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2005年10月31日

Happy Halloween !!!

日本はあんまりお祝いしないけどこっちバリバリやるみたいです。
オレはどう変身するのでしょうか???
と、いうことで外国人が喜びそうな変装(これがヒント)をして友人宅に繰り出していきます。

いいのがあったら初のブログ写真アップでもすっかなー。
posted by mi corazon como el pacifico at 09:57| Comment(2) | TrackBack(2) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月27日木曜日〜28日金曜日

 2005年10月27日木曜日
  裕福ということ
 本日はうちの大学とINFOM(地方振興庁)で始めたプロジェクトの最終授業だった。午後2時に待ち合わせの予定がハリケーンで壊れた道路が治っておらず結局5時着だった。まあ予想していた事態だったのでさほど慌てることはなかったがもう少し早く来てくれたらいろいろやりたいことできたんだけど…。
 到着してからはまず化学実験室に来てもらい現状がどうなっているかを説明した。かなり興味を持ってもらえたらしく、モノの援助も入る可能性がありそうだ。オレはなるべくジャマはしないように聞いているだけにしていた。やっぱ彼らが主体でやってくれなきゃ意味がないからね。
 その後今期最後になるであろう授業が始まった。内容は大腸菌分析である。これは微生物に関する水質分析ではベースとなるものなのだが、やはりINFOMのホルヘ・マリオは教え方が上手だ。元教師というのはここで役に立つのか…。オレも塾講師や家庭教師のバイトが少しは役に立っているのかな??あまりうまく教えることができているようには思えないのですが。
 無事に授業も終了し、うちの教授であるメンデス氏、マリオ氏、マリオ氏のパートナーである日本人ボランティアといっしょに食事をした。今日はオレの誕生日を教授陣全員で祝う予定だったのだが、授業が9時を過ぎてしまったためみんな帰ってしまったらしい。まあオレにとっては仕事のほうが大切なので問題なし。そしてこうやって今4人で祝ってもらっているし。
 それにしても思うのはメンデス氏やマリオ氏の人柄である。本当に考えられないぐらい性格が良くて優しくて親切。ここまで揃ったグアテマラ人はそういない。もちろんこれらは余裕から来るものだ。メンデス氏は薬局、医療器具の会社を経営し、車は4台、家も3つ持っている。マリオ氏はメンデス氏ほどではないものの省庁の分析部門トップである。よって給料は安定している。彼らが元からいい人間であることには違いない。しかしこの余裕というのは大きい。裕福であるということがいかに大事か?、ということがよくわかる一面である。オレだって同じこと。どんなに失敗したって死ぬことはない。日本に帰れば何かしらの仕事はある。選ばなければ失業ということはこの年齢ではまずありえない。反対に言えばグアテマラではその余裕がない人々が多いからいろいろと付き合っていて難しい面がでるのであろう。入国してから半年は人間関係に苦労した。今まで海外に行こうがどこに行こうが友人は同じだと思っていた。しかし途上国は違った。正直面食らった。でも今はある意味悟りを啓いてしまったので楽になった。やはり先進国、途上国の差はこんなところでも出てくる。それがわかっただけでもここに来た意味があったかもしれない。

 2005年10月28日金曜日
  コンサルを訪ねる、高校卒業パーティー
 午前中はINFOM(地方振興庁)とプロジェクト行っているケツァルテナンゴ県水道公社に行ってきた。そこは日本の援助で水道整備を行っており日本の開発コンサル会社から何人か日本人が派遣されているのだ。会社はK和とH間である。わかる人はわかるでしょうね。まあ1つはコンサルとしてそんなに有名ではないけど。
 コンサルで派遣されているM氏は非常に気さくな方だった。話も滑らかで聞いていて面白かった。それ以上にためになったのはコンサルの現状である。やはりなかなか難しい面がある。オレも日本の就職でココを候補に入れているが、もし仕事をすることになればかなり難しいだろう。日本の本部とグアテマラの板ばさみになって働くというのはかなりストレスを感じると思う。もちろんやりがいもあるし将来のキャリアのことを考えると働く価値があると思う。
 今日は4つも仕事が重なっていて最悪だった。どれ1つとしてちゃんとこなせなかったためちょっと自己嫌悪。こーゆーときは減らしてでも1つ1つしっかり締めないと。かなり反省です。しかし仕事に進展があったことも事実。やっとコミュニティーレベルの仕事も再開できることになりそうだ。こいつは正直ありがたいっすね。
 さて、夜は高校の卒業式パーティーに呼ばれた。同僚の息子さんが高校を卒業したからだ。グアテマラは高校卒業がかなり大きな意味を示すらしく卒業パーティーとしては非常に大きい。今回も家にコックさんをよんで料理を作らしていた(とは言ってもタコスだけどね。安いはず)。招待者も50人ぐらいいて家の駐車場まで使って頑張っていた。
 オレもアホみたいに飲まされて1時半まで帰らせてもらえなかった。だから明日仕事なんだって…と言っても全然通じませんでした(笑)。でも優しい家族と親戚だった。もちろん彼らが人間として本当にいい人物であるからには違いないが。紆余曲折あったけどこの同僚と働くことができたのはオレにとってラッキーだったと今でも思っている。
posted by mi corazon como el pacifico at 09:51| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月28日

一息です。

仕事の進みが悪い。
っていうか読んでいる資料があまりにもつまらないのだ。
正直直してやりたいところだが国連ボランティアの仕事にオレがケチをつけるのはおかしいだろう。まあ、明日必要な項目だけはしっかり加えてもらうように言おう。オレが書くと言えば了解もらえるだろう。企画としてはなかなか興味深いと思う。後でもう少しオレがデータを加えて完璧なものとしたい。
posted by mi corazon como el pacifico at 06:17| Comment(0) | TrackBack(1) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月25日火曜日〜26日水曜日

 2005年10月25日火曜日

  本来の仕事に復帰

 完全に仕事復帰を果たせたようだ。今日はNGOを2つまわって両者とも従来の仕事を続けていくことを確認した。前日と違って素晴らしい進展だ。もちろんハリケーンの被災者を助けたい気持ちはあるけど残念ながら彼らに効果的な援助ができるのはオレではない。経済力が一切ないからだ。そう考えるとオレは従来行ってきたことを継続したほうが将来のグアテマラのことを考えると明らかに貢献度は高い。そう割り切ってこれからは仕事するしかない。思わず目先の食料を捨て教育に従事したある江戸時代の話を思い出してしまった…。
 さて、今日のメインは国連食糧農業機関 (FAO)とチリの国際協力組織から仕事の以来が来たことだ。今まで国連ボランティアと仕事をしたことはあったが、国連組織が直接かかわっている仕事に加わったことはなかったので興味があった。もう1つはラテンアメリカの組織が国際協力の技術援助としてここに派遣されていることだ。当然のことだが農業で考えれば日本の技術を伝授するよりも彼らの技術のほうが数段グアテマラに合っているに決まっている。オレもここに来たときは半年から1年ほどここの農業を見て、学ぶ時間が必要だった。もちろんチリだって違うかもしれないがオレらよりはよっぽど吸収も早いだろう。スペイン語もネイティブだし。
 そんなこんなで午後、農牧省で待ち合わせをした。そこで現れたのはちょっと太ったチリ人女性だった。メキシコでもそうだったけどなんで農業関係者の女は太っているのだろうか…おっと、中南米限定ですよ(笑)。彼女と30分ほど自己紹介と雑談をした後本題に入った。非常に知識のある方だった。チリは中進国と聞いていたがそれは間違いない。オレの予想だと彼女はチリでも最高レベルの農業学者さんではない。しかし技術、知識の守備範囲は広かった。そして一番尊敬すべき点は人の技術や知識を学ぼうというやる気がすごく感じられることだ。さらにわからないことを恥とは思わずどんどん質問してくるところも素晴らしい。これは日本人だってできないことだ。
 そんなこともあり話はトントン拍子に進み再来月からプロジェクトをいっしょに進めることにした。オレも南米の卓越した技術をいうものを学んでみたいこともあり、彼女の計画に参加できるのは本当にありがたい。もちろん今日は話だけだったので実際は見てみなければわからないというのが正直だ。話したところはグアテマラ人よりよかったが仕事ぶりをみないことには何も始まらん。口八丁の中南米人もかなりいるからな。彼女はそうでないことを祈っていますが。


 2005年10月26日水曜日

  Salsa Show !!!

 大学の仕事もついに再起動し始めた。来週片方の授業はなんとか締めまで漕ぎ着けることができそうだ。今日の午前中SOSEP(大統領夫人の慈善活動組織)に行ってきた。さすがは慈善活動ということでなかなか忙しそうだった。まだハリケーンの食料配給等が終わっていないからだ。これは昨日農牧省に行ったときも同じだった。まだ大量の援助物資が倉庫に置いてある。これらの半分は本当にしっかり考えて行ってほしい。特に半年1年を見据えた計画を立てなければ後で大変なことになる。
 さて、今日のメインは夜のサルサ。今日はなんとショーがあった。夜中の9時スタートだったんだけど始まったのは10時ごろだっただろうか?それにしても上手かった。オレは一生かかってもあのように踊れることはありえないだろう。サルサは本当に奥が深い。数百もある技の1つを選んで、相手にそれをたった2本の腕とアイコンタクトのみでリードしなければならない。しかもそれをリズムにのせてやるというのだからありえん。
 寝不足になりそうだが明日はまたちょっと忙しい。金曜日も分単位で予定が動きそうだが夜になってしまえば全部オシマイ。ゆっくり休むことができるはずだ。それまでの辛抱。ちょいと頑張りますかな。
posted by mi corazon como el pacifico at 06:12| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月25日

25歳

グアテマラで2歳も年をとってしまいました。
ここに来てよかったこと、たくさんあった。悪かったことなんてないんだけどそれは帰ってから急に自覚することになるだろう。
でも後悔せんよ。オレが選んだこと。わかっててここに来たんだし。愚痴りはするけど、たぶん(笑)。
posted by mi corazon como el pacifico at 16:56| Comment(3) | TrackBack(0) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月23日日曜日〜24日月曜日(誕生日の話)

 2005年10月23日日曜日
  誕生日とその結末
 朝起きたのが9時。もう日本では誕生日をむかえていたわけだ。しかし実際に生まれたのは午前2時前後だったはずなので11時ごろがオレの性格な誕生日だったはず。オレはそのとき、最近の日課となったいつもの喫茶店でジャズライブコンサートを聴きながらグアテマラ産のうまいコーヒーを飲み、新聞に目を通し、幸せに浸っているところだった。なんと幸せな誕生日だろうか。
 その後、喫茶店にいた友人たちみんなで奥歯山(muela)と呼ばれているケツァルテナンゴ市、隣のアルモロンガ市全体が見渡せる山を登山することになった。この山は103年前まで中米で一番高い山(4500mぐらいだったとされる)だった。しかし噴火の後大きく山の形が崩れて現在の高さになってしまった(3000mぐらい)。
1時間半ほどの行程だったが頂上は本当に美しい景色だった。誕生日にこんな眺めのいいところに行く機会が得たことは幸運としか言えんな。記念撮影もしてしまった。いっしょに登った人たちは初対面だったけど登っているうちにみんな打ち解けて仲良くなった。こんなときよく思うことは「本当に英語が話せてよかった」である。やっぱりこいつがなければ今の人間関係を築くことは不可能に近かった。そしてどんなときでもどんな人種でも話せる確率が一番高いのは英語である。この点で人生においてオレの1つの選択肢は間違っていなかったということだ。
 夜はシェラにある唯一のイタリアレストランで誕生日を祝ってもらった。なんと2人以外はみんな初対面である。みんなの優しさを痛感してしまった。しかしここからがお題の「結末」である。なんと帰ろうとしたら自転車が盗まれていることが判明した。なんたる失態!!! 1年半お世話になった愛車とオサラバすることになってしまった…無念だ。そして非常に不吉だ。今年はもしかしたらとんでもないことになるかもしれん。またはグアテマラで言えば明日が誕生日なので不幸はすべて去ったとも考えられるか…(苦笑)。

 2005年10月24日月曜日
  2日目の誕生日?笑?
 絶不調の朝だった。日記が書いていなかった時期に起きたことだけど…。オレが来グ当初いっしょに働いていたパートナーは現在の教授たちではなくJenner(イエネル)氏だった。しかし過去の日記が示すように彼は自分の会社に多忙で教授職をほったらかしにしていた。授業は3回に1回はなかった。研究などはしていなかったに限りなく等しい。そんなこともあり去年の12月オレのスペイン語が論破できるまで上達したときオレは彼とちょっとした口論になった。そのときオレは彼にはっきり言った。
「この現状ではあなたと働くことはできない」
こういって話は決裂したのだがまさかこれが彼との最後の会話になるとは思ってもいなかった。その後、彼は突然入院してしまう。肝臓癌だった。すでに2年前に肝炎を患っていた彼に復活の道は閉ざされ後は余生をおくるだけという状態だった。よって彼は1ヶ月で退院した。オレは気がつかず彼は次の学期には復活してくるのだと本当に思っていた。
 しかし彼は亡くなった。しかもそのときオレは来グしていた両親と旅行中だったので争議にすら立ち会うことができなかった。本当は最後にもう一度会ってお礼を言いたかった。確かにオレは彼と合わなかった。彼の大学に対する仕事のやり方は明らかにおかしい。授業がない日はサインだけして帰るのでは確実な給料泥棒だ。しかし、しかしだ、彼はオレをグアテマラに呼んだことは事実。彼がJICAの職員と交渉して、面倒くさい書類を書いて、4時間かかって首都まで行って本部を訪ねたことは事実だ。彼ナシで今のオレがなかったことは間違いない。だからこそお礼を一言でいいから伝えたかった。
 そう、その彼が今日夢に出てきたのだ。もう記憶がはっきりしないが彼はいつもと同じような感じだった。ちょっとせっかちで怒りっぽくて。。。なんで誕生日の日に夢に出てきたのだろうか。そしてそこでもオレはお礼を言うことができなかった。

 長くなってしまったけどだから目覚めの悪い朝となってしまった。そして思ったとおり悪いことは重なる。最初の仕事はキャンセル。そして次のNGOに行くとハリケーンの援助活動で年明けまでオレとは仕事ができないとのこと。自転車を紛失した昨日といい不吉な兆候がそのまま現実のものとなっている。やばい…。
 しかしその後は悪いことはなかった。誕生日ということでいろいろな人から祝福された。特に友人たちからの祝福は本当に嬉しかった。中には遠くから電話してくれた人もいて感動。語学研修時代の友人マヌエラはアンティグアから電話をくれた。隣人のクラウディアはわざわざ仕事終了後すぐに携帯で。でも一番嬉しかったのは同僚のメンデス氏がアポなしで夜10時にウチのアパートをいきなり訪ねてきてプレゼントをくれたこと。これには本当に驚いた。そして同時に彼のハートが本当に大きいということがよくわかった。彼の誕生日はオレが祝ったるぞ♪
posted by mi corazon como el pacifico at 16:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月23日

新記録かもな

連日のブログ更新ってけっこう凄いかも。
これからもこのペースでしっかりと書き続けられるように頑張ります。
posted by mi corazon como el pacifico at 16:14| Comment(0) | TrackBack(1) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月21日金曜日〜22日土曜日

 2005年10月21日金曜日
  本職再開か?
 今日1日かけていろんなところをまわりオレの従来やっていた仕事を続けられるところはないかお願いしてみた。恐らくまだわからないが話してみる価値はありそうだ。幾つかの仕事は来週から再開できそうな見込みになってきた。これは嬉しいことだ。残念ながらこれらの地域は被災地ではなく、被害を間逃れた地域である。でもオレが今グアテマラにできる一番有効なことは彼らの援助ではなく従来の仕事を全うすることだと思っている。なぜなら自分には経済的な支援ができない以上彼らを救うことができないからである。こうやって技術援助、持続的可能な開発を行うために来た人にはハードな援助が必要な災害を助けるには向かない。これは仕方のないことだ。もちろん援助を得るための最大限の努力はするつもりだけど従来の仕事を捨ててまでそれに没頭する気はないし、それはグアテマラのためにもならないと思う。
 最近思ったことなんだけどグアテマラ男性ってのはすごい。女に対するアタックがハンパない。あれがマネできない以上オレもグアテマラ人の彼女はできるわけがないな。しかしあんな恥ずかしいことよくできるなぁ〜って思ってしまう。日本人男性はグアテマラ人彼女ができないというけど今日それがよくわかった気がする。
 カゼはよくなった。ノドがちょっと痛いが明日起きた頃には全快しているだろう。薬の力に頼っただけあり1日で回復した。今日もう一度休んで確実に菌を駆逐せねば。

 2005年10月22日土曜日
  久しぶりの全休
 カゼが完全によくなっていなかったので今日は全休にすることにした。月曜日から始まる仕事のことを考えるとこの選択が一番良いと自分で判断したからだ。
 そして一昨日ドタキャンされたスペイン人の隣人と連絡が取れて急遽日本食を作ることにした。作っている間にかなりいろいろなことについて話したんだけど非常に魅力的な人物だった。そして例のスペインNGOであるInter Vidaの実態についても聞くことができた。結論から言わせてもらえばよくあるタイプのハード援助重視のNGOでもっとも役に立たない活動をしていることがよくわかった。モノをあげても何も起きない。援助をするだけじゃ人は育たない。みんなしっかりと開発学を勉強してほしい。オレだった3、4冊本を読んだだけだけどこういったタイプの開発手法が通用しないことは火を見るより明らかである。
 このNGOはスペインから得た莫大な寄付を使って学校を作り、さまざまな物資を与え活動を行っている。スペインは直接現地運営の運営にはかかわっておらずグアテマラ人が殆どである。オレの隣人を含めてグアテマラにはスペインから3人しか派遣されていない。そして彼らも運営をするのではなく一般業務を担当しているだけである。これによっていろいろな問題が生じていることは確かである。汚職や技術、知識不足により運営麻痺が主な問題であろう。これらの問題に気がついているのか?それとも気がついていても直せないなのかどっちか知らんがこういった団体が存在する限りオレの仕事も妨害を受ける。自分の手法はモノの援助は行わない。よってもちろん人々は援助をしてくれるほうに行ってしまう。
でも長期的な視点で考えればどっちが役に立つか明らかである。片方はモノの援助をしつつ活動を支援していく。もちろん技術援助はそれを通してするが、それらの援助が切れた瞬間、今まで行ってきた技術もそれらの機材がなければ続けることができない。もう一方は元からある、彼らが持っている、または経済的に手に入れることができるもの用いて生活向上を図る。この場合は例え援助が切れようが何をしようが続けることができる。技術も彼ら次第だがさらに工夫することも可能である。
 しかしこういった手法はニンジンぶら下げた馬手法には勝てない。そりゃモノ上げますよって言ったらそっち行くよ…(笑)。ま、そんなわけでなかなかうまくいかないね、この仕事も。援助する側ももっと勉強しなければならないということ。何か新しいことをするなら必ず学び続けなければならない。そして王道はない。これらのことをわかってもらわんといつまで経っても金の無駄、開発の停滞を招くだけ。日本のODAだってムダに使い続けることになるだろう。
 そんなことを話しながら(本当はもっといろんなこと話したんだけど)日本食も無事美味しくできて喜んでもらえた。これでまた日本人の株が上がったはずだ(笑)。そんなことをしていると彼女の携帯がなってどうやらグアテマラ人の友人が来るらしい。しかもその男といい感じだということだ。これは一目見る価値があるかな、と思って待っていた。
 彼は思ったとおり好青年だった。しかしいろいろ話している間に夜も更けてしまいなんか彼らが怪しい雰囲気になってきた。確実にオレはお邪魔だなぁ〜と思い退散することにした。適当な言い訳をつけてね(笑)。でも帰った後何かあるのかと思ったら外のドアが開く音がした。恐らく彼は帰ったのだろう。何か起こると期待して気を使ってあげたんだけどまだ時が熟していなかったらしい。ま、頑張ってくれって感じですな♪
posted by mi corazon como el pacifico at 16:11| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月22日

余談だけど

そうそう。この日記時差もあって必ず1日送れて届きますが、実は日本とは15時間差だということを認識して読んでいただけると嬉しいです。
けっこう頑張ってリアルタイムで更新してるってことを見せつけたかっただけ(笑)。
posted by mi corazon como el pacifico at 01:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月19日水曜日〜20日木曜日

 2005年10月19日水曜日
  サルサとジャズ
 昨日友人のホームパーティーでライブジャズを聞いたときにふと思った。「ジャズってサルサと似てる。」リズムが近い。旋律も似ている部分があるように思う。もちろんジャズにはあの情熱的な感覚を感じることはないけどなんとなくそう思った。でもサルサのルーツってジャズから来ているんだよね。もちろんジャズだけじゃないよ。だから考えてみたら普通のことだな、と妙に納得してしまった。
 今日の仕事は午前キャンセル、午後はミーティングがあってあとはお願いされていたものを農学部の女性教授に渡した。ウチの農学部は2人女性の教授がいる。男性の力が日本より強いグアテマラでは頑張ってほしい人たちだ。ミーティングの1つは被害状況調査結果についてだった。どうやらしっかりまとまったそうなので(かなりの疑念…)そいつを頂戴しにいくとしよう。
 次の日が革命記念日で休日。よって今夜はちょっとグアテマラ人と遊びに出かけた。ビリヤードをやったんだけどさっぱりだった。やっぱ久しぶりにやって力が出せるはずがない。まず打ち出すときに重心がブレていた。これじゃー話にならんな。でもダメなりに楽しんでました。またやれたらいいな。
 1日中ずっとおかしかったノドがさらに酷くなってきた。眠っても3時間で起きてしまった。恐らくカゼだ。ということで今日記を書いています。明日が休日でよかったと一安心ですが、実は8時にあるNGOとミーティングがあるので完全な休みではありません。もちろんその後はゆっくりさせてもらう予定ですがね。

 2005年10月20日木曜日
  革命記念日=体調最悪
 なかなか素晴らしい革命記念日となった。ノドが痛い、鼻水がでる、そして倦怠感、これは明らかなカゼだ。ミーティングが終わって帰ってくるとかなりフラフラ。しょうがないので寝ることにした。起きたら午後になっていた。昼飯を食べてちょっと用件をこなす。せっかく調子がよかったのにまたフラフラしてきた。そしてまた寝る。不覚にも薬に頼ってしまった。この前のウイルス性の風邪が長引いたこともあり今回は初期段階で処理したかったからだ。こんなんでいいんだろうか。いつも食事と睡眠だけで治していたオレからすると邪道な考え方だ。もう少し様子をみてから使ってもよかったかも…。
 仕事のことを考えると病気は無理やりでも治さなければならないと思ってしまう。社会人が胃薬などどうでもよい薬を常用する理由がわかってしまった気がする。半端な社会人としてここに来てしまったがオレも彼らの仲間入りをいつの間にかしていたんだな。もちろん仕事の効率を考えたら彼らにはまだ全く及びもしませんが。
 今日は隣人のスペイン人と日本食を作ることになっている。彼女達はInter Vidaというスペイン関係の援助団体で働いている。このグアテマラでは非常に有名なのだがイマイチ実情がわからない。同僚の大学教授に聞いてもあまりいい答えが返ってこない。それがナゼなのかオレにはずっとわからなかった。だから今日はちょっとそのことを解明するチャンスなんじゃないかと期待している。
 と思ったら見事にすっぽかされた。さすがはスペイン人。ラテン人を形作っただけはある。侮れないな(笑)。ヨーロッパ人と言えどもこれからは注意します。
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2005年10月19日

ふー。

唇が荒れている。栄養不足だからだろうか?それとも心身的な理由だろうか?

わからんが何か不安を抱えつつ生きるというのは楽じゃない。だからといって悩みの無い人生を送ったらそれはそれで張り合いがなくて疲れてしまうんだろうな。月曜日から金曜日があるから土日が待ち遠しい。毎日が休日だったら人間は休みに飽きてしまうのだ。なんとワガママな生物だろう、人間ってのは。

ってなわけでそれと同じように問題があるからこそ人生って張り合いがあるんだよね。
そう思って頑張ってみようと思います。
posted by mi corazon como el pacifico at 16:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月17日、18日

 2005年10月17日月曜日
  やはりグアテマラ
 せっかく学生が死ぬ思いで頑張って集めてきた被災データがあまり有効活用されていない。例えば何ヘクタールの畑が被害を受けたか?という項目では、なんと元々どれだけの面積の畑がケツァルテナンゴ(シェラ)県にあるのか?っていう資料がないため、せっかく調べたものも本当に結果が意味をなさない。ちゃんとデータとして扱ってくれるのか非常に心配なところだ。まあグアテマラのことだから他の県はもっと酷いデータを提出するから大丈夫なんでしょうが…正直笑えんよ、この現状。
 それ以外にもまとめ方が非常に悪い。オレの学生のときの卒論ぐらい酷いまとめかたなんじゃないか?というぐらい。明日までに22コミュニティー分のデータを全部直すことなんて絶対できないのでオレは諦めたほうがいい。と忠告してしまった。実際厳しいと思う。週末のうちに話をしてくれれば土日で気合を入れてなんとかしてあげたのにー。
 今日面白かったのはウチの大学にドイツの交換留学生が来ていたこと。なんでも中米自由貿易協定に関するグアテマラの影響について調査するために来たらしいのだが。ふむ、どうやら挫折したらしい。学生達とその計画を推し進める予定だったようだ。もし教授陣ならけっこう凄腕の男がいるからそいつを紹介してもよかったのだが、彼らがそうはしたくない以上もうあれこれアドバイスをするのは止めておいた。しかしこの大学に来るんだったら文型だろうな。理系だったら確実に失望して帰国することになるでしょう。文型は心理学やその他面白いものがあるだろうけど。

 2005年10月18日火曜日
  ホームパーティー
 久しぶりのことじゃないだろうか。アンティグア以来だろう。友人の家でホームパーティーがあった。もちろんこんなことをするのは白人です。グアテマラ人はあまりそういった習慣はないようです。家族単位ではあるみたいだけど。友達同士ってのは少ないのかな?もしかしたらあるのかもしれないけどオレが知らないだけかな?
 久しぶりにリラックスできるかな?と思ったけどそうでもなかった。やっぱりこれからの仕事を考えたり、他のことを心配しているようだ。オレって不器用な人間だからこういうときってどんなに面白いことがあっても素直に楽しめないことが多い。そのときだけ忘れてバッチリ暴れよう、とかやっぱりできないな…。
 明日はいよいよオレの元の仕事が進むか進まないか話に行く。どちらにせよいい結果が出てくれることを祈っている。やっぱり援助活動をするより本来やってきたことをするのが将来的に見ればこの国のためになることだから。そして元々この仕事を専門としてやってきたわけだからなおさら。
 汚職大国ランキングが発表された。日本は21位。グアテマラは南米ではボリビア、エクアドル、それからあのアフガニスタンといっしょの117位。ま、そんなもんだよね。もっと酷いと思ったけどマシらしい。しかし中米ではビリ。頼むよ〜、あんたらが良くなってくれないとオレら外国人がいくら頑張ったって発展はないんだから。それを認識してくれるまで本当は援助をしないのが筋なのかもしれないけど。
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2005年10月17日

いやー、疲れた

 密度の濃い週末でした。でも楽しかったよ。シェラに来て1番ぐらいかもしれない。
チャリティーコンサートは完全にシェラの人たちだけで行われたもの。本当にこの街の絆は強いと感じた。もちろん非協力的な人だってたくさんいるけどさ。でもここ本当に好きだな、オレ。
帰るのが余計辛くなっちまったな。あと半年だって言うのに…。
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2005年10月13日〜16日

2005年10月13日木曜日
  みんな無事だったらしい。
 メキシコのチアパス州にいた3人の無事も確認できた。これで日本人の友人で災害に巻き込まれた人はもういない。はー、ホッとしたよ。これで何の心配もせず自分の仕事に打ち込むことができる。
 ウチの家主に会った。ハリケーンに巻き込まれて5日間シェラに帰ってこられなかったが元気だったようだ。ちょっと近況を話したりしているとなんと土曜日に経営しているスペイン語学校の学生を連れて援助活動に行くらしい。オレも是非行きたいとお願いして連れて行ってもらえることになった。ケツァルテナンゴ県はある程度まわったけど隣のソロラ県はまだ被災後一度も顔を出していないので心配していたところだったのだ。薬を配ったり家を建て直したりするのを手伝うらしいがホントにここの家主には頭が下がる。いつもはジョークばっかり言っているが収入の20%は母子保健分野、環境事業に、今回もこうやって語学学校の生徒を連れて援助活動に行くなんて本当に偉い。
 データのほうはもう少しというところ明日には絶対揃っていてくれないと後がどうにもならん。週末データ処理を一生懸命やりたい。この時間を無駄にしない手はない。来週からは普通の大学に戻し通常通りの日々を再スタートさせる流れを作るのだ。

 2005年10月14日金曜日
  さて、週末
 US Peace Corpsの友人が電話をしてきた。なんと今週一杯シェラにいて任地には帰れなかったらしい。それもそのはず、彼の仕事場はサン・マルティン・サカテペケス。ここは今回のハリケーンではうちの県でもっとも酷い被害を出したところだ。まあ、サンタ・マリア・ヘススもかなり厳しい状況にあるが…。そんなわけで今週彼はストレスがたまっていて遊びに行きたいみたいなので夜はクラブに行くことが決まった。
 最近の悩み事といえばガスがないこと。ここ最近外食するとき以外はご飯とパンしか食べていない。ガスがないからそれしか料理できないからなんだけど、もうそろそろなんとかならないかな…と思って今日も電話したけどやっぱりダメ。ここの人は正確な日にちを設定せず「月曜日には届くよ」なんて言うもんだからホントに信用できん。まあオレも慣れたけどさ。あとは部屋の半分を明るくしていた蛍光灯があったんだけど今日はこいつを買うことはできた。新しいだけあって一気に明るさが増し部屋にも活気が戻った感じがする。

 2005年10月15日土曜日
  もっとも被害が大きかった被災地へ
 昨夜は約束どおりクラブでしっかり踊ってきたんですが今日は6時半に起床。お願いしていたウチのアパートのオーナーが行っている援助活動にお邪魔した。語学学校の学生も集まって全部で25人ぐらいはいたかな?こんだけ人が集まれば十分だ、ってぐらい来た来た。ワゴンとピックアップトラックがあったんだけどオレはピックアップの荷台に乗りました。語学学校の人たちは慣れてないからやめたほうがいいでしょう(笑)。
 目的地に着くまでがすごかった。たった30kmの間に27箇所も土砂崩れの後があった。酷いところは未だに一方通行で交通整理の警察がいるぐらいだ。高速道路から田舎道に入ると今度はおかしな光景が見えてきた。なんだか知らんがビニール屋根の小屋が畑に点々と建っているのだ。後からわかったことだがこれはなんと土砂崩れで村ごと失った集落が臨時のために土地をかりてそこに小屋を作って住んでいるのであった。あんなビニールの下に住んでいるのはさぞかし寒いだろう。朝の基本は一桁だ。
 着いた目的地の村も同じだった。屋根がトタンだったことが唯一の違いだがそれ以外の現状は同じこと。電気も食料も水もガスもない。援助が着ているから前3つは揃っているようだが、それの援助も何れは止まってしまうだろう。
 さて、今日の任務はそのトタン屋根の小屋を作ること。急場しのぎだが必要なものだ。後は薬や注射、診察など。でもそれはオレの専門ではないのでオレは大工さんのほう。でも材料も針金、木材、トタンしかなかったので建設には非常に苦労を要した。他のボランティアと力を合わせてなんとか形らしいものもできた。雨水が入ってこないように排水溝も作った。こうやって働くとみんなの性格が見れて非常に面白い。几帳面だとか根気強いとか、なかなか興味深い一面が表れたりすることもある。もちろんみんなからみたオレがどうだったかは知りませんが(笑)。
 途中村人と話をしていて愕然とした。なんとハリケーンが来てすべてを失ったとき初め彼らは6時間あるいて食料を確保しに来たそうだ。しかもかなり険しい山道だ。恐らくだが800mアップとダウンを繰り返すような道のりのはず。そうとう厳しかっただろう。でもそうする以外に方法はなかったのだ。もし自分がそうなっていたら…ってことを本当に考えさせられてしまう瞬間がそこにあった。
 帰りは恐ろしいものを見てきた。高速道路のグアテマラシティーから162kmのところで川が氾濫して道路が流されたというニュースを新聞でみた。ここは170km地点だったのでその現場を見に行ってみないか?といわれたので被害の状態を確かめるためオレも行くことにした。着いてみると本当にビックリだった。今まで道路だった部分が50mほどえぐりとられてその間に深さ10mぐらいの谷間ができているのだ。現在その下に流れている川は本当に小さい。半径1mあるかないかだ。こんな川がどうやってこの道路を流したのか検討もつかなかった。よってこの高速道路が完全復活するのは1ヶ月以上確実にかかるだろう。あるいはもうこの道路自体を修復せず違う道を通す可能性もあるだろう。
 帰りのピックアップトラックの荷台はなかなか寒かった。しかし頭から出てきた歌を大声で歌いながらひたすら耐えた。今日行った集落のみんなはもっと寒いところで毎日を過ごしているのだ。こんなことでへこたれたら笑われちまう。
 彼らは今まで住んでいた村をあきらめるらしい。そして今臨時で住んでいる土地に永住することに決めたそうだ。非常に複雑な気持ちになった。自分が今まで何十年も住んできた故郷を捨てるってどんな気分だろう。オレだったら涙が止まらんかもしれん。思いでは残るかもしれない。でもやっぱり辛いだろう。パキスタンは死者が4万以上になるそうだ。死者の規模も違うが友達は地震の日にもブログを更新していた。やっぱパキスタンってかなり発展している国なんだなぁ。

 2005年10月16日日曜日
  楽しい休日
 朝ゆっくりめに起きた。でも友人が喫茶店でジャズやってるのでそいつを聞きに行く予定だったがその前に洗濯物を干しにいった。そしたらハプニング。なんと屋上で4回のスウェーデン人が裸で日光浴をしているではないか。まあタイでもそーゆーのを見たことはあったけどさすがに困ったな。まあ気にせず普通に「ゴメンね〜」って言いながら干すものだけ干してサイナラしたけど。1コメント言い加えると胸のサイズは大きかったと思いますよ(笑)。
 さて、気を取り直して新聞を買った後いつもの喫茶店へ。自家挽きコーヒーを飲みつつ、生のジャズを聴きながら、朝刊に目を通すなんて本当にオレは幸せものだ。しかし新聞のコラムの意味がわからず苦心。うん、やっぱ専門以外のスペイン語を読む力はまだまだ浅いようだ。緊急の際のセキュリティーに関することだということはわかったのだが表現がなにやら難しかった。オレもまだ甘い。
 昼食は友人宅でご馳走になった。まだガスがないここは炭を使っている家庭が多いようだ。諦めて炊飯器でご飯だけ食ってんのは恐らくシェラでオレだけでしょう(笑)。でもそれがバーベキューみたいで楽しかった。ラムカクテルの一種であるピーニャコラーダを作って飲みながら魚、ジャガイモを焼く。友人の友人は初対面だったが和やかなムードで本当に休日という感じだった。
 夜は他の友人たちとチャリティーコンサートにいった。シェラの国立劇場にはたくさんの援助物資が集まった。そう、チケットの買う代わりに援助物資がコンサートチケットになったのだ。オレは砂糖5ポンド、フリホール豆(グアテマラでいえば大豆ぐらい重要な食物)を2ポンド持ってきた。
今日ジャズセッションをやっていた友人といっしょに聞いていたのでちょっとコンサートも批評を交えて聞いていた。最初の2つは明らかにオーディオチェックを怠っていたのがよくわかるデキだった。ピアノ、サックス、フルート、ベース、コンガ、ドラムだったんだけど、ドラムがうるさ過ぎて他が何も聞こえなかった。フルートなんて殆ど皆無に等しかったぐらいだ。恐らく実力はあったのにこんなことで評価を落としてしまって勿体無いなぁーと思ってしまった。リハーサルをしなかったのだろう。普通新しいホールを使うなら最低でもやらければならないことをサボったからこうなるのだ。
 でも最後の2つは素晴らしかった。特に最後はSombrero Negro、日本語では「黒帽子」というグループだったんだけど本当にうまかった。メジャーデビューしたらいいのにな。あそこまで上手ければ全然問題ない。っていうかそこらのプロよりうまかったようにオレは感じたけど。果たしてクラシック15年の男がしっかりと評価できているかどうかはわからんけどさ。
 明日は8時から調査結果の処理とそれについてのミーティングが待っている。コンサートの間電話がかかってきたぐらいだから、相当期待されているようだ。これで何もできなかったら笑えん。明日は頑張ります。
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2005年10月14日

さみ〜な…。

今日は寒かった。これから11月下旬まではそこまで寒くはならん。
しかしそっからが急にマイナスに転じる。緯度的には沖縄より赤道に近いはずなのに標高が高いというのは恐ろしい。しかも雪は降らないし。仙台人としてここは納得いかん。

今年の乾季はメキシコ国境とグアテマラ国境をはさむタカナ火山に登るのが目標。本当に寒いけど、雲一つない4000m頂上から見る眺めはさぞかし美しいのだろうなぁ…。楽しみだ♪
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2005年10月11日、12日

 2005年10月11日火曜日
  予想していたことが・・・
 自分が予め予想していたことが当たるというのは痛快なものだ。しかしそう思えないときもある。今日はそれだった。5時には起きて6時には大学に到着。7時にはもう多くの学生たちが集まってきた。しかしここからが問題だった。学生の数はいるのだが車が足りていない。車が遅れているということもあるのだがそれでもやはり足りない。結局600人集まったのに約半数の人が何もできずに終わってしまった。
 昨日あれだけ心配していたことがこうやって起こってしまうのは悲しい。そしてまた自分は無力感を秘めてただ眺めることしかできない。さらに最悪だったのはそのあとの仕事がなかったこと。送るだけ送り出して「さあデータ処理だ!」と思ったらもうやることはなかった。結局他のNGOをまわって情報収集をするだけの1日になってしまった。ちょっと仮眠が取れたのは助かったといえば助かったのですが…。
 明日は空きがあるなら必ず現場に出てやる。今日のような無碍な日々を過ごしてしまうとなんか本当に申し訳ない気がする。もちろんこの1年半で何回もそんな日があった。今更ながら後悔してもしょうがないが…。だから明日のことを考えるようにしよう。よりよいものとなるように、より有効な時間を過ごせるように…。

 2005年10月12日水曜日
  また4年後ね♪
昨夜最後に帰ってきた学生たちは午後9時をまわっていた。本当によく頑張っていると思う。それだけに昨日のような不手際はちょっと困る話である。しかし今日は車が集まる分だけ調査をしたらしい。オレは仕事がないことがわかっていたのであえて顔を出すことはしなかった。忙しいところで状況を聞きにいくのも悪いしそれよりはデータ処理に集中してほしいからだ。
 午後農学部に行くとArcviewの講習会をやっていた。こいつを使って見やすいデータを作るそうだ。明日午前9時から集まったすべてのデータを処理する。恐らく忙しい一日になるのではないだろうか…。こーゆー事務処理的な仕事も嫌いじゃない。
 さてサッカーグアテマラ代表、しっかりとやってくれました。いつになったらワールドカップに出られるんでしょうか(笑)。今日は勝ったけど途中2試合で最後の5分間に1、2点を取られたりして負けていたのでアンタらが悪い。パスすら覚束ないサッカーしかできねーよーじゃまだW杯は無理です。外に見に行かなくてよかったよ…。逆上したヤツに殺されるかもしれん。
 新聞にウチの大学がやっていることが載ってた。600人が800人になってた。実際はそんなに働いていないぞ(笑)。真実を述べましょう。こーゆー記事をみると他の記事の信憑性もこんなもんなのか…って疑ってしまう。そいや政府が被害状況を確認している記事もあった。ノラリクラリやってるといつの間にか援助がもらえないくなってしまうかもしれんな。
 帰宅しました。夜9時をまわっている。腹が立つことにまだデータ処理が終わっていないようだ。だったらオレがチャッチャとまとめてやると言いたい。同僚もみんなボヤいていたけど「アンタらもあんま変わらんだろ?」とつっこみたくなりました(笑)。でもみんなこれまでに処理されたデータをさらに図解してわかり易くするための作業をしていた。オレがすべてのデータが出るまではいろいろやるのを避けたかったの(変なデータが後からでてくると作り直しとかになるからね)で報告書を書いていた。何しろ1回書いたのにハリケーンのおかげで修正を迫られた。仕方ないことだが困ったもんだ。かなりネガティブな報告書になったよ(泣)。
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2005年10月11日

ちょっと一息

 今日は14時間労働だった。日本に戻ったような仕事ぶりだったけどグアテマラ人たちが土日返上であんなに頑張っているのにオレが負けられるか(笑)。

 明日は5時起きで仕事になっちまったけど気合入れて頑張らんとな。思わぬことが役に立ったりしている。日本人の存在も強ちムダではないかもしれないな。頑張ります♪
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2005年10月8日〜10日

 2005年10月8日土曜日
  緊急援助活動とオレの仕事
 朝、UNV(国連ボランティア)の友人から電話がありケツァルテナンゴ(シェラ)県の集落は大打撃を受けたとの話をだった。オレがみんなといっしょに仕事をした畑の8割は恐らく流されてしまっただろう。隣のソロラ県では一夜にして2つの集落が洪水で完全に姿を消してしまったらしい。しかも道は土砂崩れで通れず未だに救助には行くことはできていないらしい。あまりにも多くの集落が孤島状態に陥っているために現在のヘリコプターの数ではとても足りないだろう。今日は何もできないが、月曜日ミーティングをすることで話がまとまった。
 正直オレが今考えていることは「なんとか貢献できる方法はないか?」である。しかし車もバイクも使えない、お金もない、組織できる団体もない。無力である。結局何もできないのである。
1年半オレは一体何をしてきたのか?そうだ、オレの今まで行ってきた仕事は今必要とさていることの真反対の援助だ。緊急援助活動というのはいかに迅速に仕事を進めるか?が焦点である。早く現場に到着し、素早くニーズに答え、そして速やかに引き上げる。それに対してオレの今まで行ってきた活動は技術援助で長い時間をかけて最終的に彼らの生活、技術の向上に貢献するというスタンスである。
 しかしこのような災害が起こってしまったときオレのような人間が行ってきた活動は無力に等しい。そして全く緊急援助活動に役立つものではない。それどころか邪魔な存在でしかないだろう。すでにオレがいっしょに働いているNGOでは援助活動のプロジェクトをヨーロッパのドナー側に呼びかけている。もしこのプロジェクトが始まったらオレが今まで行っていたことはすべて無になってしまうだろう。
 しょーがないと言えばその通り。しかし肝心のオレはどうしたらいいのだろうか?このまま自分のスタンスを貫いてできるところで自分の今まで行ってきた仕事を続けていけばいいのか?それとも現在困っている住民たちの手と足となって働くべきなのか?自分にたった今求められている仕事は一体どちらなのだろうか。
 去年の暮れに起こったインドネシアの津波はオレには遠いニュースに聞こえた。しかし今なら彼らの気持ちや彼らと共に援助活動を行った人たちの気持ちがわかるように思う。やはり人間は愚かだ。実際に自分の身に危機が迫らないと何も感じることができないのだ。オレもその中の1人なことに変わりはない。しかしどちらにせよ今オレが緊急援助という形で貢献できることは殆どない。だからこそもう少し考えてみて今後の活動をどう進めるかを考えたい。

 2005年10月9日日曜日
  災害の意外な産物
 昨日の夕方わずかながら援助活動をしてきた。援助物資と資金を寄付した後、地方のテレビに出てケツァルテナンゴにいる旅行者たちに支援を訴えてみた。短い時間だったけど少しは貢献できただろうか?オレの街は第3位観光都市でスペイン語学校も48校ある。観光客の数もかなり多く長期滞在者も多い。そしてボランティアとして働いている人たちもいる。彼らの援助も何かしらの寄与になるのではないか?と考え思い切ってインタビューに答えてきた。
 阪神大震災の後に周辺住民たちの結束力が増した、仲良くなった、という話を聞いたがそれは強ちウソではないらしい。オレもこの4日間で普段話さないような人たちと会え、そして友人となった。ここに1年半もいるけど仕事以外でこれほどいい人間達に出会えたのは恥ずかしながら初めてのことかもしれない。なぜかわからない。特別な人でもなかった。本当に気兼ねなく話ができた。新しくできた友人の中には観光滞在者を連れて援助活動を行っている者もいて感心されられてしまった。
 そしてもう1つ感じたことはグアテマラ人の優しさである。彼らは本当に困っている人たちを助け合う気持ちが強い。自分達があまり裕福でなくてもみんな頑張って寄付をしていた。もちろん全員がそうなわけじゃないけど(あるお店では災害を利用して高値で品物を売っていた)全体的に皆が自分達のできることを精一杯やっているようで正直感動した。オレは日本国内でどんな災害があっても静観していた。恐らくその確率は日本人のほうがグアテマラ人より高いように感じる。
 今回の災害でオレはまた一段とグアテマラが好きになった。もちろん災害が起こったことは残念だしオレが集落レベルで行ってきた仕事は8割オジャンになっただろう。でもグアテマラ人の新たな一面を知ることができたことは本当によかったと思う。
 しかし喜んでいるのも感動しているのも今のうちだけ。明日からはミーティングが待っている。正直オレの望まない展開になることは明らかだ。援助物資やインフラ系の援助がバラバラに到着しバラバラに還元されるだろうことも明らかだ。みんな頑張ってはいるが組織力はない。組織できる人もいない。必ず問題は起こる。そのときオレが何をできるかが問題だ。

 2005年10月10日月曜日
  本格的に援助活動開始
 情報が錯綜している。新聞社もテレビ局も恐らく集落単位の情報をキャッチできないのだろう。死者はどうやら1000人を超えそうである。すでに援助の配分に問題が出てきているようだ。
実は昨夜うちの大学の農学副学部長であるヘスス・ロンキージョ氏とミーティングを行った。オレは知らなかったのだが日曜日の午前10時から大学全体で会議があったからだ。その結果を聞くために夜遅く彼の家を訪ねてしまった。彼らは本当にすごい。昨日もラジオ局と協力していっしょに援助物資の輸送を担当していた。
 しかしビックリしたのは首都から届いた援助物資がトラック1台だったことだ。あれだけ世界から物資が届いているというのにこの不公平さはどこから来るのだろうか?しかしケツァルテナンゴ県の結束力はすごい。昨日オレも参加したが県内だけで組織を作って援助物資を集めての輸送している。しかも貧乏、金持ちにかかわらずみんな本当に協力的である。本当にこの現状には驚かされた。
 さて、昨日の会合で大学は学生と教授を総動員して援助活動を行うことに決めたようだ。そして同時に調査活動も行うようで、どれだけの被害がでているかを分析してまとめる。それを政府に渡すらしい。オレはその調査に農牧省や林野庁、NGOを加えることを助言。それからそれらの結果を他の機関にも提供することをお願いした。なぜならこれだけ正確な結果をグアテマラ政府に見せるだけでは勿体無い。他のNGOも各自でヨーロッパのドナーである諸機関とコネクションがある。これらを全部まとめていくことが一番大切なことである。特に政府の援助はこのままだと恐らく少なく終わる可能性が高い。なぜならケツァルテナンゴ県は自分達の力だけでなんとかなると思われているかもしれないからだ。
 これからさっそくヘスス氏と農牧省、林野庁を訪ねてきます。今日は忙しくなりそうだ…。
 帰宅しました。すでに11時をまわっている。今日は本当にみんなよく働いていたと思う。大学の学長や上層部の人は今頃仕事を終えたぐらいしっかりと働いていた。みんながやるべきことを力の限りやっている。しかし午前中に農牧省や林野庁を訪ねたときやはり組織力に疑問を感じた。本当に横の連携は取れているのだろうか?県庁でそういう会議があると聞いたけどしっかり組織できているようにはちょっと思えない。みんなバラバラに援助を始めたりすることが本当にないようにしてもらいたい。
 せっかくみんなが手を取り合って力をあわせているのに勿体無い。それにしても今日の大学の教授会議はすごかったよ。被害調査をする段階で援助物資もいっしょに配る話になったんだけどそれを買う資金はなかった。しかしすぐに1人の教授が「みんなで出し合えばいいじゃん。」と言って真っ先に100Q札をホイっと出した。続いてみんなも惜しみなく出す。学生も出す。そしてあっという間にお金が集まってしまった。大学のこんな協力的な姿は本当に初めて見た。
 あとはこのみんなで合わせた力をムダにしないようにするだけだ。それが一番難しいのだが・・・。
posted by mi corazon como el pacifico at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月09日

やっとのことで・・・。

やっとネットがつながったぞ♪元気でやってます。オレの街も含めてかなり傷跡が酷い。洪水で孤島化してる地域もかなりある。救助活動に行くかもしれん。

 それじゃ♪
posted by mi corazon como el pacifico at 04:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日記10月3日〜10月7日(ハリケーンのことばかりですが)

 2005年10月3日月曜日
  就職活動
 オレは帰国したら新卒採用で就職活動ができる。これは他の日本のどのボランティアより有利な条件である。しかし残念な事にまずい部分もある。そう、4月までグアテマラ勤務だということだ。よって活動は4ヶ月以上遅れる事になる。まあ仕方ないことなのだが。その埋め合わせをしようと今ちょっと頑張っている。1つはとにかく情報集めをすること、もう1つは就職に有利になるような資格取得だ。他にも秘策があるのですがそれはリーサルウェポンなので最後まで取っておくつもり。
 さて、資格取得といってもここでできることは限られている。1つはスペイン語の資格。こっちはDELEというスペインで行われている国際スペイン語検定だ。日本のスペイン語検定は例のごとく外国でスペイン語を覚えた人にはむかない。これは英検と全く同じでこいつに受かっても話せるわけじゃないし実践で使えるものではない。なんでいつも日本という国は無意味な検定など作ったりするのだろうか?持っているのにその言語が実は使えないなんてもっと恥ずかしいことのような気がするが・・・。
 ということで今日から始める事にします。目標としてはTOEFLを550、DELEはSuperior(上級)で行きます。なんとか半年で到達できるようM男になって頑張ります。ここで宣言しちゃったもんね♪
今日の地道な就職活動:
TOEFL:記事1枚、Reading練習問題1つ、単語10個
DELE:記事1枚、単語10個

 2005年10月4日火曜日
  Huraca’n(ハリケーン)参上
 今日は朝から雨が降っていた。オレもここに来るまで知らなかったのだが雨季ってのはその日1日中雨が降るのではなく午後、または夕方に降水量が観測される。雨季だからといってずっと雨が降っているわけでない。これはグアテマラだけではなく東南アジアや他の乾季雨季を持つどの国でもいっしょである。
 しかし本日に限っては例外。なぜなら台風が来ているからだ。実はこういって日記を書いている今実は電気がない。1日で5回停電した。インターネットもつながらない。そしてなんと携帯の電波までなくなってしまった…。時々入るんだがまたすぐに圏外に。大学も5時半で終わってしまって授業も殆どないに等しかった。学生は喜んでいたがオレはそんな気分にはなれなかった。昔だったら狂喜して喜んだところを…オレもすっかり年寄りになってしまったんだなぁー、と実感しました(笑)。
 明日は首都に向かう事になる、果たして4時間半の道のりは大丈夫だろうか?土砂崩れ等で立ち往生になるのは嫌だけどもっとまずいのは土砂崩れに巻き込まれる事。これだけは避けたいが避けられん。明日は仕事で行くだけに断るわけにいかん。だってオレが責任者なんだもん。だから管理職はオレにむかないんだって…。企画としてはなかなか面白いんだけどさ。
今日の地道な就職活動:
停電のため何もできず。3日坊主かと思ったら1日坊主だった…(笑)。

2005年10月5日水曜日
  引き続きハリケーンにつき・・・
 朝起きたらもっと大変なことになっていた。今度は水が出なくなっていた。電気もないなか頼れるのはガスだけだ。幸いな事に貯蓄してある水が40Lほどあるので死ぬという事はないだろう。雨の中外に出るとみんなが店に押しかけている。買いだめをしているのだ。いよいよ大災害の様相を呈してきた。すでにエルサルバドルでは30人の死者が出ているらしい。オレがつい最近仕事をしたシェラ県のコロンバのほうでも死亡者が出たらしい。皆さんが恐れて買い物をしまくっていたがオレは1週間ほどの保存食を用意しているのでこちらもまた問題ないだろう。
 しかし問題は他のところにあった。そう、昨日書いたとおりオレは首都に行かなければならない用事があったのだ。しかしバス停に行く前に新聞を読んだら今日バスは一切動かないとのこと。これは1等級バスだけかと思って歩いてターミナルに行ってみたけど残念ながらだーれもいなかった。いつも無茶をするグアテマラが今日は完全にノックアウトか…。
携帯の電波も電池もないため公衆電話から首都にいる同僚に電話して仕事の遂行が不可能であることを伝えた。そしたらあっちからも「明日は中止だ」との話を聞いて一安心。それにしても10人ぐらい電話してやっと1人に繋がった。やはりどこも停電で使えないのだろうか?ラジオがないオレは新聞以外で情報を収集する方法がない。なんてこったい。新聞では沿岸部のレタウレウ県に政府のレスキュー部隊が向かったとのこと。事態はかなりまずい方向に向かっているのだろうか?
 そんなことより自分の家は???といえばさほど心配してはいない。水、食料は十分にある。もしなくなってもアパートの住人とは友人関係であるためお互い助け合うだろう。オレの部屋は幸い2階なので1階が完全に沈まない限りうちに被害が及ぶ心配は皆無。しかも地形上オレのアパートは坂道の天辺に位置しておりそれより下が水没しない限りよほどの事がなければ緊急事態にはなりえないだろう。
 さて家の雨漏りにちょっと細工を加えてしばらく持ちこたえられるようにした後オレは一休みすることにした。電気もなく水もない。外に出ても何もない。といえばできることは1つ。そう、読書です。しばらく時間を読書に割くことができていなかったので今日は絶好の読書だ。読書の秋とも言うし…おっとグアテマラには2つしか季節なかったね(笑)。
 んで今日読むのはマレーシアのマハティール元首相「アジアから日本への伝言」である。彼はアジア経済危機の際、唯一欧米に逆らった経済政策を実行し成功させた男である。世界の欧米支配に皆が気づいているのにそれに真っ向から批判し、対抗策を立てて成功させた男は彼しかいない。ご存知の通り現在の日本は残念ながらアメリカ追随そのもの。
 本を読んでいるとドアをノックする音が。オレはさっき雨漏りを直していたために下はパンツ一枚だった(笑)。慌ててズボンをはいてドアを開けると上の階に住んでいるUNV(国連ボランティア)のスウェーデン人ともう1人知らなかったのだが4階に住んでいるオランダ人らしい。どうやらガスをちょうど切らしてしまったらしい。もちろんうちのコンロを使わせてあげた。困ったときはお互い様ですからね。しかしその後うちのガスタンクを調べてみると残り少ないことに気がついた。さて、ガスが切れてしまったら諦めるしかないな。隣人達が頼んでいたガスが後で届いたので俺もかしてもらうことになるかもしれん。
 日も沈みかけてきて(見えないけど・・・笑)いよいよ暗くなってくる。さーロウソクをつけようかな?と思ったらなんと電力復活!!!そんなわけで今日記を書いているところです。あと炊飯器でご飯も炊いています。またいつ電力停止になるかわかりませんがこんな機会なのでことの成り行きを克明に記しておこうと思いました。携帯も充電しなおしたけど恐らく電波がないだろうな。ということでまた明日、電力があれば日記を書きます。なければいよいよ手書きですね。汚い字ですが。
今日の地道な就職活動:
これからやっています。電力があるうちに頑張ってみる予定。

2005年10月6日木曜日
  ハリケーンは去ったか?
 朝起きると雨脚が弱まっていた。しかし電力復活の道のりは程遠いようだ。昨日も日記を書いた30分後には電力供給がストップしてあえなく「お休みなさい」だった。しかし正午近くなったときついに電気が復活。そしてテレビも復活。しかし携帯の電波はまだのようだ。こっちの普及は場合によっては相当時間を要する事になるかもしれない。
 ニュースを見るとグアテマラ全土だけでなくメキシコのチアパスやベラクルス州も被害を受けていることがわかった。ベラクルスやチアパスにも友人がいるのでちょっと大丈夫だろうか…と心配になった。それにしてももっとやばいのはエルサルバドルだろう。もう150人近い死亡者と行方不明者がでている。友人達は生きているだろうか?恐らくヤツらのことだからこんな嵐ごときで死ぬということはありえないと思いますが。ちょっと心配…。
 午後になってまた雨が再開。電力が戻ったということは水も戻ってきてほしい。数日間シャワーを浴びてないのでオレの体もちょっと汚い。もちろんこんな不平を言っている間にも近隣諸国ではどんどん命が失われていっているのだ。ワガママは言えんな。命もあるし、ちょっと雨漏りしているけど家もあるし、うまくないけど食事もあるし、水の蓄えもある。グアテマラではチマルテナンゴ県のテクパン市、スチテペケス県、レタルレウ県等が被害を受けている。明日になれば被害の全貌が見えてくるだろうが決してよい結果ではないだろう。数年前にあったニカラグアでの大地震みたいにオレらも援助活動にまわらなければならん事態も考えられるかも。
 夜になった。なんと水が一時的に復活。急いでシャワーを浴びてバケツやコップすべてに水を入れた。恐らくまだ雨が止んでいないのでまた必ず電気も水もストップするだろう。電気が復活したため、ニュースを見ることができた。状況はかなり厳しい。オレの住んでいるシェラからグアテマラのパンアメリカンハイウェーは4〜6箇所で土砂崩れが発生し、通行できない状態が続いている。ソロラ、チマルテナンゴ、サンタロサ、エスクイントラ県では死亡者、行方不明者が多発。50名に到達する可能性もある。道路がすべて塞がってしまったことでガソリンや食料等の供給がストップしてしまった。これらの必需品はキチェ県やメキシコ国境から輸送してきているようで明日には届くそうだ。ということでシェラが機能不全に陥る事はもうないだろう。
 中米は1998年にハリケーン「ミッチ」の被害にあっている。そのときは9日間雨が降り続いたそうだ。そのときに比べれば今回の被害は大したものではないのだろう。しかしそれだけに海外からの援助も殆どないかもしれない。このニュースは日本で流されているかどうかもわからない。インターネットが復活したらその辺も恐らくわかってくるだろう。
今日電話を使ってみたところJICA事務所にも連絡ができなかった。恐らく電話線も切れてしまった可能性がある。諦めるしかないな。昨日まだ電話が使えるうちに友人に無事を知らせておいたので事務所の人が慌てふためいていることも恐らくないでしょう。まだ雨が降っているみたいですが明日にはすべてが正常に動いてくれることを願ってます。

 2005年10月7日金曜日
  ハリケーン「Stan」
 名前がついていたらしい。それすら知らなかった。朝になって被害の状況がさらに明らかになってきた。どうやら死亡者、行方不明者は200人を超える可能性がある。隣の県であるサン・マルコスでは友人が3人ほど取り残されている。行方不明者は少なくとも50人以上。彼らは大丈夫だろうか?道路は塞がっている。しかもオレの住んでいるケツァルテナンゴ(シェラ)県ですら水が500mlで500円なんていうとんでもない値段がついていた。日本だったらみんな買うだろうけどグアテマラでは高すぎて買えない住民も出てくるだろう。サンマルコスの状況はそれより酷いかもしれない。とにかく電話がつながらない以上どうしようもない。元気でいると信じて頑張るか。
 それにしてもやっぱり備えあれば憂いなしですな。ウチはたくさん水、食糧を蓄えておいたので心配はなかった。オレは基本的にグアテマラを信用していないので(おい…笑)常に1週間は生きていけるだけの食料を用意しておいた。唯一の誤算はガスがなくなりそうなこと。まあガスがなくても食べられるモノもあるので心配なし。おかげで法外な値段で食べ物や食料を買いあさる必要性もなかった。
 今回一番強く感じたことは「日本は凄い」ということ。雨は3,4日間断続的に降り続いた。それだけでグアテマラは完全機能麻痺。電気、水、道路、携帯の電波、燃料等すべてのものが絶たれた。日本ではこんなことは滅多にないだろう。地震が酷ければ可能性はあろうだろうけど。
 CNNやドイツのDWTVなどでもこのハリケーンStanのニュースが流れていた。もしかしたら日本でも報道されているかもしれない?国連の援助も入るそうだ。そしてアメリカやメキシコ、ホンジュラスからヘリコプターが来て救助活動を行っているとのこと。道が土砂崩れで塞がっているため陸路からの救助は不可能らしい。今は天候的に安定しているので救助のチャンスだろう。
 新聞が手に入った。大衆紙だ。高級紙は4日以来シェラにはきていない。なぜ大衆紙が到着できて高級紙はダメなのか是非理由を知りたいもんだ。この新聞によると死亡者はすでに134人と書いてある。誤算だ。そして200〜300人の行方不明者がいるとのこと。友人がいる隣のサン・マルコス県のサン・ペドロでは増水で10人が死んだと書いてある。大丈夫だろうか?心配だ・・・。
 午後大学に行ってみるとやっぱり閉まっていた。恐らく月曜日にはすべてが大丈夫だろう。夕方になるとなんと携帯の電波が復活した。おかげで何人かの人に安否確認の電話をすることができた。サン・ペドロの友人は無事だったそうだ。彼女に聞いて他の3人も無事であることが判明。さすがはオレの友人だ。こんなハリケーンごときでは死なないっすよね。
 夜は今週外に出られなくて殆ど運動をしていなかったせいか妙に気分が高揚していた。そんなわけで遊びにいってみた。しかしクラブに行ったらトンでもない人数。いつも少ないのになんでだろう?と始めは思った。でも理由は明白。どこも土砂崩れで四方八方行くところがない。ので観光客がみんなシェラに閉じ込められてしまったのだ。だったらこんなに集まるわな。明日はグアテマラVSメキシコのW杯予選があるけど早めに席をとっておかないと立ち見になってしまうかもしれんな。
posted by mi corazon como el pacifico at 03:03| Comment(2) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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