押しだった3日間だったけど最高に面白かった。正直言えばこのグアテマラでこういった旅行をしたのは初めてだった。仕事以外はこれといって目新しいことをしてこなかったオレにとっていい思い出となっただろう。そしてカヌーというスポーツにも興味が持てたことはラッキーだったな♪
posted by mi corazon como el pacifico at 13:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月09日

仕事停滞期か…

 ちょっと仕事に疲れてきた。まあ来週はフルで予定が入っているからそんなこと考えている暇ないぐらい働くことになるんでしょうが…。
 もうすぐ1年になるけど、やっぱり帰ってからのことを考えてしまうところがグアテマラに対する思いの低さを象徴しているのかもしれない。
posted by mi corazon como el pacifico at 03:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

倉庫に入っていた日記(3月2日〜12日まで)

 3月2日水曜日
  奇遇な出会い

 午前中家賃を払うために家主が経営しているスペイン語学校ICAに行った。まあ隣にあるんだけどさ。そうしたら珍しく日本人が勉強していると聞いた。今までここで勉強をしていた日本人はNGO関係や中南米研究者が多かった。今回はどうかな?と思って挨拶に行くとなんと国際協力銀行の方だった。
 しかも驚いたのは「オレの仕事をみたい!!」とのこと。正直、こういったJBIC(国際協力銀行)のような機関は裏方のお仕事であまり国際協力の現場を見られないことが多い。だからウチの大学のクソ文化無償プロジェクトみたいなことが起こるわけなんだけどさ。そんなわけで彼が興味を示してくれたことはありがたかった。もちろんオレの仕事がそれに値するかどうかは全く気にしてない、またはしないことにした(笑)。
 今日は大学でバイオガス・生物肥料の講義で発表をすることになっていたのでそれを見せた。自分としてはあまりうまくいった講義ではなかったのだが、あまり時間がなかったこと、途中でプロジェクターが動かなくなったりとトラブルが…まあしょうがない。それでも彼はこの仕事をみるのが初めてだったからだと思うが感心してくれたようだった。
 オレ自身もJBICとかそういった関係者に会って話をしたのは初めてだったのでなかなか参考になる部分が大きかった。JICAとJBICは仲が悪いという噂もよく聞く。でもこの2つの連携なしでは日本の国際協力はダメでしょ、恐らく。今のオレの身分ではこの問題はどうにもならないけどこういった活動を目で見せていくことによって関係が修復していけばいいな。


 3月4日木曜日
  吹っ切れました

 今日はとても大切な出来事があった。大学の農場を管理している野菜、昆虫学のロニー教授がいる。彼は昔ICTAで研究をしており、アメリカでもマスターを取っているため結構期待していた人物である。また大学の圃場のすべての実験を握っているということで彼とうまくやれればいろいろできるのではないだろうか?とずっと模索を続けてきた。そして本日やっと彼との話し合いに漕ぎ着けることができたのだが結果はやっぱりダメだった。「忙しい」「金がない」「土地は使ってもいいけど手伝わない」が返答だった。
 しかし正直なところホッとした。とにかく彼と話すのは疲れる。まずオレに金しか求めてこない。次に態度が悪い。これはオレが苦手なだけかと思っていたけど、グアテマラ人もそう思っていることが最近判明した。そしていつも話をするのだがちゃんとした返答が得られていなかった。それが今日しっかり「無理」と言ってもらえたので胸の中にあったしこりが取れたという感じ。
 とはいっても一つの進路が絶たれたということ。こちらは問題である。しかし彼が農場を使うことは許してくれた。これによってなんとか他の先生が興味を示してくれれば進められるプロジェクトも出てくるだろう。この結論に達するまで結構時間がかかってしまった。これが遅いのか?早いのか?わからないけれども1日を無駄にせず頑張るしかない。


 3月5日金曜日
  週末へ

 またもや登山が中止。中米最高峰で富士山より高いといわれているタフムルコ。2回目の計画もまたオジャン。しかし土曜登頂で日曜強行勤務を考えていたオレとしてはまあ助かったかな?という気持ちと半分半分。次の登頂はかなり先のことになるだろう。でも富士山越えはしておきたい。
 さて、今日はシェラの先住民支援をしているCEDEPEMでミーティング。このNGOでも大学の卒業論文の代わりであるEPSを行っている学生がいる。今日は彼と研究テーマをどうするか話し合った。もう彼は地元である隣のソロラ県で働き始めている。彼が果たして将来グアテマラの農業に貢献してくれるか、それとも個人の利益に走るか?それは今のオレにはわからない。でもそれを信じて教えていくしか方法はない。
 夜久しぶりにサルサを踊りにココロコなるClubへ行った。そしたらUS Peace Coops.の人に会った。どうやら大使館、JICA関係者立ち入り禁止のキチェ県で働いているようだ。オレも17日から今年から一部立ち入り解除となったところへ働きに行く予定だったので興味深く話し込んでしまった。しかしそいつがまたとても面白いヤツで話が合ったというのもあるのだろう。やっぱりアメリカ人でこんなところで2年半も暮らしたいと思う輩はロクな人間ではないということだ。つまりオレとは性格がバッチリ合うということ(笑)。チチェ県でも会うことを約束して別れた。


 3月5日土曜日
  まさに休日…とはいかなかった

 登山が中止になったため久しぶりの充電日、と思ったらそうはいかない。昨夜嬉しい電話がかかってきた。現大統領の一等書記官を勤めていたカルロス・ヴィジャグラン経済学部長(サン・カルロス大学西部校)がいっしょに朝食をとりたいと誘ってきた。彼のようなやり手とご飯がいっしょに食べられることはまずないので二つ返事の承諾。
 朝食の場所はAlbamarというレストランでシェラには3店舗もある所謂お金持ちが行くようなところだ。まあ値段は中級レストランぐらいかな?しっかり時間通りに来てくれてやっぱり上級幹部クラスなだけある。今日は大学での現状と彼のプロジェクトについて話し合っていた。彼がどれほどの男かは正直いっしょに仕事をしてみなければわからないことだけどまずは話し合ってみる価値はありそうだ。結局、セマーナサンタ(イースター)の週にもう一度首都で会うことを約束して別れた。
 ここにいて一番面白いと思うこと。農村のおじさんやおばさんと話したり、お食事をご馳走になったりできること。その反面、大統領にあったり、農牧省の頭と話ができたり、とんでもない人物と簡単に仲良くなることができる。日本でどんなに頑張ってもお偉いさんと仲良くなるのは結構難しいし利益が絡むことが多い。しかしここはそうでない付き合いができる。貧乏人や田舎でご飯を食べたってなんら問題はない。だからこそこの仕事って辞められないんじゃーないでしょうか?


 3月6日日曜日
  日曜出勤

 またもや日曜出勤。今日は隣のトトニカパン県に行った。学生が有機農法を教えてほしいとお願いしてきたからだ。こういったお願いにはやっぱり断れない。やっぱ未来のある人が頼んできたらね〜。そのためにここに来ているわけですから。
 さて、着いてみるとやっぱり機材、材料が揃っていない。いつも困るのは土を用意してくれないこと。どこにでもあるからその日に用意すればいいとでも思っているのだろうか?土は山か森でとってきた赤土、黒土と決まっている。なぜなら他の病気や微生物の偏りがないからだ。もし一度畑で使用した土の場合は栄養素や微生物層に偏りが生じており、有機肥料を作る材料としては適さない。しかし用意してくれなかった以上しかたない。
 そんなわけでいつもどーり??3時間ほど遅れて作業等が始まり終わったのは3時近く。結構はやく帰れると思っていたのに…残念ですよ本当に。早く家に戻って他の仕事をしたかったのにさ…。


 3月7日月曜日
  反響

 どうやら今まで行ってきた活動の影響がどんどん出てきているようだ。今日ある学生にかしていたオレの資料を返してもらったらすぐ、他の学生がその資料をほしいと言ってきたのでまた貸してしまった。他にもあれをやってほしい、とかウチの畑に来てくれ!!等の要望が本当に多くなってきた。実はパンクする寸前である。
 しかし同時にアイデアも思い浮かんだ。これだけの要望があるのだったら農学部に掛け合ってクラスを作ってもらうこともできるのではないだろうか?そう考えるとやっぱり大学を通して今まで仕事をしておくべきだったと本当に悔やまれる。そしたら需要は一目瞭然でありもっと先生方も興味を持ってくれただろう。
一つ失敗したことだ。でも修正は可能。手遅れなんて存在しないのがグアテマラ。Never give upで行かないとね!!!


3月8日火曜日
 久々にゆっくりの平日

久しぶりに何もない午前中だったので洗濯物を干したり、ホームページの更新(大半が日記なのだが…)の整理に追われていた。午後はシェラの先住民支援をしているCEDEPEMでミーティングだった。
カレーを作った。やっぱ日本は忘れられないっすね。あそこで仕事をしたいとは思わないけど友達とは楽しみたいと思う。しかし海外でこうやって働くことは非常に魅力的な仕事であり捨てがたい。オレの将来はどーなるんだろうか…。


3月9日水曜日
 オレはナニ人?

今日はシェラで仲良くしていたUS. Peace CorpsのKytrynのお別れ会だった。彼女とはアパートがいっしょだったため国際協力に関する意見交換をする場面が多かった。そしてたまにはいっしょに踊りに行ったり飲んだりといろいろお世話にもなった。
パーティーにはいろいろな外国人が来ていた。オレの知っている人とそうでない人がいて半々ぐらい?しかしここからがおかしかった。今までこういったパーティーいつもすごく楽しめていた。でも今回に限っては正直あまり楽しめなかった。というよりいづらい雰囲気を感じてしまったのだ。これはパーティーが終わるまで続き、そのあとクラブに行っても同じことだった。
 あえてこの勉強を分析させてもらうと、自分はどんどん中途半端な立場に身を置く状態に突き進んでいるということである。もう海外を回った時点でオレは普通の日本人ではなくなった。そしてグアテマラに来て西洋人でもなくなった。かと言ってグアテマラ人にもなりきれない。完全なハンパ者である。考えすぎなのかもしれないが、何人でもない自分が出来上がってきてることだけは確かだ。この状態をどうするか?放置するか?どちらかに偏るか?それともどれにでも対応できるように頑張るか…オレはいったい何人になってしまったのだろう……。


 3月10日木曜日
  住民のモチベーションとグループの雰囲気

 今週からシェラの先住民支援をしているNGOであるCEDEPEMとの新しいプロジェクトが始まった。やってることは有機農業普及ということで同じことなんだけど支援地域が違うということ。前回はシェラ県の東部から隣のトトニカパン県にかけて。今回はシェラ北部に限られている。同じ県内だから同じジャン?って思う方もおられるかもしれないけど実は全然違う。その違いを鮮明にしているのは言語の違い。そうグアテマラには未だに24言語が話されており、ここケツァルテナンゴ(シェラ)県も例外なく2つの言葉が話されている。北部、北西部はマム語、東部、東南部はキチェ語である。そういったことからも全く違った文化を両面から感じることができるわけである。
 ブエナビスタなんていう聞いたことあるような名前の村であったが、景色はあまりよくない(笑)おっとスペイン語わからなかったら意味わからないっすよね、すんません。今日集まった住民グループは全部で30人ぐらい。結構驚いたのは材料がすっごくたくさんあったこと。今まではいつも材料不足というより用意をしっかりしてくれていないこともありいつも何か材料が欠けていた。今回は灰はアホみたいにあるし家畜糞も4種類あった。連絡不足だったためバイオ肥料の材料が揃っていなかったがけっこう驚いたことには変わりない。
 講習会自体は順調に進み3時ころには終わることができた。しかしやっぱり印象的だったことは彼らのやる気とグループの構成でしょう。これを話す前に説明すべきことが一つある。グアテマラの人種は主に2つ分けられている。本当はもっとたくさんあるのだがこの2つが大きな違いと意味をもっているからである。1つは人口の60%を占めるのに全くといって政治的、経済的に権力を持てないグアテマラ原住民の総称「インディヘナ」、2つ目はその原住民との混血である「ラディーノ」である。この2つはスペインのグアテマラ植民地化以来敵対を続けてきた。近年終了した36年間の内戦にも巻き込まれて、未だに彼ら同士の仲がよくなる気配はあまりない。それは政治的、経済的な環境だけでなく田舎でも同じことであり自分が見たグループや集落でラディーノとインディヘナがいっしょに活動しているところを2回しかみたことがない。
 その1回が今日だった。彼らは仲も良く、発言もしていた(インディヘナは少し少なかったかも)。でもお互い認め合っているグループであったように感じた。前回隣のサン・マルコス県同様にミックスしたグループを見たときはやはり雰囲気が非常によかったのが印象的だった。


 3月11日金曜日
  先輩になってしまったようだ

 今日のCEDEPEMとの活動にオレの後輩にあたる(年齢的には違いますが)協力隊員2人が自分の仕事に興味を持ってくれたようで見学に来た。実は自分も最初は他の日本人の活動を見てとても勉強になったこともあり、その恩返しの意味もあって快く引き受けた。もちろんそのオレの活動が人に見せられるほど素晴らしいものか?という点に関してはコメントを控えさせていただく(笑)。
 そう、本日の活動は1ヶ月前に行ったシェラ県の村落Xeajである。前回は2種類の肥料を作ったのでそれが今日はもう出来上がっているはずである。着いてすぐに調べてみる。片方の肥料は大丈夫なようだ。しかしもう片方は…ダメだったようだ。ダメだったバイオ肥料はしっかり密閉しなければならなかったのだが不完全だった模様。まあ、使えないわけではないので諦めるしかあるまい。
 しかし一つ完成した肥料を使って施肥の講義は行った。そのときビックリしたのはビニールハウスのトマトだった。植え方がひどい。苗と苗の間隔が狭すぎる。誰がこんなことをやったのか?と思い聞くとCEDEPEMの農業技術者だという。ありえね〜、と思ってしまった。とりあえずオレにこいつを移植する権利はないので放っておいたけど技術力の低さを改めて実感。だってそんなこと本を読んで改めて確認をするだけで防げることのはずなのだが。苗を植える間隔なんていちいち暗記するような項目でもないし。
 ところでお客さんである2人は結構楽しんでくれたようだった。この村はCEDEPEMの中でも一番やる気がないように感じられるグループの一つであり、今日はそれをわざと見せた。これで何を感じとるか?は彼ら次第である。開発の形はいろいろありオレが当たっている間違っているという断定を今はできない。5年、10年経ってようやくその兆候が表れてくるものだろう。よって彼らは彼らのやり方で活動をしてくれればそれでいいと思う。僕らは専門家じゃないのだから失敗することも重要。中にはヒドイ専門家もいるんだけどさ。おっと、それについては今日話すことじゃないよね。


 3月12日土曜日
  既存の農業技術者のナゾを探る

 先週に専門家5人がきたJICAのミッション会議に参加した際、彼らに「既存の農業改良普及施設みたいなものはないか?」と聞かれた。そのことに興味を持っていたオレは昨日いっしょに講習会を開いて、通訳までこなしてくれたサントス氏にいろいろ質問をしてみた。
 彼はCEDEPEMのpromotorと呼ばれる人たちの一人であり、promotorとは指導者とかそんな意味になる。つまり農業指導者というのが正しいだろう。彼の話によるとこういった人たちが昔は120人CEDEPEMにいたのだが現在はもうほとんどいないらしい。彼らがどうなってしまったのかオレにはわからない事実なのだが、彼自身は地元で農業をしながらこの職を続けているようだ。過去に農業や自然薬草の施設で働いていたそうだが、そういった経験が部分部分で活かされていることは間違いない。現に昨日の彼が住民に教えていた内容は自然薬の作り方だった。このナゾは自分も解明したい内容であり、これからもしつこく調べていきたい。
posted by mi corazon como el pacifico at 03:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月07日

あと一息なのですが…

更新は遅れていますが仕事は大変。あと一つお話が進めばうまく行く可能性が出てくるだろうな…。
posted by mi corazon como el pacifico at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

たまった日記を大放出の第4弾(2月20日〜3月1日まで)

2月20日日曜日
 美術の成績1だった人が…。
昨日に引き続きペンキ塗り。12時までしか3輪自転車を置いているオフィスが使えなかったため、ちょっと頑張った。おかげさまで12時ちょっと過ぎぐらいには完成。できはどうだか知らないがとりあえず終わった。城下さんもオレの力量では不満があったかもしれないが、まあ大目に見て下さい(笑)。
昼食後遅くならないうちにシェラに帰ることにした。これで城下さんとは2ヶ月は会えまい。次に会うときは彼の今後も決まっているということ。それもこれも含めて楽しみだ。もちろん自分もそれまでしっかり頑張らないとね。
 バスは混んでいたけど早いうちからいい席をゲットできた。2、3回コックリ眠りについてしまったけどあとは考え事をしていた。あと1年と2ヶ月。どうやって有効に使っていったらいいかな。いつもボーっとしたり、サボったりでせっかくグアテマラに来た意味がない。2年という期間すべてを集中させるのは本当に難しい。これができてこそここに来た意味があるってもんだ。頑張ろう、一生の課題、ここで克服したい。

 2月21日月曜日
  文化紹介 @ ウチの配属先
 今日から3日間、日本大使館がうちに来て日本文化紹介と文化無償の受け渡し式をする。オレは大使館から頼まれた仕事をすべて引き受けてしまった。まあうちの大学に来て文化紹介を行うというのにオレがいなかったらそりゃマズいよね。ただ考えてみれば日本文化を彼らに知ってもらうにはいい機会だと思う。だってどこ歩いても中国人と言われるからなオレたち(笑)。
午後一番にこちらについたのが文化関係担当の横井さん。グアテマラに住んで長いのだろう。スペイン語の発音はイマイチだが文法や単語は相当知っている感じ。今日はウチの大学だけでなく私立ランディバル大学も文化紹介の用意をしなければならなく横井さんはそちらに行くということでセッティング等はすべてオレの役目に…。
こーゆーインテリアの才能が試されるような状況でオレはどーしたらいいのだ。と迷っている暇はない。とにかく渡された荷物を片っ端から開けてとにかくセッティングしてみる。2時間ぐらい経つとやっとそれっぽい感じのイメージになった。これで少しは日本っぽい部屋になったのではないだろうか。
それが終わったら今度は映画上映の準備。こちらはせっかく映像機材を一式日本が援助したというのに16ミリを使用。古いというのもあるがどこでも上映ができるように旧式を使っているのだろう。他のグアテマラ人にさんざんつっこまれたがいちいちその旨説明してあげた。
映画上演30分前ぐらいからたくさん学生が来た。どうやらしっかり宣伝してくれていたようだ。どうなるか?と思っていたがまさかこんなにたくさんとは…。しかし映画が贈れて始まったこともあり9時になったところで一気にみんなが帰りだした。ちょっと残念、もっと早く始めておく必要があった。最後は学生が2人ぐらい「よかったよ」と声をかけてくれた。ちょっとした映画おじさんのような気分になってしまった。16ミリもちょっとアンティークな感じがしてよかったなぁ。

2月22日火曜日
 なぜか接待されて…
今日はもっと忙しかった。文化紹介の用事の前に昨日誘われた知事とのお食事会があったのだ。12時に県庁に向かうといましたいました、彼女が知事か、見た目は完全にインディヘナ(原住民)こんな人が政治家をやれているということに驚いた。虐げられてノーベル平和賞のリゴベルタ・メンチュウ以外はそんな人物はいないのかと思っていた。
いっしょに話をすると思った以上にすばらしい人物だった。そしてオレを誘ってくれた男、彼が現大統領、オスカル・ベルシェの一等書記官だった男だ。現政権には加わらず経済学部長とケツァルテナンゴ議員を続ける道を選んだ。もちろんこうした道を選んだ理由はあるのだろう。わざわざ大統領の誘いを断ったわけだから…。正直今日は彼らとの関係を築くことができてよかった。これからオレの活動をもっと大きくするにはこういった人物の力が確実に必要となってくるだろう。
その後彼と大学に戻り、さっさと大使が来るまでに引渡し式の準備。板垣一等書記官もやってきた。彼も中南米20年の男、奥さんはコロンビア人でこれがまたやり手な顔をしている。板垣さんはふらふらしてそうに見えるけど、眼光がするどい。うーん、恐い人物だ。いつも外務省の連中、研究者というのは侮れない。一言、一行動が命取りになる。それはこのグアテマラで嫌というほど感じたことだ。
大使が到着して引渡し式も30分ほど遅れて始まった。式で始めて大学長に会うことができた。いつもはどこにいるのだろうか?さっぱり会えたためしがない。式典は無事に終わりあとは映画上映のみ。板垣さんも大使もお食事会に消えていった。面白かったのはこれから。なんと昨日立ち見席がでた満員の映画鑑賞会。今夜はたったの30人程度。やっぱり宣伝をしないとここまで少ないのか…ちょっとガッカリ。

2月23日水曜日
 突然の電話
今日がやっとこさ最終日。午前中はなんと栃木県の自治医科大学でドクターを取ったグアテマラ人の「日本の教育について」というプレゼンテーション。なんと話は日本の戦国時代から始まって江戸時代の寺子屋の話なんかもしてたよ、こいつ。なんでこんなに知っているのかな?と思ったけど後で板垣一等書記官に聞いてみたら「実は練習したんだ」とのこと。やっぱりね、こんなに詳しいこと3年間病院の研究室にいたらわかるわけないでしょう、よほどの物好きではない限り(笑)。
しかしそのカルロスという男。とにかく日本語がうまい。もちろん3年間いたんだからできるのが当たり前じゃない?って人もいるかもしれない。しかし、実はそんなに簡単なモンじゃないっすよ、本当に。特にドクターで来た人は教授がほとんど英語を使うためあまり日本語に触れられないケースが多い。うちの大学でもよくそういった人を見かけた。残念だけどね、そんなに長くいるのに一言も話せずに帰っていくのは…。
午後はカルロスや大使館関係者はすべて帰った。最後に仕事が残っているにもかかわらずオレに任せて…まあ別にいいんだけどさ。やっぱ大使館だなぁーと思ってしまった。午後の映画は昨日よりは人が来たけどそれほどじゃない。50人前後だろうか。もし初日のような人の入り具合だったらこれからも続けていいかと思ったけど、この2日間の客の入りじゃーもうダメだね。2度とやらんよ(笑)。
さて夜のこと、急に知らない女から電話が来た。なんだ〜と思ったらいきなり「私の彼氏にならない?」「私はスタイルがよくて、性格も最高よ」のようなことを並べ立ててきた。はじめはウケたので面白半分に答えてあげていたけど、どうしてオレの住所を知っていたのか?等の疑問が後からわいてきて気持ち悪いので切ってしまった。悪いことをしたかなぁ〜と思ったけどやっぱ変だよね?

2月24日木曜日
 もう一つのサン・カルロス大学 in Mazatenango
けっこう期待しているマサテナンゴのサン・カルロス大学で授業をしてきた。明日の農業実習の前に概要を説明したかったからである。ここの大学にはけっこう期待している。なぜなら先生方のやる気があるからだ。どっかのクソ配属先と違って(笑)。
オレが講義を始めるころには多くの人がやってきた。立ち見もでたぐらいだ。どのくらい理解してくれたかはわからないけどまあ盛況だったことはいいことだ。明日どのくらいの人数が集まってくれるのか全くわからないけど楽しみではある。マサテナンゴの教授陣はオレの配属先であるシェラの教授陣とはちょっと雰囲気が違う感じがする。どちらがよくてどちらが悪いとかいうのではない。
ちょっと話は変わるが最近本当にプレゼンテーションするときの緊張がなくなってしまった。あまりにも人前で話すことが多すぎるせいだろうか?嬉しいことなのだが昔うまく自分の言いたいことが言えなかった時代が懐かしいぐらいだ。やっぱり本当に伝えたいこと、納得させたいこと、成し遂げたいことがあるときってのは緊張なんてモノはなくなるわけだな、拙いスペイン語のはずなのになぁ〜、不思議なもんだ。

2月25日金曜日
 やっぱりここもグアテマラスタイルだった
早起きした。6時かな?昨夜もレイナルドの家に泊めさせていただいた。彼の家に泊まるのも5回目かな。やっぱり仲良くなってきた。彼とはなんとなく気があう。海外経験が長いからだろうか?30代というのも関係しているかな?
朝食を食べた後がまずかった。まず大学に行って車を取りに行く。大学の圃場までは10 kmぐらいは離れている。しかし車がバッテリー切れ。しょうがないので実習に参加する学生のオヤジの車をかりて走る。少し走ると今度は渋滞。一向に解消することなく予定の時間より大きく遅れる。結局50分遅刻、恐らく帰ってしまった参加者もいるだろう。ちょっと残念。さらに困ったことは全くお願いしたものを用意してくれていない。手に入らなかったのはまだしょうがないことだが山土ぐらいは手に入れて来いといいたかった。ちょっと車を走らせて森の土を取ってくるだけなのだから…。
正直ちょっと失望してしまった。マサテナンゴならなんとかやってくれるだろうという淡い期待ををしていたオレにとってはちょっと裏切られた感じ。もちろん100%信用していたわけではなかったので最大級の失望とは言いがたいがやっぱりグアテマラはどこの機関もいい加減であることはよくわかった。これからはしっかりと監視しながら活動しなければ!!!
多少失望して帰ってしまった人もいたが学生は残ったようで彼らと予定通りに実習をこなした。なんとか機材も揃ってしっかりとした内容のあるモノにはなった。グアテマラの面白いことはどんなにヒドイ状態だったとしても最後にはそれなりの形になってくれるところだ。これは日本にはないことだ、というより今回のケースが日本だったとしたら、みんなが帰ってしまったり講習代を返金しろ〜ってことになるでしょう。もちろん今日は帰ってしまった人もいたが全員ではない。4分の3は残った。やっぱグアテマラはおもしれーと思う瞬間かもしれない。

2月26日土曜日
 なんか胡散臭い連中
兼ねてお願いされていた炭焼きをこの休日を利用してやってきました。いわゆる土日勤務というヤツです。オレの地元であるシェラ県のとある労働組合なのだがお願いしてきた男はアンドレスという。会って話をしていたがかなり強欲な男に見える。こういった労協は非常に頑張って働くし用意もいいので教えるこっちとしてはやりやすい。その代わり欲丸出しな感じでこれがまたなんとも…。
しかし今回はオレ自身も久しぶりの炭焼きだったし練習にはなるかな?と思って気持ちを切り替えて頑張りました。実はオレ一人でやって成功したのは1回しかなかったので今回はなんとしても成功させたかった。恰好の練習材料である、おっとそんなこといっちゃダメか。こうやって日曜日もしっかり働いてくれるグアテマラ人なんてそうはいないんだからしっかり貢献しないと。
とは思ってもやっぱり体がウソをつけない。「もっと彼らを利用して何かやってやろう」とか考えればいいのだが、なんとなくそんな気も起こらない。こりゃ困ったモンだ。しかもそんなときに限って炭焼きのほうは大成功。副産物である木酢液のほうもバッチリ取れそうな感じ。やっぱ人生ってこんなもんじゃない?
今日はこれでお終い。明日は結果を待つだけ。この前は途中で火が消えてしまったけど今回はさすがに大丈夫そう。とは思いながらも少し不安。まずは明日を待とう。
家に帰ってから最近踊っていないと思ったのでイキツケの店に遊びに行こうと思ったけど諦めた。とにかく疲れすぎのようだ。

2月27日日曜日
 床屋に行ったら子供にてきとーに髪を切られて…
今日も午前中は炭焼きのお仕事。思ったとーり朝来てみると問題なし。煙突の煙もしっかりと青に変わり問題なし。木酢液はなんと7Lも取れた。これはオレのなかでも最高新記録ではないだろうか。やっぱりこんなときに限っていいことが起こるものだ。本当は喜ばなければならないのだろうがそれがどーも。もちろん成功したこと自体は自信にはつながりましたが。終わった後に昼飯もご馳走になったのですがやっぱり彼らをあまり好きになることができなかった。こういうこともあるんだなぁ…。
終わって時間があったのでずっと切りたかった髪を処理しに行くことに。しかしどこも開いていない。日曜日だけど床屋ぐらいあいていればいーのに…。と思ったら開いているお店が。入ってみるとなんと切るのは子供だった。こっからオレと彼の格闘。まず彼はオレの髪にクシが入らないという。ええええ?オレそんなに剛毛じゃないって!!と思ったけどそのままはさみが入らないことを理由にバリカンでどんどんやり始めた。もちろんメチャクチャに切るもんだからオレも読みかけの新聞を読むのを止めて彼を注視しなければならなかった。
結局かなりヒドイ髪型になってしまったが、まあしょうがない。オレの場合はどんなふうに切られてもある程度修正がきく。ちょっとスキバサミで手入れして終了。ともかく短くなったことを喜ぶことにしよう(笑)。
帰り際なんとなくイギリスにいたときのことを思い出した。あの時は1ヶ月しかいなかったから毎日が勝負だった。多少寝不足や疲れは気にせずに飲みに出かけたり踊ったり。それでも次の日は朝早く英語の授業に出ていた。休日だって一日たりともムダにしなかった。そう考えると今は本当に無碍に時が流れている。あのときのような気合や勇気はそう簡単に湧いてこない。もちろん今回は2年という長いスパン、でもそれはやっぱり言い訳にしかなっていない。1日1秒を全力で過ごすのがオレの目標だったはず。アメリカ、イギリス、ドイツにいたときのオレにもう一度戻ってみよう。

2月28日月曜日
 ダブルブッキング
2月も最後の日になった。本当に時が過ぎるのが早すぎる。友達の日記で「外国で働き始めてから1年になる」という内容の文を読んだとき思わずハっとしてしまった。そう、1年経ってしまうのだ。思えばいろいろあったかもしれないが日本にいるときの10倍ぐらいの早さだ。この勢いで行けば気が付いたときは死んでいるかもしれん(笑)。
さて、今日はシェラの原住民支援をしているNGO、CEDEPEMとの仕事。朝8時に来てみるととんでもない話になっていた。どうやらオレは今日1日で二つの地域を回り講習会を開かなければならないらしい。日本だったらどうにかなるかもしれないけど、ここグアテマラはいつも用意が足りない。どんなにお願いをしたとしてもだいたい3つぐらい材料が足りなかったり器具が足りなかったりする。だから4時間で終わるはずの講習会は確実に7時間ほどかかる。
しかし頼まれたからにはやるしかない。しかしこうなったことにはもう一つ理由があった。やはり日本人が講習会に参加するということに意義があるらしい。だから顔を出すだけでよいので来てほしいのである。面白い話だ。もちろんオレが顔だけで済ますわけがないのですがね(笑)。
今日の最初の行き先はChichaclan。隣のトトニカパン県少し行ったところにある。着いてみて驚いたのは住民達のやる気である。これまで2つほど同様に集落で講習会を開いたのでなんとなく反応が悪いことは覚悟していた。しかしここのグループは笑顔が絶えずしかも質問もすごく活発、そしてとにかくよく動く。今までの村落があまりにも静かだったのでそれが当然だと思っていたオレとしては正直驚いた。
でもそういうときに限ってオレは彼らといっしょに最後までいることができない。半分ぐらい説明したところでCEDEPEMでもっとも信用している農業技術者、エミリオに仕事任せてもう一つの集落、Nimasacへ移動することになった。ついてねーな…(笑)。もう片方の集落はどうだったか?まあ初めの2つよりはマシだったかもしれないがChichaclanほどの笑顔もなければやる気もみられなかった。
今日の仕事を総括すれば、まず無事に2つの地域で講習が達成できたこと。これはエミリオ氏がいなければできなかったこと。でも反対にいえばあっちが頑張って動いてくれたのはとてもありがたかった。やっぱりいずれはヒトリ立ちしなければならない。今回のケースは無理やりでもそうしなければならない状態になった。災い転じて福となす、となったことには感謝しなきゃならんな。

 3月1日火曜日
  小さなこと、大きなこと
 午前中は国連ボランティアの2人と行っているプロジェクトで必要な土壌分析を行う場所の調査に行った。着いたところはケツァルテナンゴの分析施設である。聞いていた通りの財政難であり、機材も少なく分析できる項目も本当に主要なものだけだった。また分析に使う試薬等はすべて自分達で購入しなければならずちょっと一介のNGOがその資金を出せるのか?といえば厳しい。これについては他の方法も検討していたのでそちらに当たってみる必要がありそうだ。
 午後はICTA、農牧省試験場へ行ってきた。現在オレはNGOや諸機関といっている有機発酵肥料の普及で忙しい。しかしこの肥料の証拠となる実験データも必要である。そしてそのデータを持ってより大きな会議に参加し、その有効性を知らしめるのも本当に必要なことの一つであるといえる。ICTAでこのデータを示すことができればグアテマラ全体の興味を引き出すことも可能となるだろう。
 こういった仕事は大きなこと、農村での普及は小さなこと、両方必要だ。本当は他にそういうことをやってくる人がいればいいのだけれど、そうはいかないよね…そこが問題なのですが。まあ、両方をやらせてもらっているおかげで見えてきたものもあるんだけどさ。コツコツと頑張るしかないわな♪
posted by mi corazon como el pacifico at 22:28| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月01日

またもや一気に投稿しました。

 すんません。でも時間がないからこれしか方法がない(笑)。

最近ウイルス性の炎症にかかり抗生物質の積極投与に踏み切りました。副作用がひどいのが困るな、マジで。やっぱ日本の薬が日本人には一番合うみたいだよ♪
posted by mi corazon como el pacifico at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

たまった日記を大放出の第二弾(2月13日〜19日まで)

2月13日日曜日
 休日で今日は仕事
やっぱり仕事を頼まれたらいつだろうがやってしまうのがオレです。今日はシェラの郊外にある村、コンセプシオン・チクリチャパというおかしな名前だがジャガイモで有名な産地を訪ねた。肥料の作り方を教えてくれ〜、と頼まれたからである。
着いてみるとこの土地の面白さに驚いた。本当にジャガイモばかり作られている。すれ違うトラックもジャガイモを積んでいる。話によるとエルサルバドルからも輸入するためにトラックが来ているというのだ。このポテンシャルはすげーな。協力のしがいがあるかもしれん。そしてもう一つ面白かったことは現地語の残留率が高いこと。ここは殆どの人がマム語を話せる。というよりスペイン語で会話していることがあまりないのだ。もちろんオレと話すときは例外だけどさ。
さて、今日お願いされた農家はビクトルという元サン・カルロス大学(オレの配属先)の男。持っている土地は大したもんじゃないけど大学で勉強しただけあり知識はまあまあといったところだろうか。現地に着くと彼はもう材料をしっかり用意してくれていた。これはありがたいことだ。やっぱりやる気のあるヤツはしっかりやってくれるんだなぁ…。
今回は個人農家ということで人員が少なくオレも肉体労働に加わった。1時間もすると作業も終わり今度は彼の育てている野菜やジャガイモのほうの話を聞いていた。彼は元の知識が結構あるようでそこまでヒドイ畑の使い方はしていなかった。ただこの土地には輸出野菜を作ることができるポテンシャルを持っていると感じるのでこれからもちょくちょく相手をしていきたい。

 2月14日月曜日
  原住民の文化?それとも…
 CEDEPEMと計画した第1回の有機農法技術援助プロジェクトがスタートした。その1番目となったのがシェラ北東部にあるXeajという村。ここまで行くのには骨が折れた。アスファルトじゃない道路を何キロも。近いところなのかもしれないが1時間はかかっているのではないだろうか。
 着いてさっそく挨拶をしつつも機材、材料が揃っているかどうかを確認する。機材が大体揃っていたのはいいことなんだけどそれ以外はイマイチ。特にトウモロコシの皮を細かく切っておいてほしいとお願いしたのはやってくれていなかった。木炭もやっぱりダメでさらに細かく砕く必要があった。結局この作業で1時間半近く遅れをとった。
 始まってからは意外とすんなり行った。しかしあまりよろしくなかったことは住民があまりモチベーションを持って臨んでくれていなかったこと。オレが話していても7割の人はそっぽを向いている、またはお喋りしているかその場を立ち去る。ビニールハウスの中で説明をしていたら暑いのに耐えられないのか説明している途中で殆どの人が出て行ってしまった。
 通常であれば、または興味がある分野だったらこの機会を逃がさず聞き耳をたてるはずのところがその反対である。オレの話がつまらなかったのか?農業に興味がないのだろうか?それともこれが文化の違いなのだろうか?結論は3番目に落ち着いた。恐らくだが彼らは今までこういった経験が殆どなかった可能性がある。よってチャンスを活かすという至極当然のことすらも、このような機会を体験したことがなかったためわからないのではないかと…、またはCEDEPEMとの仕事が長いので飽きてきてしまいもうどうでもいいことなのかもしれない。または「貰えるものは貰っとけ〜」の精神に至ってしまっている可能性もある。この現象を理解できるようになるにはもう少し時間が必要そうだ。少なくとも10件以上村を回って比較してみたほうがいいだろう。

 2月15日火曜日
  呆れる大使館
 日本大使館から電話があった。1等書記官、専門調査員、文化担当の職員の3人からだ。理由は一つ、ウチの大学でやる日本文化紹介の用意がさっぱりできていないからだ。しかも計画のチーフである学長がメキシコに出張でいなかった。もちろん書記官ら3人は激怒でした。オレ自身は大使館関係者といっしょに働くのは初めてだったのでこの怒り具合にはけっこう面食らった。
 勿論わからないわけではない。しかしグアテマラ人がどういった性格の持ち主でどう動くかなんてオレには大体わかっていた。彼らは大学の上級幹部ということで信用していた部分もあったのだろうか?自分の配属先の大学がこんな状態でちょっと悲しいといえば悲しい。しかしそれが現実である。
 大使館には予めここまで来てチェックする余裕なんてない。ましてや外に出る時間もなくてオレたちの仕事すら理解できない状況。まあグアテマラの状況も把握できていないかもしれないけど。但し深く突っ込んだ部分なので彼らからすれば不要な情報なのかもしれない。オレはそう思わないよ。
 来週はどうなるんだろうか?やっぱりグアテマラのことだから何とか誤魔化して形になってしまうかな?それとも大失敗をすることもあるかな。お手並み拝見と行きましょう。これで大使が怒ってこの大学に援助がなくなればそれはそれでオメデタイ話だ、いろんな意味でね。

 2月16日木曜日
  すべてキャンセル
 今日行くはずだった有機農業技術援助プロジェクトのPatachajという村はあちらに問題が起こりキャンセルとなった。理由は村同士の争いらしい。こっちからしたらせっかくタダでいろいろ教えてもらえるのにバカだなぁ〜、とか思うけどそれって頻繁に起こっていることだよね。内戦や内紛をやってて自滅するというパターンは歴史上いくらでもある。その一つが今そこで起こっているということ。そう考えたら納得。
 もう一つ学校で講義をする予定だった有機化学の授業も延期となった。やれやれ、今日はキャンセル万歳の日だったということか。こんな日もあるよね2年も同じ国にいればさ。

 2月17日金曜日
  うーんやっぱり…
 シェラの原住民支援CEDEPEMと計画した第2回目の有機農法技術援助プロジェクトはRancho de Tejaというトトニカパン県に近い村である。ここは前回のXeaj村とは違い道はあまり悪いところではなかった。ついてきてくれたのはEmilio氏19歳という若さながら隣のソロラ県国立農業高校を卒業しておりレベルは高い。日本人ボランティアも相当数入っていた場所なので日本人慣れしているようだ。
 Rancho de Tejaの住民は土以外の機材は用意してくれていた。土は畑のを使おうとしていたのでそこでまた説明が必要となってしまった。頼むからしっかり説明しておいてくれ。そしてオレが来たときには用意が終わっているようにしておいてくれ…もちろんグアテマラ人にこれは無理な願いであることは誰もがわかっていることなんでしょうが(笑)。
 結局2時間遅れてスタートしたのだその後は順調そのもの。前回失敗したバイオ肥料の容器密封も接着剤等を使うことによって大成功。しかし今回も同じだったことはやっぱり住民のやる気が感じられなかったこと。唯一の救いはリーダーがオレの気持ちを察してくれたのか「グループのみんなはあまりやる気がないんだよね」と話してくれた。ということはやる気があるときはどんな行動をみせるのだろうか?オレの教え方が悪いのか?それとも他に原因があるのか?もう少し粘ってみてみる必要がある。

2月19日土曜日
 再会
昨日の夜に電話がかかってきた。去年はいろいろなことでお世話になった城下氏だった。任期を終えて12月末に帰国したが自腹を切って帰ってきた。今度は完全に自分の費用で活動を始めるためだ。そんな彼に誘われたので今日は彼のいるチマルテナンゴに行くことにした。
いろいろあってちょっと遅れたが2時半ごろ到着。今日のメインは3輪自転車のペンキ塗り。彼は来週の月曜日から教育相と協力してチマルテナンゴの各小学校を巡回、環境教育を行うということである。その題材として地球にメッセージを送ることを目的としたイラストを児童に描かせた。それを今回三輪自転車にも描き、その自転車を使って巡回を行おうというなかなか面白い企画である。せっかく彼がオレごときを頼ってくれたということで美術の成績が1だった粕谷さんもちょっと頑張ってみました。
ペンキを塗っている間は以外にも集中していてほとんど話さないで作業を進めていた。ちょっとぼーっとやってたら簡単にはみ出してしまう、オレの場合は(笑)。それが一区切りついた後は城下さんお奨めのお店で夕飯。1店目はドブラーダというちょっとした食事を。ここのおばさんがまたいい。さすが城下さんのお目にかなうだけはある。オレもいっぺんで好きになってしまった。次に行ったのはグアテマラ風食堂であるコメドール。ここでは彼の一押しであるビステックをいただいた。今日はメニューに入っていなかったのに彼はお得意様、ということで作ってもらえた。どちらも最高に美味しい。こういったいいグアテマラ料理をオレも探す必要がありそうだ。
posted by mi corazon como el pacifico at 15:55| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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