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2005年05月10日

グアテマラに帰宅

 アメリカに行ってきました。3年ぶりに帰った大学、お世話になった教授と友人達。大学の建物は3年前そっくり、一方、再会した人はみんな変わってしまっていた。いい意味で時間が流れたのだろうか…そう思いたい。
 
 「時間は二度と戻らない」「時は常に動いており止ることはない」、そんなことをふと感じてしまった4日間だった。
posted by mi corazon como el pacifico at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

3月の日記終了(2005年3月21日〜末日)

 3月21日月曜日
  意外な最終日
 最終日も5時半には起きて用意は万全。ちょっと睡眠不足だったけどまあ運動自体は激しいものではなく腕の筋トレみたいなもんなので疲れていたとしても問題はない。しかしみんなの疲労の色は濃かった。動き始めると調子は良くなったのか良く進む。中間点のサンタカタリーナに着いたのが9時半。ゴール到達予定が1時だったのであまりの速さに驚き。もちろん距離が思ったより短かったことは否めないがそれにしてもこの3日間でみんな成長したと思う。
 サンタカタリーナでは温泉が出ているという泉を訪ねた。そこではわずかな岩の隙間から暖かいお湯が出ていた。日本人の観光客はここにスコップを持ってきて温泉につかるらしい。しかし午後から風が吹き始め波が高くなるのでせっかく作った即席温泉は水に沈んでしまうそうである。ちなみに今日はスコップがなかったので足だけつかってお終い。
 温泉は日差しが厳しかったので30分ほどで耐えられなくなり再出発。そこからはもっと速かった。1時間ほどでゴールのパナ・ハッチェルが見え、1時間半で念願のゴール!!みんな最後はさすがに疲れていたがゴールしたら笑顔笑顔。記念写真をしたとオレは試してみたいことを実際にやってみた。それは2日前にさっぱり前に進まなくてその改善のために船底に装着した竹を外して漕いでみるということである。乗ってみると驚いた。なんと簡単に前に進むではないか…。この2日間適当に漕いでいたはずなのにスキルは勝手に上昇していたようだ。不思議なもんである。
 本当にいろいろな困難や楽しみが目白押しだった3日間だったけど最高に面白かった。正直言えばこのグアテマラでこういった旅行をしたのは初めてだった。仕事以外はこれといって目新しいことをしてこなかったオレにとっていい思い出となっただろう。そしてカヌーというスポーツにも興味が持てたことはラッキーだったな♪

 3月22日火曜日
  ガイドも楽じゃない
 明日友人達が来るため、首都に行かなければならなかった。せっかく任地のシェラに帰ってきたのだが、今度はグアテマラシティーへ。JICA事務所によってドキュメントのコピーなどの仕事をこなそうと思った。が、なんと事務所は午前中までだった…。ということで残念ながら退場させられてしまった。
 その後は翌日から来る友人達のためにバスの予約など雑務雑務。実はこれがけっこー骨が折れました。とあるバス会社などはあまりにも電話の対応が悪いためわざわざ危険なZona1のオフィスまで行って確かめてきた。やっぱりグアテマラだなぁ…と思った瞬間でもありました。その結果セマーナサンタ(イースター)でも動いているバスがあることが判明。よかったよかった。
 夜は久しぶりにグアテマラシティーに宿泊した。まあ連絡所だったのでどっかのカプセルホテルとなんら変わりはないのだが、微妙に知ってるか知らないかの気まずい同僚たちがいたりすることが居づらい原因を作っている。やっぱここは落ちつかない。オレは好きになれないな…。

 3月23日水曜日
  ついに初のお客様が来グアテ
 大学時代の親友とその相方がグアテマラに到着。夜の10時のことだったが気持ちは踊る。よくちょっと時間より遅れての到着だったがなんか落ち着かない感じで待っていた。飛行機が着陸してデッキにお客さんが降りるところまでまで見てそれからArrivalに向かった。実はなんかここに日本の友人が来ることがイマイチ信じられなかった。というよりイメージがわかなかったのだ。不思議なものだ。
 イミグレーションが終わって出口に出てきた友人は変わっていなかったのですぐにわかった。手を振ってあちらも応じてくれた。久しぶりに会ったのに変わっていなかった。いつものように話も弾んだ。こんなもんかというぐらいグアテマラの1年ブランクを感じさせない。自分でもこれには驚いたぐらいだ。
 タクシーで明日の仕事先であるアグラブランカという村に向かう。運転手は仲良しなので信用十分。友人が来ていることもあり備えあれば憂いナシ、最善を尽くした。アグアブランカでは同僚のレイナルドが待ってくれていた。ここまで来れば治安も問題なし。住民はすべて彼の友達ばかりだ。
 彼の家に到着するとお母さんとお姉さん、そしてお父さんと再会。オレの友人も紹介した。家はこの前よりグレードアップ、改築していたようで新しい部屋で寝ることになった。久しぶりに興奮してしまったこともあり、お喋りばっかりしてしまいあまり眠ることができなかった。こうやってガイド初日は過ぎた。

 3月24日木曜日
  オレの仕事初公開
 1時間睡眠で5時半ごろ起床。朝ごはんを食べる。友人の相方がレイ(レイナルド)母ちゃんと朝食を作ってオレと友人そしてレイナルドは畑に行った。着いたところは5月からとうもろこし畑になるところ。今は牛を放牧している。牛が去年のとうもろこしの葉や茎を食べて糞を落とす。それが肥料となるわけである。これぞ伝統の農業なのだろう。
 犬が牛追いをして自由に25頭ぐらいの雄牛、牝牛を操っていた。昨日はオレにバカやっていた犬が今日は大活躍。どうやってこーゆーしつけをするのか知りたいもんだ。農業を見ること自体が初めての友人は興味津々だったようだ。
 戻ってきて朝食。彼らにとっては初めてのグアテマラ料理が人口300人の村における典型的な料理。これぞグアテマラという食事を2人は美味しく食べてくれた。下痢は心配だが気に入ってくれたことはありがたい。
 朝食が終わったらいよいよお仕事。今日はここの村の皆さんと2種類の有機肥料を作る講習会を行う。車で会場に向かう間にレイが村のみんなに挨拶をしながら今日のイベントの話を告げる。中には「行くよ〜」と答える人、中には「え?聞いてないぞ??」と答える人、この辺はグアテマラらしいご愛嬌。会場はレイのお兄さんの畑。ここも年末すごいお世話になったところなので久しぶりの再会。ちょっと近況を話しながら用意もする。ちゃんと機材、材料とも揃っているようだ。
そんなことをしているうちのどんどん人が集まってきた。オレは実のところ殆ど人はこないんじゃないか?と思っていた。なぜなら今はセマーナサンタ。これは日本の正月休みのようなもんで通常グアテマラ人は働かない。その中で仕事を頼まれたのでオレも5人以下の講習会になる覚悟をしていた。だが意外や意外、遅れてはきたが30人近くの人が来た。村の人口を考えると恐ろしい数の人が来たことになる(人口300人)。
 講習会のほうは非常に順調に進んだ。村の人たちの関心は素晴らしく次々と質問が飛んできた。もちろん理由は男達ばかりで、農作業をしている者ばかりだからだ。このようなシチュエーションのときは大抵いい雰囲気で進むことが多い。お客さんの友人も少しは満足してもらたのではないだろうか?
 無事終了した後はレイのお兄さんの車で釣りを見に行くことに。グアテマラの釣りとは果たして??と思って行ってみたらなんと池の中に人間が入って網を使いながら魚を取っていた。これじゃあ釣りではなく…投網では???
 さて、レイの家に戻ってくるといよいよお別れの時間。彼のもう一人のお姉さんも実家に帰ってきたようで彼女とも話すことができた。帰りのバスは隣町のアグアブランカにしようと思ったんだけど来ないようなのでわざわざフティアパ県のパンアメリカンハイウェー沿いまで連れて行ってもらい、隣国エルサルバドルから来ているバスに乗せてもらってグアテマラシティーまで帰ってきた。こんなバスに乗れることはもうないだろうなぁ…。
 首都に帰ったら治安のことを考えて降りる先にしっかり友人のタクシー運ちゃん電話をしておいたので大丈夫。次の行き先、パナハッチェルに行くまではしばしお休み。首都でもかなり安全といわれているソナビバのカフェでゆっくりすることにした。シャトルバスはそこに来てくれるようにお願いをしたので楽だった。道中の運転はちょっと悪かったけど早く着いたのでまあ許すとしよう。
 着いた先は村岡邸。彼は石油ビジネスをずっとやってきた方であり、息子さんがグアテマラ人と結婚して日本大使館で働いているのである。息子が働いているからといって親までグアテマラに来てしまうとはさすが石油男だ。しかし人柄は非常によくこうやって自分の家をホテルとして開放しているところがまたなんともいい。そして夫婦仲がいいのもまた最高。本日はこれにてお休みだ…。

 3月25日金曜日
  セマーナサンタのパナ・ハッチェル
 今日は珍しく朝はゆっくり起きる。8時ごろ悠々と起床して朝食。村岡夫妻は本当に料理がうまい。グアテマラに来てここまでの日本食が堪能できるとは思いもしなかった。
 9時ごろに外に出て世界最高の景観と言われているアティトラン湖まで歩く。するとセマーナサンタの飾り付けをそこらじゅうの道路でやっている。もちろん車はもう入れない。完全な歩行者天国である。ちょっと写真を撮ってから湖に着いた。なぜか知らないけどボートの値段が上がっていたりしてちょっと驚いた。その高くなったボートに乗り湖を観光。やっぱり水が透き通っていて本当に綺麗だ。この景観と水の質を今後も保ってほしいものだ。何しろグアテマラの観光収入は一番の外貨獲得方法ですから。
 30分経ってついたところはサンペドロ・ラ・ラグーナ。ここはつい先日カヤックでのアティトラン湖1周のときに泊まった場所でもある。おかげで友人達がカヤックに乗ったときもオレのことを覚えてくれていたみたいで本当によくしてくれた。これからバーベキュー等いろいろなイベントを考えているのでお世話になるだろう。
 さて、友達とカヌーを借りたまでは良かったのだが、事件はその後起こった。オレが1人乗りを漕いで友人2人はペアに乗った。ちょっと遠くまで行ってみたのだが波がなかなか強い。同僚に素晴らしいカヤックだと絶賛していたヤツを初めて使わせてもらったのだが、1周したときのカヤックとはわけが違う。進みもいいし、軽いし、荷物を入れる密閉したスペースもある。しかしこのカヤックの弱点は風に弱かったこと。友達が漕ぐのを止めて話をしていると突然風が来て転覆してしまった…。幸い貴重品は漕ぎ始めてちょっとしたところでオレに預けておいたので無事でした。それにしても旅行に来てアティトランのキレイな水を肌で体感したお二方は素晴らしい(笑)。
 ということで湖から上がったらしばらくは服を干すことにした。その間に友人がさすがにパンツを干すことができないそうでスカートを購入することに。まーいい買い物になったということだな♪乾かしている間にカヤックの持ち主である家族とさらに交流が深められたことはよかった。これで次に使うときも快く貸してくれるだろうな。信用もあるし。やっぱりグアテマラは個人の関係が本当に重要だ。
 3時ころサンペドロ・ラ・ラグーナに別れを告げてパナ・ハッチェルに帰った。バスまで時間がないので急いで用意をしてバスに乗った。2時間半ぐらいでアンティグアに着いたのだが、やっぱりセマーナサンタの影響で車が前に進めなくて結局街の入り口から歩くことになった。困ったと思いつつもしょうがない。もう一人の友人は体調を崩しており、オレが荷物を持って進んだ。
 いろいろあったけど無事にホテル到着。久しぶりにスカイカフェにも行けたしみんなもここが好きになってくれたようなので。今日一日いろいろありましたがまあ成功ということにしておきますか(笑)。

3月26日土曜日
  アンティグアでゆっくり
 昨日夜までゆっくりしたこともあり、朝はゆっくり起きた。もう正午近かったので早めの昼飯にした。もちろん食べさせるのはグアテマラの大衆定食屋、コメドールである。これを食べさせずに「グアテマラ料理を食べた」などとは日本で言えない。
 ということでアンティグアのマーケットの連れて行くといつもどーりの活気のよさ。コメドールが乱立しているところに行くと日本の八百屋のような喧騒。でもこれが好きなのだ。ちょっと店を見てみて一番種類が食べられるところにした。値段は10Q(120円ぐらい)でお腹一杯になれる。友人たちも喜んでくれたようだ。
 それが終わったら今度はセロ・デ・クルス、日本語では十字の丘に連れて行った。ここはアンティグア全体が見渡せる丘で景色は本当に美しい(オレのホームページ参照)。しかし夜は山賊が出るらしく非常に危険。実はアンティグアの夜景を写真におさめてみたいのだがこの2年間でそのチャンスはあるだろうか…。
 次の日が朝4時でティカル遺跡ということで4時起きなので今夜は早寝をすることにした。それと一つ問題も発生。どうやら友人の一人が体調を崩してしまったようだ…。

 3月27日日曜日
  無料ガイドの休日
 朝せっかく早く起きて空港行きのバスを待っていたのに1時間も遅れてきやがった。おかげで友人達がしっかり飛行機に乗れたか心配になってしまった。そう、今日はオレの完全休日である。しかしそれをジャマするように朝から心配が付きまとった。ま、実は飛行機が出発しても電話がかかってこなかったので大丈夫だと安心したのですが…。
 せっかくの休みなので首都まで行って荷物を整理したり、洗濯物をしたり、彼らのプレゼントを用意をすることに一日を尽くした。だって明日には帰ってしまうからね。せっかく来てくれた彼らに何かお礼がしたかった。グアテマラ初めてのお客さん。そして彼はオレが日本出国の際わざわざ空港まで送りにきてくれた人物。親は家でサヨナラ。大体の親友も宇都宮でサイナラ。前日に泊まった祖母宅ももちろん家で。彼はわざわざ空港まで来た。そんなこともあり思い入れは特別なもの。
 彼らが帰ってきた。楽しかったらしいがとてもやはり一人の体調は優れない、というより悪化したらしい。とりあえず何時間か寝かせるがそれでもダメらしい。ちょっと寝たところで「最後に日だから飲みに行く?」と聞くと、行くとのこと。オレの友人が働いているバーに連れて行った。雰囲気は最高のところだったがやっぱり友人の調子が悪そうでかなりすまなかった。最後の日ぐらい好転してくれることを願っているが。

 3月28日月曜日
  お別れの日、そして仕事再開の日
 朝9時にはバスが来た。それまでには昨晩寝ないで(ちょっとは寝たけどさ)用意したプレゼントも公開した。少しは喜んでもらえただろうか?彼の体調は相変わらず悪い。恐らくだが何か食べ物か水が当たったのだと思われる。短い旅行だったのに辛い思いをさせてしまったようだ。
 空港に着くと意外と時間がある。カフェでちょっとゆっくりしながら最後にいろいろ話をした。その幾つかはとてもマジメな話だったし、ある幾つかはふざけた話だったり下ネタだったりした。でも本当に有意義な時間だった。彼らにとってもそうであったと思いたい。
 二人はオレより若い。しかしさまざまな面でオレより深く考え、そして行動し、学ぶ姿勢がある。それらにはオレが忘れかけていたものもあった。この仕事を始めて1年が経とうとしている。それは大きな経験であったことには変わりないが同時に限界も感じ始めてきている。これからさらに1年、ムダにせず常に1歩は進むようにしていきたい。いや、半歩でもいいのでとにかく前進しようとする心を忘れずに。

 3月29日火曜日
  アメリカ行き決定
 なんと4月末にアメリカ合衆国に行くことが決まった。従兄弟の結婚式があるからだ。従兄弟とおばさんと言えばオレがメリーランド大学にいたときにお世話になった方たちである。ヴァージニア州とメリーランド州はアメリカ独立時の12州であり面積も小さく隣りどーしなのでメリーランド大学からおばさんの家、つまりワシントンDC郊外にあるアレキサンドリアまでは本当に近い。そんなこともありおばさんには結構お世話になることが多かった。
 それと同じくらいお世話になったアメリカ人たち。つまり研究室の教授、同僚だった学生、そしてプライベートを思いっきり楽しんだ友人達と再会ができるのである。それも3年ぶりの話だ。たった4日間の滞在だけどとにかく楽しんできたい。そしてもう一度感謝をしてきたい。今のオレがこうやって存在しているのは彼らの存在ナシにはありえないのである。それだけは間違いない。特にオレに本当に親切にしてくれた友人、Ryanはオレの生き方の基盤を作ったといって間違いはないかもしれない人物。あ〜、待ちきれないなぁー♪♪

 3月30日水曜日
  事務仕事みたいな日
 今日はこれからの仕事のために必要な資料の整理等。そんなわけで今日は珍しく短い日記にしたいと思います。
 そこでこぼれ話を一つ。実は21日カヤックにてアティトラン湖1周を終えた後、でかい事件があった。というのもオレのせいなんだけど。帰ろうとしたらなんとお金が一文もなくなっていたのだ。原因は23日に来た友人達のツアーの予約等でお金を使い切ってしまったからだ。俺の家、つまりケツァルテナンゴ(シェラ)に帰るには100km、そして10Qは必要だ…。
 本当に困り果てたあげく、思いついた策は一つ。片手にある一つのマンゴーを使ってシェラまで帰ること。決心したオレはバスに乗る。そして支払いのおッちゃんがやってくるとオレは素直にウソをついた(笑)。「財布を盗まれてしまってお金がないんだ。このマンゴーでなんとかならない?」と半分土下座気味(声だけ)でお願いしてみた。なんと返答はオッケー!!!そして運良く自宅に帰ることができたのだった。
 ある日グアテマラ人が行った言葉「Todo es posible. Eso es Guatemala」「何が起こるかわからない、それがグアテマラだ」という意味である。聞いたときは「グアテマラ人のお前がそんなこと言うんじゃね〜」と思ったけど今は納得。そんな面白いグアテマラの一面に助けられてしまったオレでした。

 3月31日木曜日
  1ヶ月前の出来は果たして・・・
 1ヶ月前に散々だった(いつもの講習会と比べるとマシなのかもしれないが、2月25日の話です)マサテナンゴのサン・カルロス大学に着いたのが朝8時。5時半起きしてきたのだが果たしてこの前作った肥料等はどうなっただろうか?ここの教授レイナルドには期待をしているが、うーん。お手並み拝見。
 マサテナンゴの隣町クージョテナンゴに着くと彼はすでに待ってくれていた。ここまでは問題なし。そして大学農場であるサオリに到着。オレは学生に挨拶をしつつ真っ先に肥料の出来具合を見に行く。有機発酵肥料のほうはまあまあ。バイオ肥料のほうはちょっとおかしい。まあ、原因は後にしてまずは学生と話し始めた。
 30分ほどしてだいたい学生が集まったらまずは肥料のできを調べることにした。問題のバイオ肥料のほうを開けてみるとすぐに原因がわかった。ガス抜きのホースがうまく機能していなかったのである。まあ、しょうがない。もう一度そいつを修正してこちらは終了。しかし今回はむしろ土壌試験をすることが目的。レイの素晴らしいところはしっかりこちらの用意をしてくれていた。
ということで学生に有機発酵肥料の使い方を説明しながら実践まですることができた。今回植えたのは二十日大根とかぼちゃ。これを化学肥料と俺達が作った肥料とで比較するわけである。うまくいくかは3週間後のお楽しみ。話によると有機発酵肥料は期間の短い作物だと効果があまり化学肥料と変わらないといわれている。それはこの肥料の効果がゆっくり出てくるからである。しかし裏を返せばこれで明確な違いが出れば完璧な結果を見せ付けることができるということ。正直ここで栽培をしたことがない以上明確な自信はないけどわくわくはする。失敗したときはそれでしょうがないしね。
うまく行けばいいなぁ…と思いながらもまずは昼食。タコスを食べて一休み。無駄話やちょっとマジメな話、彼のブラジル行きの話なんかをしていた。やっぱり彼がブラジルに行ってしまうことはなかなか悲しい。グアテマラではかなり少ない気のあう友人と言えるかもしれん。まあ、仕方ないことは仕方ない。そんな愚かなことを考えるより彼という人間に出会えたことに感謝することのほうが大切なことだ。
posted by mi corazon como el pacifico at 12:47| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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