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2005年09月29日

雑談

外国に行ったときはいつもその国の代表だということを忘れてはいけない。「何人は好きだ」と言う人はたいてい実際その人種に会っていい印象を持ったからこそこのような発言がでる。例えば、オレは運悪くあまりいい性格ではないブルガリア人に会ってしまった。よって未だにブルガリアには好感を持てない。反対に双子とも言うべき人物に出会えたドイツは心底愛せる。
 だからこそグアテマラではその点については常に気をつけている。オレの発言の1つ、行動1つ1つが大きな影響を持つことになる。それを忘れずあと半年を過ごしたい。
posted by mi corazon como el pacifico at 16:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日記2005年9月26日〜28日

 2005年9月26日月曜日
  片田舎へ
昨日ハプニングがあってウチに泊まりにきたアメリカ人をおいて早朝5時、隣県のソロラ県ナウアラ地方へ向かった。今回の仕事は農業技術援助の一貫としてOXFAMというイギリスのNGOが経済的支援しているADIBOCというグアテマラ現地のNGOと働くためだ。元々ここの農業アドバイザーとして働いているビクトル氏がオレと面識があったのが今回呼ばれた理由である。何度か彼と働いたことがあったオレだが、実際に何かのプロジェクトを進めるのは始めてだ。彼はお調子者なところがあるが、自分を信用していること、そして向上心があるのでオレとしては彼をかっていた。
 4時間かかってピックアップトラックでしか行けない山奥に到着。ここではバナナとコーヒーの有機栽培を行っている。こいつの質を上げるのがウチらの役目。今回は農薬の代わりとなりうる木炭から取れる木酢液の作成と使用法の技術援助が目的だった。
良かったことはこのグループの雰囲気がとてもいいことだ。そして質問等も活発に出る。ビクトル氏も信用されているようで仕事も終始和やかに進んだ。逆に困ったのはムシに刺されまくったこと。後から長袖に着替えたんだけどそれでも手首と手に8箇所も刺し傷が…。しかも刺されたらナゼか血が出る。。。なんだこの虫は(笑)。夜は耳元に虫がぶんぶん飛んであまり眠れなかったし。ま、いつものことだから慣れているといえばそうなんですけどね。

 2005年9月27日火曜日
  また表彰される
 今日も午後まで前日のプロジェクトがあった。昨日は実習だったので今日は説明が主だったがこっちもけっこう集中力をみんな発揮してくれたようで非常に興味深く聞いてくれた。ただ何人かはスペイン語がわからなかったためちょっと悪いことをした。現地語はこの2年間結局覚えられそうにない。環境的に無理があったがわかったらもう少しグアテマラの事情を把握できたかもしれん・・・なんて思うとちょっと残念だ。
 今回の仕事の最後なんと表彰されてしまった。今までも3回ぐらいそんなことがあったんだけど今日もそうだった。やっぱここの村に来た日本人は初めてだったからだろうか?正直ちょっと恐れ多い感じがする。それはちょっと前まで自分が学生だったこと(今もただ休学中なだけですが)、そして自分自身にまだ自信が持てないこともあるんだろうけど。
 仕事が終わってからまた4時間の道のりを経て帰宅。9時になっていた。でも頑張りました。もう寝ます。はっきり言って疲れた〜♪

 2005年9月28日水曜日
  女性の力
 グアテマラの人口の60%が原住民といわれるインディアン。こちらではインディヘナと呼ばれている。そしてその半分がもちろん女性。よって人口の30%を占める。この人口の30%を虐げているグアテマラ政府はアホとしか言いようがない。彼女達に可能性を与えない政府関係者の視野は甘すぎる。彼女達の重要性に気がつかないのは政治家としての素質ゼロだ。自分で自分達の首を絞めているのだ。
 話を戻します。今日はとある女性が運営している助産婦のNGOを訪ねてきた。大使館の草の根無償資金援助で学校を建てたいらしくオレに話を聞きたかったらしい。会って話をしてみるとビックリ。普通田舎に行くと女性達は非常に恥ずかしがりでオレと目を合わせないこともあるぐらいなのに、彼女達は非常に活発で話し合いでもどんどん意見を出していた。こういった人たちがいるということはまだグアテマラも可能性があるということだ。
 しかしオレは今回の資金援助に関する正直な見解を述べた。最近の援助の70%は機能せずせっかく建てた学校や掘った井戸は実際に使われなかったり、途中で頓挫してしまうケースが多いこと。これらの失敗から最近は外務省が援助の条件を厳しくしており、このプロジェクトがその条件に当てはまるかどうかわからないこと(日本の景気が悪くなったという理由もあり)。これらの例を踏まえてあなたたちのプロジェクトの成功、失敗は次の援助を期待する人たちに大きな影響を与えること。
 このNGOには幸運なことにオランダ人がいっしょに働いている。グアテマラに来て8年だそうで非常に理解があるようだ。その後彼らが建設を予定している土地を見学させてもらった。その向かいには援助によって作られた建物があったが使われていないようだ。オレが話をした後すぐにこういった例を見つけてしまうとは・・・なんともいえん。
今回は話を聞いただけだったので次回は実際に活動を見せてもらうことになった。ある程度の感触はあったがまだ可能性は未知数。最後に決めるのは大使館だがある程度こちらで選定してから大使館に連れて行きたい。そうでなければ彼らの仕事をムダに増やすだけである。無理なら無理と先に言ったほうが彼女達のためにもいい。
posted by mi corazon como el pacifico at 15:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月26日

約束どーりの更新

今日から帰国までは頑張って更新していくよ。
さて帰国まであと少し。一日一日を無駄にせず頑張ります♪
posted by mi corazon como el pacifico at 12:33| Comment(6) | TrackBack(0) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年9月20〜26日

 2005年9月20日火曜日
  仕事での憂鬱
 最近よく起こる仕事の問題。それはダブルブッキングだ。オレが多方面で仕事をしているからこういうことになるのだろうけど問題はそれだけじゃない。一番のリスクはグアテマラ人が時間を守ってくれないこと。一度決めたはずの予定は1日前、または3時間前にキャンセルされることもある。または約束を破られることもある。
 そんなこともあり直前なると一気に予定が乱立する。1ヶ月先の予定なんて立てられるわけがない。そう、そして今週の金曜日も・・・。いきなり予定がずらされてしまった。こんなことばっかり起こるとホントに仕事が嫌になってくる。仕事以前の問題でもあるしどちらかに断りをいれなければならないのがまた疲れる。まあしょーがないことなのかもしれんあ。
皆さん、日本ではどうなんですか?やっぱもっと予定が立てやすいはずですよね?

 2005年9月21日水曜日
  無意味なのかも・・・
 オレの仕事は最近やってて意味あるのなぁ・・・と思ってきた。確かに微々たる底上げにはなっているかもしれんが、明らかに根本を変えるには至っていない。まあ、元々この仕事自体はお金を使って計画を進められない以上どう考えても無理があるといえばそうなってしまうのだが、もう少しやりようはあっただろう。あと8ヶ月とか考えるとちょっと難しくなってくる。そして後任はまだ決まっていないし現地での引き継ぎももうできない。さて困ったものだ。
 上記のことを思ったのは仕事でのこと。隣のソロラ県にあるNahuala(ナウアラ)という村で農業の指導をしてきた。出来上がった肥料を使ってキャベツを植えなおした。とりあえず住民は喜んでいた。みんな笑顔でやっていたしオレも面白いといえば面白かった。パートナーにあたるNGO職員もちょっとお調子者ではあるが仕事はやってくれた。しかし何かが足りない。・・・・・そう恐らく継続性が感じられないのだろう。ずっとこれを考えて仕事を進めてきたというのにやっぱりオレが帰ったらまた元の戻ってしまうような気もする。
 大学もそうだ。未だにオレの机やオフィスはない。オレの仕事は殆どのことが後回しにされているように感じる。でもそこでオレが激怒したところで何かが変わるということもありえない。この2年間粘ってきたが変化はあったのだろうか?もちろんまだ日にちはある。あきらめるのもまだ早い。

 2005年9月22日木曜日
  日本からの来客
 久しぶりに日本からお客さんが来た。彼は遠い親戚を訪ねてココまで来た。その家族に会うことができた。やっぱり日本人と結婚できる家族の親戚というとある程度は上流階級なのだろう。まるでウチの市出身者には見えなかった。お母さんはアメリカ人で息子、娘もどこかいいところのお坊ちゃま的な雰囲気を感じる。
 しかし面白かったのは名前だ。この家族は子供にマヤの人々の名前をつけている。まあグアテマラなんだから当たり前じゃない?って思うかもしれないけど実は大きな落とし穴がある。グアテマラでは原住民は差別の対象となっており、原住民自体も伝統的なマヤの名前を子供達につけるケースはかなり減っている。これは残念なことだが本当のこと。内戦の影響もあったのだろうがオレは殆どマヤ名を名乗っているを人に会ったことがない。
 だから珍しいことだったのだが、名づけているのはなんと原住民ではなくラディーノといわれる混血の方達。そう、皮肉なことに原住民は自分達の名前を使うのをやめ、裕福な文化理解のある混血児たちが彼らの名前を使っているのだ。こういった現状はオレも昔から予想していたがやはり・・・というところ。
 グアテマラ人が民族の違いを超えて仲良く語り合うことができるようになるのはいつになるだろうか。きっと自分が死ぬまでにはそうなってくれることをオレは信じたいな・・・。

 2005年9月23日金曜日
  公約達成?
 政治家的に言えばやっと公約が達成できたといえるか?
オレがここに配属された当初の理由は土壌、植物、水質分析の技術指導をするのが目的だった。しかし実際に仕事を始めてみると予想通り要請書に書いてあった内容とは大きく異なり、機材もなく人材もなく、挙句の果てには分析を行っている授業すらなかった。そんな状況の中でオレはすべて自分で一から調査をして、計画を立てて、実行に移すまでの過程をこなした。1年5ヶ月の月日を要した。これは「こんなに長い時間をかけてこれしかできんかったのか?」言えるし「何もない状況からよう頑張った!」とも言える。誰も評価する人間がいない以上、正直この仕事の進め方がよかったか、悪かったかは当事者であるオレにも評価のしようがない。
 しかし良かった、悪かった点をあげることはできる。これについては休日の日曜日にもう一度触れたい。さて、その肝心な今日の起こった内容を書きましょう。
 オレが配属している大学には残念ながら要請書とは違う内容が180度異なり、実験機材は一切ない、研究を殆どしていない、オレと働くはずだった教授陣の1人は3回に1回授業をしない。もう1人は1セメスターに4回しか実験の授業をしないという有様。この現状でオレは現存勢力で仕事を進めることを諦めた。その代わりに大学や大学以外の諸機関やNGOの調査を開始した。気の合うところとは実際に仕事も始め、それと同時進行でいったいどこが大学と共同で仕事ができるのだろうか?ということをずっと探っていた。大学には金がない。オレは資金援助をするつもりもないしそんな短期で与える援助はかなりの可能性で無駄遣いになってしまう恐れが高い。それから援助慣れを引き起こす可能性も考えられる。
そんな状況で最終的に見つけたのがこのINFOM(地方振興庁)だった。機材は恐ろしいほどそろっている。オレいた日本の地方国立大学なんかよりは10倍ほどいい設備。オレはいつも20年前の分析機器を使って毎週のように故障→修理を繰り返しながら研究を進めているというのにここの機材は本当に新しいものばかり。そしてここの研究室長は日本で研修を積んだ経験もありとにかく向上心がある。彼とオレが意気投合するまでにそんなに時間はかからなかったがオレが大学の教授陣に興味を持たせること、実際にどうやって大学にこの実習を組み込むか、どんなビジョンでこの計画を進めていくか、等を考えて用意していたらあっという間に1年と4ヶ月が経ってしまった。そして今日、初めてこの研究室で学生の実習を開くことになったのだ。
 あ。。。結局今日の出来事を書く前にこんな時間になってしまった(午前1時)。また明日続きを書きます。

 2005年9月24日土曜日
  昨日の続きと隣県の祭り
 そんなわけでその日は午前4時起床。嬉しかったのは今日いっしょに行くことができなくなってしまったもう1人の先生であるメンデス氏がわざわざ早起きしてオレを迎えに来てくれたことだ。それもオレを大学まで送るだけのために。彼はその後気を使ってくれたのか、その日1日で4回も電話をしてくれた。彼がここまで興味をもってくれたことはオレにとっては非常にいい傾向だと思う。
 何人か遅れてきた学生はいたがそれは想定の範囲内。5時半には出発できた。首都に向かう道中は学生独特の遠足雰囲気ではあったがとにかく寒い。標高3100mも通るこのパンアメリカンハイウェーは沖縄より低い緯度といえども寒かったよ(笑)。そして首都についてちょっと迷ったんだけどその辺は持ち前の土地勘と方向感覚でどうにか切り抜けて無事到着。
 着いてすぐINFOM(地方振興庁)の分析部門研究室長であるホルヘ・マリオさんが迎えてくれた。彼は本当にできる人だ。なによりもかっているのは彼のやる気。
 自習は初めに1時間ほど説明、その後1時間実習、1時間昼食、その後2時間再び実習、という時間割行われた。学生のやる気をかなりありみんな喜んでくれたようだった。オレはということ、とにかくデジカメで写真を取りまくってました。これが来年の授業に使われることになるので責任重大。
 無事に怪我なく実習も終わり最後にこの実習を受けた証明書を学生に渡した。印象的だったのはウチの教授であるカルロス氏が言った言葉、「今までは授業ばっかりで実演は全然できなかったけど今回初めてそれができた」。こういった言葉が聞けただけでも今日は嬉しかった。帰ったのは10時半だった。でも全然問題なし。今日は・・・いくら遅くなったとしてもね♪

 2005年9月25日日曜日
  金曜日書くはずだったこと。
  今回の活動に至るまで自分なりに反省点を述べたいと思う。
 まず良かった点から。
第一には資金投入を行わず大学の教授陣の興味を引き出すことができたこと。これは過去すべてのグアテマラでボランティア、または専門家として働いた農業部門の方達が誰1人としてできなかったことだ、いやしなかったとも言える(わからなかったというほうが正確かもしれない)。
第二にはグアテマラに既存する機関を用いたことで、より持続可能なプロジェクトを構築できたこと。これが資金投入を行わなかった理由。とにかく援助慣れ、自分本位のプロジェクトを立てての何の意味もない。それは自分が帰った時点で立ち消えになるだけである。そしてこれはグアテマラはもちろん多くの過去の国際協力従事者が失敗してきた、いや現在もしている最大の問題である。
 そして悪かった点。
1年4ヶ月かかってしまったこと。これに関しては「しょうがない」と思う方もいらっしゃるかもしれんがオレはそうは思わん。少なくともあと半年は早めることができた。それでは何が遅らせたのか?それはオレが仕事を持ち過ぎたこと。オレは一時期この大学をあきらめた時期があった。そして他の諸機関やNGOと働くことを優先した時期があったのだ。言い訳をすればキリがない。しかしオレが来ることを1年半前から知っていたのに何も用意をしていなかった大学に嫌気がさしていたことは紛れもない事実だ。だが時間が経つうちに、様々な人たちの助言や叱咤激励により、そして大学の他のやる気のある教授たちにのおかげでオレはどうにかこの大学を捨てずに戻ってきた。今での悔やまれるのはこの時期にもう少し多くの先生方とコミュニケーションを取っておかなかったのか?これだけである。
他にも山ほど書きたいことがあるが今日は時間がないのでこれまで。グアテマラでの仕事が終わったら全部まとめないとな・・・。
posted by mi corazon como el pacifico at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月23日

再開します。

ずっと日記更新してませんでした。ごめんなさい。
何か急に「こんなことして何の意味があるのか?」と自分に問いただしてみたところ
いらん!!!という結果に達したため一時中断してました。

でもやっぱあったほうがいいね。自分のためにも。
だから明日6月の日記をちょっと載せた後本格的に日記を再開したいと思っています。
posted by mi corazon como el pacifico at 00:22| Comment(1) | TrackBack(0) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日記2005年5月

 2005年5月10日火曜日
  グアテマラの経済学者もなかなか…
 今日も弟の研修と称して算数プロジェクトを行っている教育相県事務所を訪れた。ここにはオレの後輩(年齢的には先輩)が働いている。算数プロジェクトとはホンジュラスで始まったものであり、その名の通り学校の算数レベルを上げることが目標である。ホンジュラスではJICA専門家を投入したのでかなりよい結果が出ているが、残念ながらグアテマラではそこまでの資金はいただけず、かなり厳しいプロジェクト体制を強いられている。そんな中で彼女は自分の今やれる最大限のことをやっていたように感じた。
 次にオレの大学に行って化学の先生であるカルロスにお話を伺った。彼とオレはいっしょに仕事をしているので話は一通りのことを説明しただけ。さらに農学部長であるホルヘ・モラレスとも話をして農学部、そして学部長の仕事についての質問もさせてもらった。意外なことに彼はオレがマサテナンゴで働いていることも知っていたようで驚いた。まあ、それをあっさり容認するところがちょっと悲しかったりもするのだが(笑)。
 最後に行ったのはビクトル経済学部長。彼はケツァルテナンゴの政治に関わること35年のベテラン。15歳のときから市庁舎で働き始め、イスラエルでマスターも取っている異色の男。何より彼と話がしたかったのはオレのほうだった。ってなわけで弟が質問したいことは全部をオレがブン取ってしまった。やっぱ経済学者なだけあり、非常に詳しく知っていた。もちろんそれがすべて事実であるかは疑問だが。
 彼はケツァルテナンゴ市長になりたいらしい。ゆくゆくは大統領も目指しているようだ。彼が話していた理想がそのままグアテマラの政治に反映されるとするならばオレは彼を押してもいいと思う。しかし実際はそうはいかないのだろう。財閥やその他の圧力を受け自分の身すら危うくなるだろう。政治の世界は実に厳しい。

2005年5月11日水曜日
 家族との別れ
 最終日になった。早朝4時のバスに乗って首都に行く。もう弟はクタクタのようだ。体調は悪いようでちょっと辛そうだ。とりあえず眠らせておきオレも寝る。実はオレの体調もちょっと優れず困っている。うとうとしているうちに首都には着いたがバスがあまりにも揺れたため、脱いでいた靴がどこかにいってしまい探すのに苦労した。
 バスの乗務員さんにオレの靴を探してもらえないか頼んだところ「自分でやりな!」とつき返されてちょっとムッと来た。もちろんこらえたけど。最近気がついたことだが、オレはどうしても日本の常識をグアテマラに当てはめて怒る悪い習性があるらしい。もちろん自然のことなのかもしれないが、これはやっても損することしかない。それは当たり前、その国にはその国の文化があり「日本だったらこうなのに…」のような考察は無意味なのである。それがわかっていてもやってしまう、うーんまだ若いということなのだろう。
 さて、時間も来て弟がいよいよ出国。オレも体調が優れず疲れていたのであまり感慨もわかずにサヨナラしてしまった。まあ寂しさが込み上げてこなかった分、それでよかったのかもしれないが仕方ない。でも実はちょっと後悔、もう少し最後ぐらい親切に見送ってやるべきだった。もちろんこんなことは彼がオレの弟だからこそできることなのだが。
 彼は何をここで学んでくれただろうか?オレは20歳のころは何もしてなかった。ただ遊んでいた。それだけだった。そう考えるとここに来ただけでも彼は凄い。オレの本位でいろいろなところに行き振り回してしまったが、何かを得てくれたと信じている。
 よくわからんが中途半端な兄弟愛というヤツだろうか?不思議なもんだ。

2005年5月12日木曜日
  休日
 アメリカ旅行も終わった。両親も帰った。前日に弟も帰った。すべての仕事が終わりかけたとき、体調が崩れヤバイ!!と思ったけど気合で治った。もう大丈夫のようだ。ということで今日は休日とすることにした。
アンティグアからグアテマラに戻ってきて連絡所でゆっくりする。溜まったメールの返信をする。昼寝、読書をする。もちろん日記もまとめる(笑)。こうやっているうちに日も落ちて1日があっという間に過ぎていった。
ところで…昨日ある人から聞いた大使館の草の根無償援助の話をしよう。
草の根無償とは1000万円以下の資金で途上国に学校を建てたり、井戸を掘ったり、その他機材を無料で援助するモノである。今年の2月に来たオレの大学に来た視聴覚機材もその援助の一つである。
 それで見てもらってわかるように(2月の日記参照)この援助は機能しないことが多い。なぜなら大使館の人間にはその地域の状況がわかっていないからである。住民は当たり前のことだが自分達の財産や経営力、企画力を考えずに申請をする。途上国の政治家達はだいたいの場合状況を把握せずに申請をするか、汚職絡み、地元の人気取り等で動くのが常である。もちろんそのような背景を大使館はまた知りえない。なので草の根無償の半分以上は失敗に終わっていることが多い。例えば作った井戸が使われなかったり、使用権で争いが起きてしまったり、等々。
 なのに今回参事官の大使館の命令で今年のグアテマラの草の根無償件数を去年の2倍しろ、という話になっているそうだ。なんとその参事官はイラク復興に携わっていた方で亡くなった奥参事官とも友人であり同僚であったようだ。それだけに「途上国援助」ということに力を入れたい気持ちはわかる。
 しかし明らかに空回りしているようにも見える。案件は探すものでもあるがあちらから来ることは非常に重要である。そして一番大切なのは調査。今の大使館にはそれをできる力もなければ人材も資金もない。こういった現状を目の当たりにできたことはなかなか面白ことではあるのだが、まずは改善を期待したい。

 2005年5月13日金曜日
  再会
 インターネット媒体でとある友人と5年ぶりぐらいに再会した。インターネットという新たなコミュニケーションの場が初めてぐらい活きたのではないだろうか…。普段ならあり得ないシチュエーションだろう。グアテマラにいるはずの男が日本のどっかにいる友人と再会を果たすのである。非常に奇妙なことではあるまいか?おっと、もちろん有り難いことには変わりないっすよ。この超情報化社会についていっているようでそうでもないオレだな(笑)。
 さてさて、今日は仕事で日本人の同僚と環境教育を行うためバハ・ベラパス県プルラ市に行った。例のごとくオレは首都から危ないZona 1地区の道案内をしなければならず大変だった。なぜならそのバス停はタクシーでしか行ったことがなくあまり自信がなかったからだ。しかし自慢の土地勘でどうにか切り抜けて到着した。
 バスで4時間ほど経って到着したのがプルラ市。ここに来るのはなんと3回目だったりするのだ。全くの暇人である。オレの任地からは9時間のところにあるというのに。それにしても本当に長時間移動ということに関しては疲れを感じなくなった。むしろゆっくり休めて好都合なぐらいだ。あー、明日は朝早いので今日はゆっくり寝ます。

 2005年5月14日土曜日
  計画どーりに進まないのが普通じゃないの???!!!
 早朝6時に起きて散歩した。だってこのホテル五月蝿すぎ!4時半からテレビの音や人の声。すべて部屋に突き抜けてきてよく眠れなかった。おかげでちょっと機嫌が悪くなって外に飛び出してしまったのだ。でも歩いてみるとこの街も悪くない。もちろん規模は全然小さいが6時なのにもう開いている店もある。
これはオレの個人的に好きなことなのかもしれないが、やっぱり新しい街に来たときその雰囲気を楽しむ。オレが旅行をするときよくすることである。街にはそれぞれ雰囲気や臭いみたいなものを感じる。だからその街に大したものがなかったのしても好きになってしまうことがある。ちょっとオレの可笑しな一面かもしれない。
 しかし仕事のほうはうまく運ばなかった。迎えに来るはずのピックアップトラックが7時に来ない。着いたのは9時半。そして日本人の同僚が1人激怒してしまった。そして今回の環境教育を行う地域の任地で働いている同僚を責め始めた。理不尽な話である。トラックが来なかったのは彼の責任でもなんでもない。
 一番おかしなことはその同僚はグアテマラに1年半以上も働いているので「グアテマラ人が時間に遅れる、約束を破る」等は普通に起こりえることのはずだ。しかしその同僚は納得がいかないのか相当彼を攻撃していた。オレはもちろん仕事のために来たわけだからまずは任務遂行を第一とした。仕事はなんとか無事に終了したもの…うーん納得いかん!!!相手がグアテマラ人ではなく日本人だからこそああいう態度に出たのだろうか?それにしても彼を責める権利は全くない。
 今回の件についてはいろいろ言いたいことがあるが意見がまとまってからにしたい。誤解を招くような発言は避けたいので…。

 2005年5月15日日曜日
  旅行っていいな。
 昨日仕事が終わった後、同僚、友人達と同じバハ・ベラパス県のラビナル市に行った。ここは内戦が酷かった地域だが不思議と日本人のボランティアが多く入っている地域でもある。最近は水資源が枯渇してきており、保健士としてここに来ている身としてはなんともやり辛いのでないだろうか?
実はこの地に訪れる約束があった。年明け、首都の連絡所に来ると同僚がしょんぼりしていた。話を聞いてみると健康診断の値に以上があり帰国の必要があるという。もしオレが途中帰国になったのしたらどう思うだろう?オレならあらゆる手を尽くして、またはシカトして、うーん、最終手段はデータを書き換えてでも任期までここに留まるだろう。しかしもちろんのことその同僚は一時帰国を選んだ。その際オレは約束しました。帰ってきたらいっしょに働いているバハ・ベラパス県のラビナルに行くこと。
 そんなわけでオレは約束どーりにここに来たのだ。ラビナルは思ったより都会だった。もちろん仙台や宇都宮、ましてや東京のようなことはありえないがグアテマラの中では景観のいい街に入るのではないだろうか?
 まず驚いたのは街の中央にある教会の大きさ。もちろんカトリックのどっかの会が寄付したものだろうけど、この規模の街にしてはちょっと大き過ぎな教会じゃない??作りも見事だったが中でミサが行われていたのを見ることができたのも収穫だった。歌もしっかり音痴じゃなかったし大したもんだ。
 次に驚いたのはしっかり観光化されているということ。街にはしっかり特産品があり売られている。自分達の伝統衣装も価値のあるものだと認識しているようだしなかなか凄い。そしてさらにビックリだったのは博物館があったということ。中には周辺のマヤ遺跡についての情報もあったが、しっかり内戦の犠牲者に関するコーナーもあり、必ずしもキレイな博物館ではなかったものの質の高さを感じた。
 その他、買い物をしたりラビナルにしかない食べ物を堪能した後、首都に帰った。久しぶりの国内旅行だったけどなんか新鮮だったなぁ。やっぱり新しい街を見るのっていいね。死ぬまで旅を辞められそうにないな、オレ(笑)。

 2005年5月16日月曜日
  仕事復帰
 長らく仕事を留守にしていた。アメリカ、両親と旅行、弟との研修旅行のガイド。そして最後は環境教育と自分の本職に戻れなかった。そして本日20日ぶりに復帰と相成りました。ちょっと遊びすぎたが仕方あるまい。両親が来て自分の仕事に没頭していたらそれこそ親不孝者だろ。グアテマラ人がその話を聞いたらそれこそ殺されてしまうかもしれない(笑)。
 さて、今日は任地であるシェラ県のモンロビアという片田舎に行ってきた。ここはうちの学生5人と先住民支援NGOであるCEDEPEMが協力してプロジェクトを進めているところである。なんと言ってもこれをすることにより学生は4単位をゲットすることができるのだから一応頑張っているようには感じる。日本もこういった単位授与制度を増やすべきだろう。いつまでも会社に入ってから育て始めるでは現在の制度上厳しくなってくる。
 しかしこの学生達、イマイチやる気が感じられない。殆ど住民とコミュニケーションも取らない。仕事はくだらない話をしながらペチャペチャお喋りをしている。オレが用意してくれ、とお願いしたものも全然してくれていない。いつもオレに下ネタを連呼してくるだけで質問等は一切ない。今回もそれは変わらなかった。2人の学生は早くから来ていたからか「疲れた、寒い。」といって帰ってしまった。
 それでもオレは1人やる気がありそうな学生がいたのでその人のために頑張ってみた。それにしても大学生はどこの世界もいっしょだとつくづく思う。これで就職する寸前になると急に焦りだすのだ。しかしオレも大学1年を遊び呆けた人間なので人のことは言えない。彼らはもう4年生だから多少の危機感の違いはあるだろうが理解はできる。早く気がついてほしいな、本当に自分のやりたいことを…。

2005年5月17日火曜日
  ケツァルテナンゴ−チマルテナンゴ、日帰りの巻
 朝7時に農牧省試験場の研究員であるアルマンド氏から急に電話がかかってきた。なんだと思ったら、これからここから150km離れているチマルテナンゴの試験場に行くらしい。そう、その近くにはパツンという村があり有機発酵肥料(ボカシ肥)の工場があるのだ。前からそこに行く約束していたオレは快く引き受けて日帰り旅行を承諾した。
 グアテマラの道路は山道ばかりでアップダウンが激しい。トンネルを作るお金がないのも1つの理由だろうよって150kmの道のりといっても3時間はかかるのだ。そんな行程を経て農牧省チマルテナンゴ試験場に着いた。ここには今まで一度訪れている。そのときはまだ何も知らなかったころだ。グアテマラに着いて3ヶ月目のことだったと思う。
 今度ここに着いてみるとやっぱり周りが見えるようになっていた。5年前に日本の援助が途切れたこの試験場は今台湾の援助に頼っている。政府が資金を出さない以上こうなってしまうのは仕方がないことなのだろうが、やっぱりオレはこの試験場自体の努力が足りないように思う。
 2005年5月18日水曜日
  あっという間に仕事が…
 今日の午前中の電話や話し合いで来週の予定が一気に決まってしまった。せっかくゆっくり仕事をしようと思っていたけどそうはいかないみたいだね。まあ、仕事があるうちが花です、と自分に言い聞かせておいて(笑)。
 最近大学の教授陣との会話も滑らかになってきた。カウンターパートのお葬式には呼んでいただけなかったものの以前よりは友人のように話も進むようになったと思う。やっぱりこういったことは日本ではありえないだろう。オレは24歳、しかし彼らは38〜58歳の年配たち。日本なら一笑の元にオレの意見などはシカトされるだろう。そういった意味でもこの少しでもラテン文化の存在するグアテマラに来れたことは正解だったかもしれない。

 2005年5月19日木曜日
  中間報告会
 JICA事務所で中間報告会があった。オレの活動の1年間を振り返る重要な場でもある。まあ、これまでの業務を淡々と説明しただけ、といえばそういうことになるのだが。
 面白かったのは新しくJICA事務所に来た次長。質問が鋭い。そしてうまい。どこぞのボスと比べても比較の対象にすらならない。JICAの職員はこうあればいいのか、ということが非常に良くわかった。彼を見るとオレもJICAという仕事を続けていってもいいかなぁ…と思ったりする。もちろんそれはオレが選ぶ権利はないですよ(笑)。

 2005年5月20日金曜日
  グアテマラにある日本社会
 こんな題名にしてしまいましたその通り。グアテマラには日本社会が存在する。そしてそれはもしかしたら日本のそれよりタチが悪いかもしれない。変に日本の悪い文化ばかりを継承している気がする。可笑しな上下関係やしがらみなど…正直こーゆーのは好きじゃない。でも仕方ない。諦めるしかないのだ。ここで生きていくうえで避けては通ることのできない現実である。
人の考え方は違う。相容れない関係は確実に存在する。そこでどう折り合っていくか?そしてどう調整していくか。それを楽しむぐらいの余裕がなくてはこの世の中生きていけない。

 2005年5月21日土曜日
  苦労して得るモノとは…
 この3日間本当に疲れた。人間関係とは本当に難しいものだ。しかし疲れきってしまったオレだったが不思議なことにオレに対する評価は様変わりしたようだ。今までオレのことがあまり好きではなかった日本人にナゼか好印象を与えたらしい。本当に可笑しなことだ。オレとしては何も変わっていない。いつもと同じ態度を示しただけ。いつもと同様の決断をし、いつもと同じように振舞ったはずだ。しかしオレへの評価は上がったようだ。少なくとも直接そう言われるとは思いもしなかった。もちろん誉められるのは嫌いじゃないに決まっているのだがオレ自身が何かを変えたわけじゃない以上やっぱり不可思議である。所詮ヒトへの評価とはそんなものなのかもしれないが今日思ったことは1つ。
 「誰かから賛同を得るには自分が犠牲になる必要があるということ。」前述の文章に一見関係ないように見え、みんなは何を言っているかさっぱりわからないかもしれないが、本当にこう思った。
 わけがわからん。人間関係は疲れた。しかし生きていくためには逃げることのできないことなのだ。そしてそれを超えなければ、成功もない。それだけだ。

 2005年5月22日日曜日
  健康管理員
 JICAにはいろいろなスタッフがいる。所長、最近ウチにもできた次長、調整員、ナショナルスタッフなどなど。その中でもこの人がいなければ事務所が成り立たない、という方がいる。健康管理員である。そう、1年間お世話になった健康管理員の方が29日に帰国する。はっきり言って残念だ。まあ任期は2年、いつかはお別れというのが当たり前の話なのだがやっぱ嬉しくはない。これまで本当にお世話になった。下痢になったり、ウイルス性の炎症ができたり、何があっても電話1本で適切な処置を施してくれた。本当は調整員がするはず自分たちとの大事なコミュニケーションも彼女がすべて担当していたと言っても過言ではない。もうそういったこともすべて思い出となってしまうのだ。最後に何かお返しがしたかったが何もでできなかった。うーん、残念だ…。

 2005年5月23日月曜日
  明日君がいなきゃ困る…
 初めて普通の車で首都から自分の任地であるシェラに帰った。やっぱりランドクルーザークラスになると本当に乗っていて気持ちがいい。どっかのアメリカ中古バスとは大違いだ。まああれはあれで好きなんだけどさ。
 そして、友人がまた一人グアテマラを去る。彼だけには残って欲しかった。ただ仕事ができるというだけではない。性格的にも合っていた。こういったタイプの友人がグアテマラにはいなかった。彼といる時間はまさに楽しいの一言。別にホモじゃないけど何かいっしょに仕事や旅行を気兼ねなくできる人物だった。
 正直言わせてもらえば、残念なのは彼が途中で帰ってしまうことで彼自身が失ってしまうモノがあるということである。そしてオレの後悔である。なぜオレは彼を引き止めてやれなかったのか…。自分の考えに自信がなかったのだ。でも今は確信できる、やはり彼は残るべきだ。しかしもう遅かった。彼の帰国は決定してしまった。残ったのは後悔しかない。一瞬の選択を誤ってしまった自分が情けない。わからなかったし自信がなかったのだ。そんな言い訳をしても時は戻らない。残念だ。自分がありとあらゆる手を尽くしたならまだしも…。大事な局面で力になってやれる、それが友人のはずだ。オレは失格だったということだ。
 帰って部屋で音楽を聴いていた。ふと流れてきた歌、そしてナゼか気になってしまった歌詞 「明日キミがいなきゃ困る」。

 2005年5月24日火曜日
マサテ軍団シェラに参上
 オレのもう一つの仕事先であるここ(シェラ)から1時間半の低地にある沿岸都市マサテナンゴ。1時間半だが標高差は実に2500mなる。この標高差で働くことができるオレはやっぱり幸せものだな。これは農業研究者、従事者双方にも言えることだろう。
 さてその彼らが今日はグアテマラ国立サン・カルロス大学農学部全体会議に出席するためにわざわざ山を登ってきたのだ。このタイプの会議が行われるのは初らしくそれに参加できたことは収穫だっただろうか?話したことは今各分校、そして首都の本校が行っている活動について発表していただけである。まあ、いつも通りの会議といったところだったがいろいろ見ることができたという点においては勉強になったかな?
 それより嬉しかったのはマサテナンゴでオレのパートナーとして働いているレイナルド氏がここに来てくれたことである。彼との関係は相変わらず良好で家族付き合いまである。友達も連れて行ったりしたしね。今日も何てことない話からマジメな話までいろいろできたのは本当に楽しかった。

 2005年5月25日水曜日
  バス移動だけで10時間の日
 なんと効率の悪い日だろう?バスの移動のみで10時間も要してしまった。そう、今日は隣の県であるサン・マルコス県にあるコミタンシージョという街を訪れた。実はここ地図で見ると意外と近い。しかし道路を見るとすっごい回り道だったり(笑)。結局8時に出て着いたのは1時半。2時間滞在して帰ったらもう7時半。なんてこったい…移動だけでこんなに時間を浪費してしまった。お金がないのはわかるけどもう少しトンネルとか作ってくれれば助かるのになぁ…。
 今回行った先は欧米の支援を受けているNGO、「新しい光」なんてカッコイー名前だったりする。秘書のマロキン氏は英語を話せて結構驚いた。ちょっと野心が感じられる怪しい人でもあったがまずはいっしょに働いてみないことにはなんとも言えないよね。

 2005年5月26日木曜日
  くそ〜
 大学の授業には誰も来てくれなかった。しっかり確認したにもかかわらず…非常に残念な話である。まあ、諦めも入ってきたけどさ。ここで怒っても何も始まらないしね。
 今日はだらけて仕事も様にならなかった。こんなことじゃーダメだね。

 2005年5月27日金曜日
  満足の内容
 朝5時に起きて例の隣県、マサテナンゴ市に行った。今日はこの大学(サン・カルロス大学マサテナンゴ校)で行ったクラスの総決算の日なのだ。オレはこのグアテマラでいろいろな活動をしているのだが正直言わせてもらえばこの大学の活動が一番うまくいっているといっても過言ではない。
 この大学の何が素晴らしいか?それは自主性が感じられるということである。元々はオレが始めたこのクラスなのだが、進めたのは彼らだった。そしてオレがお願いしなかったこともどんどんやってくれた。他の高校や大学のために講習会を開いてくれたり、他の栽培試験も積極的に行ってくれた。こういうケースは稀に村落で見られることであるが組織がこういった行動を見せているのはここだけである。これはオレの技量不足か?なんなのかは未だわかりえないが、ここがうまくいっているという事実はある。
 彼は時間通りに7時45分に待ち合わせの場所にいた。そして大学の農場に行ってみて驚いた…なんと今度は自分たちで肥料を作っていた。そしてクラスで作成した肥料はすべて使用していた。そちらも試験栽培に使い切っていたのだ。これにはさすがのオレも本当に驚いた。彼はオレを驚かせるためにここまで隠していたのだろうけどさすがにビックリだ。
 嬉しいやらたまげたやらの連続だったが今度はみんなの前で表彰までされてしまった。「このクラスを開いてくれて有難う」、ということなのだろうけどオレがありがと〜とむしろ言いたかった(笑)。仕事でここまで成功したのは初めてに近いぐらいかもしれない。ここまでやる気があるのならばここにもボランティアを送ってもいいかな?と思ったけどまだ早い。次の人が決めてくれるまで待ったって別にいいのだ。特に今まで過去の日本人ボランティア達がした失敗をオレも繰り返したくはない。
 満足できた日だったがそれと同時に他の仕事の充実をもっと図らねばならない、と再認識させられた今日1日だった。

 2005年5月28日土曜日
  雨季の洗濯
 5月の上旬からついに雨季になった。これはみんなが知っていることなのかもしれないけど、オレは知らなかった。ここに来る前は「雨季」とは1日中雨が降っているものだとばかり思っていた。しかし雨季というのは、まさにオレがちょっと前まで住んでいた宇都宮における夏の天気のようで、午後になると曇り始めスコールと言われている夕立のような強い雨が降る。もちろん夕立ではなく午後立といえば相応しいだろうか。午前に雨が降ることは滅多にない。長さはまちまちで夜まで降り続けることもあるしすぐに終わることもある。また午後から次の日の朝にかけて3回ぐらい降ったり止んだりすることがある。なかなか面白いもんである。
 しかし、もし洗濯をしたいのならば話は違ってくる。午前は晴れる、よってその時間に干し終えればいいのである。しかし平日にそんな時間はもちろんないことが多い。最近は休日でも仕事が入るため、そうはいかないことがある。ここに住むようになってから洗濯自体は洗濯屋さんに任せている(1回80円ぐらい?)ので、そんなときは午前中に干す時間が取れる日の前日閉店間際に飛び込んで行き明日の一番で洗ってもらうように頼む。そして次の日に悠々と洗濯物をもらい干す。これをすれば8時から〜12時の間は仕事もできる。なかなか面倒くさいでしょ?
 そう、今日はその日だったのだ。無事計画は成功して久しぶりの洗濯も無事終了した。長期間できなかったおかげでパンツが切れてしまい海水パンツをはいて過ごしていた(笑)。あ〜よかったよかった。これで普通の人間に戻ることができた♪♪
posted by mi corazon como el pacifico at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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