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2005年12月31日

今思うこと

休みすぎるというのはなんとも言えない気分となる。
まあ今までいろいろと忙しくやってきたからこれでいいのだろうけど…それにしてもなぁ。
posted by mi corazon como el pacifico at 06:45| Comment(0) | TrackBack(1) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月26日月曜日

 2005年12月26日月曜日
  客人シェラに登場
 グアテマラ東部で水泳指導のボランティアをしている日本人がウチに来た。なにやら休みが取れないらしく12月になってやっと1ヶ月の休暇がとれて(それでも日本よりは全然楽だが)こっちに旅行に来ていたのだ。彼とは初めて会ったときから何気に気があったもんで仲良くやっている。海外で働く日本人は基本的に偏屈者、キワ者が多いとされているが(オレも例外ではない…笑)彼とはうまくやれるようだ。まあ仕事的な接点は一切無いからかもしれませんが。
 今日1日はいろいろと忙しかった。帰国申請のための書類を学部長にお願いしてもらったりとか。これは彼を探してわざわざ喫茶店に呼んで書かせてしまった。こんなこと普通だったらできんよね。やっぱグアテマラって面白いよ(笑)。

 2005年12月27日火曜日
  誕生会でのライブコンサート
 今夜はSombrero Negroの一員としてあるカフェテリアでのライブコンサートに参加した。オレもこのバンドに慣れてきたためこの前以上にさまざまな曲に参加することができた。もちろんこの前よりもっと楽しめたね。さらによかったことは客があまり聞いていなかったためいろんなことを試せたこと。Improvisation(即興)をするということはもちろんスケールや知らなければならない基礎はあるけど、一番大切なのは経験。これナシにはやっぱりどうなるもんでもない。だから今回はいろいろな試みをさせてもらった。マイクを切っていろいろなハーモニーを実験させてもらったり、他の即興の人に混ざっていろいろジャマをしてみたりと…(笑)。
 友人も見に来てくれてとても感動した、と言っていたのが印象的だった。やっぱこのバンド本当にうまいと思う。日本に来ていいディレクターに恵まれれば一発ヒットだろうな。オレは下手くそなのにこんなところで弾かせてもらって恐縮ですわ。このグループはみんな才能があると思うけど、特にすごいのはやはりボスのフェルナンドっすね。彼の作曲したヤツを今日も3つぐらいやったけどカッコよすぎですよ。今度録音したヤツをホームページに載せたいぐらいっすね。

 2005年12月28日水曜日
  今日は仕事でした
 有機農法の経験が深いアメリカ人の夫婦を連れて、グアテマラで有機農法を試みている男であるビクトル氏の農場を訪れた。彼とは親しくいっしょに仕事もしている。彼はお調子者なところもあるが、やはり新しいことに挑戦するパワー、好奇心には驚かされるものがある。こういった人がグアテマラを変えていくのだろう。
 そんなわけで今日はこれからの仕事の話もしたがグアテマラとアメリカの農業交流といったところだろうか。非常にいい紹介ができたと思っている。お互いの農業交流としてアメリカに訪れる計画も話された。これが最後とならないことを祈るばかりである。この家族は非常に優しい方なので恐らくどんな人が来ても暖かく迎えることでしょう。
 さて、もう1つの今日のイベントはレコーディング。ジャズミュージシャンの演奏を補佐するためハーモニー役として参上。ちょっとアドリブをやるにはまだ力が足りんということで少しだけ力になった。しかしニューイヤーコンサートはギターリストがホンジュラスに遊びに行ってしまうためオレが頑張らなければならなくなりそうだ。こいつが終わったらオレはまたしばらく仕事に没頭しなければならなくなりそう。まあ週末はしっかりと楽しませてもらう予定ですけどね。

写真はコンサートのヤツです。柱があって全体像がみえないけどこんな感じで演奏しています。
sombnegro3.JPG sombnegro4.JPG
posted by mi corazon como el pacifico at 06:39| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月29日

オレお疲れ

久しぶりに仕事して来ました。今日はなかなかの収穫があったと思う。やっぱりやる気のあるグアテマラ人にはどんどんチャンスを与えていきたいと思う。それにしても寝不足で疲れているようだ。少しゆっくりしたほうがいいかな…。
posted by mi corazon como el pacifico at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月23日金曜日〜25日日曜日(イブからクリスマスまで)

 2005年12月23日金曜日
  Sombrero Negro加入
 仕事がキャンセルになってしまった。これでクリスマス前のミッションはすべて終了。あとはゆっくりイエスキリストが誕生するのを待つだけになった。そんなこともあり今日はラテン音楽では一番のバンドであるSombrero Negro(黒帽子の意味)の家に遊びに行った。実はグループに入らないか?って誘われていたのだ。俺当初のグアテマラ目標はラテン音楽に触れること。ラテンアメリカの楽器を弾くことだった。しかしこんな小さい街でそんなことができるわけがない、とタカをくくっていたオレは痛いしっぺ返しをくった。でもこうやって今もう一度そのチャンスがオレの目の前にやってきた。こいつを見逃すわけにはいかん。
 彼の家はアーティストさながらの家だ。録音機材、ステレオ機材、作曲機材、すべてが揃っている。楽器もヴァイオリン、ピアノ、フルート、サックス、ギターなどのいわゆる楽器と呼ばれるものからアンデスのサンポーヤ、ケナ等のラテン楽器もある。そして驚きなのは彼がその楽器のすべてを弾くことができるというところだ。まさに空いた口が塞がらないとはこのことだ。
 そんな彼はオレのためにチェロの楽譜を作ってくれた。Improvisation(即興)のコツも教えてくれた。なんでこんなに親切なのだろうか?と疑ってしまうほどである。オレなんてただグアテマラに来たちょっとした旅行者みたいなものなのに。オレに親切にすることは彼にとっては何の利益もない。純粋にいっしょに音楽を楽しみたいということなのだろう。ホントに嬉しいことだ。
 そんなわけで今日はいつも聴衆者であるはずのRoyal Parisというレストランで、演奏者側になった。もちろんタダ飯ですよ、これがミュージシャンの特権だ(笑)。みんなはアルコールを口にしているけどオレはそこまでの余裕はない。みんなは酔っ払ってもなんでも弾けるだろうからいいけどオレはそうはいかん♪
 デキは初めてにしてはいいのではないか?仕事として金を取って演奏したのは初めて。レストランでのライブ演奏も初めてのこと。Improvisationは最初こそ戸惑ったもののとにかく音を聞くことだということがわかった。曲を読むのだ。そうすると自然と自分の弾きたい音が頭に浮かんできてそれを気持ちのままに弾く。
 家に帰ってもなんだかわからんがおかしな高揚感のようなものに包まれてあまり眠れなかった。結局起きてしまい、キューバ音楽を聴いてしまった。いよいよ取り付かれてしまったようだ…(笑)。

 2005年12月24日土曜日
  すてきなクリスマスイブ→日付変更→ビックリクリスマス
 今日はイブディナーに2つも招待されていた。1つはオレにチェロを与えてくれた恩人であるメルビン氏、もう1つは同僚で今年は何かとお世話になったメンデス氏である。午前、午後は時間がしっかりあったため招待のお礼として演奏する曲を同居人と練習したり久しぶりに2人でゆっくりと様々なトピックについて話したりしていた。
 夜はまずメルビン宅へ。驚いたのはおじいさんが98歳だったこと。すごかったのは彼の見た目が70代ぐらいだったこと。同居人が「長生きの秘訣はなんですか?」って聞いたら「秘訣を教えてしまったらそれは秘訣にならんだろ?」と切り返されていたところがかなり笑えた。うん、このおじいさんまだ頭もかなり切れるようだ。演奏自体はちょっと明かりが暗くて楽譜が見えなかったりして厳しかった。ま、楽しめたことが一番ですな♪
 夜10時からはメンデス宅へ。こっちはあまりにも金持ちの家過ぎてビビりました。見るからに上流階級っぽい人がたくさん。みんな医者とか会社の社長とかそんなのばっかりだ。まあメンデス氏は薬局、医療器具専門店の社長であり、大学教授。当たり前のことかもしれんな。家もシャンデリアとかあるしヤバすぎ。そんなこともあり家族は本当に親切な人ばっかりだった。
 しかし驚いたのはここからだ。いよいよ日付が25日に変わったとき、ケツァルテナンゴ(シェラ)市のいたるところから花火が打ちあがった。ちょっと数えるのは不可能なぐらいです。爆竹が多かったのがかなり気に障ったがまあ仕方ない。音を楽しむグアテマラ人と解釈するのが無難なところだ(笑)。2階から見たんだけど本当にすごかった。四方八方から花火が上がっているのだ。もちろん騒音として考えてもかなり酷かったといえますが。
 グアテマラ文化?を堪能したあとはまたもやお礼の印として演奏を披露。今度は皆さんの反応もよく喜んでくれた。同居人とやったね♪と思わず握手でした。帰ったのは朝3時でした。つかれた〜〜〜、もうねます…。

 2005年12月25日日曜日
  クリスマスランチ
 眠い目をこすって起きる。うーむ、今日はクリスマスランチを友人宅でやるんだった。とわかっているだけに頑張らねばならん。力を振り絞って野菜の皮をむき始めた。今日の家はアメリカ人でベジタリアンがいるので肉は使えない。魚も使っていいのかわからんのでとりあえずは昆布だしですべてを料理する。10人分を作るのは初めてじゃないけどやっぱり疲れる。途中で同居人は起きてきたけど無理をして手伝わせなかった。やっぱり悪いからね。
 時間どーりに着くと颯爽と用意を始めた。彼らの食事もちゃくちゃくと進んでいるようでいい匂いがしてきた。一方ではターキーを丸焼きにしていた。これもクリスマスならでわだ。オレはクリスマスには似合わない日本食を作り終えてみんなと談笑。できた食事は庭に持っていて野外でのお食事。クリスマスとはとても思えない。
 食事は本当に美味しかった。ターキーもオレが一番食べたのではないか?と思うぐらいご馳走になった。弦が切れるというハプニングはあったものの楽器も演奏した。喜んでもらえた。これはありがたいことだ。しかしなんともしっくりこなかった。やっぱりオレは日本人なのだ。異文化に適用しようとしてもできない部分がある。見てる人にはわかるようで「みんなの話している英語わかる?」と聞かれてしまった。これは「理解をしているか?」という意味だけではなく「エンジョイしているか?」という意味だったはず。確かに英語がすべて聞けていないというのは本当にのこと。でもやっぱりそれだけではないだろう。何かこう引っかかるものがあるのだ。
 でもそんなことを気にしてもしょうがない。誰にでもあるに決まっているのだ。むしろ無いように見せるほうが疲れるだろう。あるならあるなりに接したらいいと思う。終わって帰ってなんとなく腑に落ちなかったオレはベットの中でそう結論づけて眠りに落ちた。

almuerzo.JPG nacimiento.JPG

25日のクリスマスランチ。右の写真はキリスト生誕を風船で描いたもの。やっぱ彼才能あるね。うまく出来ていると思いませんか?
posted by mi corazon como el pacifico at 11:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月24日

去年とは真反対

同じグアテマラでも全く違うクリスマスを送っている。去年は我が街シェラ(ケツァルテナンゴ)を離れて30日まで仕事をしていた。しかし今年は地元に残って地元の人たちとクリスマスを過ごすのだ。1年半の集大成がここにあるような気がする。あと3ヶ月か、4ヶ月か、わからないけど満喫させて頂きます。
posted by mi corazon como el pacifico at 15:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月20日火曜日〜22日木曜日(クリスマスコンサート)

 2005年12月20日火曜日
  練習、そしてひたすら鍛錬…
 今日はマジで大変だった。合計7時間ぐらい練習しましたよ。そして指はボロボロ、スピーカを昨日運んだ腕は筋肉痛。その疲れた腕を使っての演奏はさらにオレを疲れさせた。でもその疲労を感じさせないぐらい楽しかった。
 リハーサルに行くと30人ぐらいの弦楽奏者が来ていた。中にはメキシコから来ているプロのヴァイオリン奏者もいた。面白かったのはコンサートマスターだ。こいつの顔はまさに石原良純だ。似すぎて怖いぐらいだ(笑)。グアテマラ人のルーツはアジア人だから男の人は特に友人と顔が似ていることがよくある。
 その石原先生の指導でリハーサルを行った。子供達の弦楽合奏団なのでなんか昔を思い出すようだ。しかもみんながオレのことを「先生」と呼ぶのにはちょっとまいった。ここにいるとどこにいってもそういった敬称をつけられることが多い。あまり好きでないだけにやっぱり名前で呼んでほしいですね。ここでお願いしても全く意味ないけどね。
 演奏のデキ自体はまあまあといったころでしょうか?

 2005年12月21日水曜日
  クリスマスコンサート
 朝起きたら直ぐに練習開始。そっから9時半まで1人で練習したあと今度はチェロパートで2時間ぐらい。そしてリハーサルと…合計7時間半ほどチェロを弾いたことになるな。昨日も合わせると13時間ほど弾いたことになるな…。笑ねぇ〜、なんてったって指は痛い、胸はチェロダコができた。でもあまりにも久しぶりなため本当に楽しかった。
 決してうまいオーケストラではなく、コンマスも石原良純だけど(笑)なんといってもラテンの明るさを持っている弦楽合奏団だった。お客さんも500人入るホールに400人ほど来てくれたと思う。最後はデキが微妙だったにも拘らずスタンディングオベーション。予想外のアンコールが出る始末。どいつもこいつも含めて面白かった。
 打ち上げのときはいろいろんな人と話ができた。フルートを8年やっている人。オレたちの街ケツァルテナンゴに飽き足らずメキシコのトルーカで演奏をしているヴァイオリン奏者等、こんな小さな1都市にここまでのアーティストがいるとは知りもしなかった(笑)。もう2年近くこの街にいるというのにまだ知らないことがあったとは。
 さて、せっかく手に入ったチェロだ。しっかりと利用させてもらおう。ということで悪巧みは明日から始まります。お休み期間を利用してしっかりと用意させていただきます♪

 2005年12月22日木曜日
  そして今日も…
 朝から同居人がフッかけてきた。「クリスマスソングをやってみんなを驚かせない?」確かにいいアイデアだ。何しろラッキーなことに楽譜が手に入ってしまった。チェロパートだけだがそっからスケールを音で探してハーモニーをチャチャっとつければ簡単なクリスマスソングなら様になるはず。ということで40分ほどの間に3,4曲を無理やり完成させた。昨日とは打って変わってこのリハーサルの少なさ。さすがはジャズ奏者だ。恐るべし。即興とはこーゆーことなんだな。しっかりと学ばせてもらうぞ♪
 午後はミーティングがあった。2週間前に行ってきた首都で上司と話し合った内容について副学長と今度新しくできる学科の学科長に詳しく話した。大学の中央集権化を進めたいというのがオレと上司の狙いだ。こいつをすることでプロジェクトの責任感、一体感、組織化が生まれる。お互いの監視ってもんがあるからだ。もちろんグアテマラだからそんなモンがあっても変わらねーだろ?と言いたいかもしれんけど現状よりはマシになると思う。何しろオレがどんな仕事をするのも容認してしまうような状況はやっぱりありえない。まあ、オカゲサマでオレがいろいろな経験を積むことができたのでこの状況には感謝しなきゃならんのだけどね(笑)。
 さて仕事が終わって夜。ジャズのライブコンサートに殴りこみをしてクリスマスソングをやりました。楽しかった〜。みんな喜んでくれたし、なんといってもサプライズでやれたのがよかった。その後即興でなんかクラシックの曲をやってといわれてそっちは想定外でしたがまあ、楽しめたのでそれもヨシということで。
 明日はさらに踏み込ませてもらいます。
高校生以来だな、ここまで音楽を楽しいと思ったのは♪
さて写真男は誰でしょう?yasu con cello.JPG 控え室のフォトでした♪
posted by mi corazon como el pacifico at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月23日

☆ご招待☆

地球の裏側ですが是非ご来場ください。 concierto.JPG なんてね♪
posted by mi corazon como el pacifico at 01:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月17日土曜日〜19日月曜日

 2005年12月17日土曜日
  復興の行方
 こっちの仕事はなかなか難しくなってきた。何しろ自分が考えていた方向には進まないことだけは確かだ。NGO側の知識と経験不足もかなり尾を引いている。自分の友人が運営に携わっているだけに断るのは辛いが、ダメなときはしっかりダメと言わせてもらいます。それが仕事ってもんです。こんなことを考えているとやっぱり仕事場で親友を作るのは不可能に近いかもな。なんて今日は思ってしまった。
 何が難しいのかといえばそれはやっぱり受け取る側の態度でもある。災害が起こったところというのは当然援助がなければやっていけない。しかし援助があり過ぎると援助慣れをしてしまい住民のモチベーションが消えてしまう。恐らくなんでももらえると思い楽な方向に走るのだろう。どこまで困窮しても人間は楽なほうへ向いてしまうというのは…なかなか難しいものだ。今日の場所も同じこと。どんなに用意をしてくれ、と言ってもやっぱりしてくれない。近くにある他の地域よりマシだとは思ったけどやはり厳しいように思う。正直話し合い自体は進んだのだがこのプロジェクトは非常に心配だ。援助する側も初心者が運営しているため説明してもどうにもならん部分がある。はぁー。。。グアテマラに来てこういった現場を一体何回みたのだろうか・・・。

 2005年12月18日日曜日
  残り少ないなかで…
 もし帰国が早まるとしたら本当に残されたときは少ない。この僅かな時間を有効に活かしたい。だから本当にやることを絞ることにした。どう考えても今やりたいことが全部できるとはオレには思えない。これだけは確かだ。できない目標を作ろうとは思わない。なんとか残されたときを1分も無駄にせず使いたいと思う。まずは「これだけはやる!」と決めたものをこなすことだけを考える予定。
あー、毎日時間がない〜と思いながらも無碍に時を過ごしてしまうオレは…。誰か教えてくれ、どうしたら会社の社長みたいに分刻みのスケジュールをこなせるのか(笑)。

 2005年12月19日月曜日
  突然の誘い
 ほぼ仕事納めといったところか?今週はミーティングこそあるものの大掛かりな仕事はもうない。去年とは大違いだ。まあ台風の影響等もあるのだろう。今日の話し合いも1時間半と短いものですぐに終わった。まあすべては来年の2ヶ月間にかかっているな。この仕事が終わったらオレは晴れて帰国となる。
 正直不安はある。それを隠す気はない。でも同居人の彼も同じ不安を抱えていた。彼は弁護士業を15年間。それを辞めてここに来ている。39歳というとこれからの人生を本当にどうしなければいけないか、これを考えないわけにはいかない時期である。そう思うとオレはまだマシなほうかもしれない。多くの選択肢があるしまだ余裕もある、もちろん彼と比べればの話だけど。
 一生音楽をやりながら暮らすってのも1つのいい人生だと思う。実際それを聞いて幸せだと思ってくれる人がいるから。会社でバリバリ働くのもいいと思う。でもオレには他にやりたいことがある。今それに向かって経験を積むだけだ。
 さて、題名の通り夜中の11時ごろ突然電話がかかってきた。何かと思ったらオレの名前を知っている。そしてオレがチェロを弾くことを知っていた。そしてお願いというのは「明後日行われるクリスマスコンサートに出演してくれんか?」ということだった。
 うーん、正直チェロが弾けることは狂喜するぐらい嬉しいが、準備期間がたったの1日だとすると…。しかし断る理由はない。何しろ1年半ぶりの再会なのだ。これは譲れない。ということで明日がマジで楽しみになってきた!!!
posted by mi corazon como el pacifico at 01:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月17日土曜日〜19日月曜日

 2005年12月17日土曜日
  復興の行方
 こっちの仕事はなかなか難しくなってきた。何しろ自分が考えていた方向には進まないことだけは確かだ。NGO側の知識と経験不足もかなり尾を引いている。自分の友人が運営に携わっているだけに断るのは辛いが、ダメなときはしっかりダメと言わせてもらいます。それが仕事ってもんです。こんなことを考えているとやっぱり仕事場で親友を作るのは不可能に近いかもな。なんて今日は思ってしまった。
 何が難しいのかといえばそれはやっぱり受け取る側の態度でもある。災害が起こったところというのは当然援助がなければやっていけない。しかし援助があり過ぎると援助慣れをしてしまい住民のモチベーションが消えてしまう。恐らくなんでももらえると思い楽な方向に走るのだろう。どこまで困窮しても人間は楽なほうへ向いてしまうというのは…なかなか難しいものだ。今日の場所も同じこと。どんなに用意をしてくれ、と言ってもやっぱりしてくれない。近くにある他の地域よりマシだとは思ったけどやはり厳しいように思う。正直話し合い自体は進んだのだがこのプロジェクトは非常に心配だ。援助する側も初心者が運営しているため説明してもどうにもならん部分がある。はぁー。。。グアテマラに来てこういった現場を一体何回みたのだろうか・・・。

 2005年12月18日日曜日
  残り少ないなかで…
 もし帰国が早まるとしたら本当に残されたときは少ない。この僅かな時間を有効に活かしたい。だから本当にやることを絞ることにした。どう考えても今やりたいことが全部できるとはオレには思えない。これだけは確かだ。できない目標を作ろうとは思わない。なんとか残されたときを1分も無駄にせず使いたいと思う。まずは「これだけはやる!」と決めたものをこなすことだけを考える予定。
あー、毎日時間がない〜と思いながらも無碍に時を過ごしてしまうオレは…。誰か教えてくれ、どうしたら会社の社長みたいに分刻みのスケジュールをこなせるのか(笑)。

 2005年12月19日月曜日
  突然の誘い
 ほぼ仕事納めといったところか?今週はミーティングこそあるものの大掛かりな仕事はもうない。去年とは大違いだ。まあ台風の影響等もあるのだろう。今日の話し合いも1時間半と短いものですぐに終わった。まあすべては来年の2ヶ月間にかかっているな。この仕事が終わったらオレは晴れて帰国となる。
 正直不安はある。それを隠す気はない。でも同居人の彼も同じ不安を抱えていた。彼は弁護士業を15年間。それを辞めてここに来ている。39歳というとこれからの人生を本当にどうしなければいけないか、これを考えないわけにはいかない時期である。そう思うとオレはまだマシなほうかもしれない。多くの選択肢があるしまだ余裕もある、もちろん彼と比べればの話だけど。
 一生音楽をやりながら暮らすってのも1つのいい人生だと思う。実際それを聞いて幸せだと思ってくれる人がいるから。会社でバリバリ働くのもいいと思う。でもオレには他にやりたいことがある。今それに向かって経験を積むだけだ。
 さて、題名の通り夜中の11時ごろ突然電話がかかってきた。何かと思ったらオレの名前を知っている。そしてオレがチェロを弾くことを知っていた。そしてお願いというのは「明後日行われるクリスマスコンサートに出演してくれんか?」ということだった。
 うーん、正直チェロが弾けることは狂喜するぐらい嬉しいが、準備期間がたったの1日だとすると…。しかし断る理由はない。何しろ1年半ぶりの再会なのだ。これは譲れない。ということで明日がマジで楽しみになってきた!!!
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2005年12月20日

今日の写真は

feria de toto.JPG

隣県のトトニカパン県であったお祭りの写真。各学校がパレードで街をまわるんだよね。
でもみんな同じようなもので最後には飽きてしまいます(笑)。
posted by mi corazon como el pacifico at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月14日水曜日〜16日金曜日

 2005年12月14日水曜日
  バスの中の7時間半
 昨夜は事務所のパソコン修理をお願いされて結局朝6時になってしまった。パソコンのことがわかるってことを教えるのはよくないな…。もう二度と手伝わないよ、オレ。これで1週間連続の3時間睡眠。
 それでもいい仕事ができた後はゆっくりバスで帰ればいいや、なんて思っていたのが大間違い。まずバスターミナルの位置が変わっていたことを知らず危険なグアテマラシティー第1地区を徒歩で移動することに。12月の犯罪の多いなか1年半の経験を最大限に利用して危ないこともなくなんとかバスターミナルに到着。しかしここからがまた大変だった。乗ったバスは初めにパンク。その後エンジン故障で3時間立ち往生。その間バスの中で本を読みながらゆっくりしていた。後はしっかり睡眠不足解消のため寝ていました。そんな中で12時に発車したバスは夜7時半にこちらに着いた。実に7時間半の行程である。
 疲れた体にムチを打って今度は友人の演奏会に赴いた。今日はグアテマラ伝統楽器マリンバとJazzのコラボ。ちょっとピアノの音の調整を間違ったのか小さくて聞こえづらかったこと以外は言うことナシのデキでしたね。頭痛薬を飲んで演奏会に行くヤツもよっぽどのバカだろうけどやりました。その後は打ち上げで飲みにいったけど今度は腹痛に襲われてあえなく撃沈。やっぱり久しぶりに酷使した自分の体はもう限界に達していた。ということで今はもう家にいます。お休みなさい(笑)。Zzzzz…..

 2005年12月15日木曜日
  サルサ教室で…
 仕事が2時で完全に終わった。んで同居人がサルサを習いたいということで知り合いのサルサ教室に連れていくことに。今日用事で来ていた日本人もいっしょに2週間ぶりに遊びの訪れた。オレは彼女達ともう親友なので別にお金を払って踊る必要はない。というより結局教える側にまわらされるのだ(笑)。ま、それはそれで面白いんだけど。
 無事そいつが終わった後ちょっと踊った人たちと話していると1人のイギリス人と仲良くなった。その後同居人がジャズライブをレストランでやるというのでそれに誘って4人でアルバマールというこのシェラでは有名なチェーン店(みたいな?違うか??)に赴いた。困ったのはその人はあまりスペイン語が話せなかったこと。オレはよかったんだけどもう1人の日本人は英語できん。そうなるとオレが通訳ということになり…。が、彼女はマンチェスター出身だったので英語の訛りがかなり酷い。ヒドイというのは失礼だが本当に違うのだ。スコットランドの英語はアメリカ人でもコミュニケーションが難しい。オレは1回話したことあるが、おおよそネイティブの英語とは思えず「どこの人ですか?」と聞いてしまったぐらいだ(笑)。
 彼女の場合はいちおーイングランドの範囲内なのでまあ大丈夫ではあったがとにかく聞きづらかったことは言うまでもない。ただでさえうまくない英語なのに今日はけっこう疲れた。でも収穫は彼女がとてもいい人ですぐに友人なれたことだ。これから最低でも2ヶ月いるそうなのでいっしょに遊べたりしたらいいな。29歳だけど目が大きくて美人。同居人は39歳で独身なので紹介してあげるか♪

 2005年12月16日金曜日
  同居人に刺激されて
 オレといっしょに先週から住み始めた男がいる。彼といっしょにいると本当に刺激が多い。彼の凄いと思うところはやっぱり行動力だ。本当に自分が今やりたいと思っていることを一生懸命やっている。それは残された時間が少ないからだが、それは言い訳にはならない。オレもイングランドやアメリカにいたときはそうだった。1日たりとも無駄にしなかった。それに比べて今は本当にダレたと思う。やはり慣れというものは恐ろしい。本当は1日1日がとても貴重なはずなのにそれに気がつかない、または忘れてしまっている。
 彼といることでそれを再び思い出した。本当に1日を楽しくしかも有意義に過ごしている。オレもこれだけは捨てられんな。本当は自分の十八番だったはずのものをしっかり彼に取られている。ちょっと迷ったこともあったけど彼をうちに呼んだことは間違いではなかった。新鮮な自分に戻ることができたように思う。そんなわけで今日から、いや今から絶対彼には負けん。
posted by mi corazon como el pacifico at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月16日

休み

今日はミーティング1つ以外は完全休暇です。楽器弾いたりサルサ踊ったりして過ごします。
お腹痛いけれども何かに夢中なときって忘れられるのが不思議なもんだ。

DSC00167.JPG

さて本日の写真はオレの大学の入り口。ここで働いています。Universidadってのが大学って意味です。英語と似ているでしょう?だからヤツらは英語できなきゃおかしいと思うのだが…そうはいかんらしい。実際スペイン人ラテン人はオレが昔イングランドいたとき、すぐに英語うまくなってたけどね。
posted by mi corazon como el pacifico at 03:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月11日日曜日〜13日火曜日

 2005年12月11日日曜日
  久しぶりの同居人
 宇都宮に住んでいるときは3人ぐらいといっしょに暮らしたことがある。もちろん同時じゃないんですけど。昨日から友人がここ住むことになった。彼はワシントンで弁護士をやっている方だ。頭がいいからか知らないがとにかく話がうまくて面白い。ジョークも絶妙でいっしょにいるとホント楽しい。だからウチに住むことになったのだがそれも1ヶ月。彼も帰ってまた弁護士業に戻るからだ。ここに来る前は特許系を取り扱う弁護士だったらしいが今度は移民等の問題に挑戦したいらしい。それがこの中南米に来た理由でもあるのだろう。やっぱり人の役に立つ仕事がしたいとのこと。偉いなぁ…。オレはまだ一人前には程遠い。
 今日泊まりに来ていた日本人の友達とJazzを聞きにいった。彼のクラリネットはもちろん今日のショーは本当に素晴らしかった。笑顔で楽器を弾くっていいねー。友人も大満足で帰宅しました。帰ってからちょっと頑張って勉強しようと思ったけど力がでない…。明日にすべてをかけますよ。死ぬ気でやれば絶対終わる、間違いない(自己洗脳か…)。

2005年12月12日月曜日
  久しぶりに死ぬほど頑張ってみた
 やっぱ気合があれば人間なんとかなるんだなぁ〜、思ってしまった(笑)。結局寝ないでそのまま朝をむかえた。その後もずっと午後の4時までパソコンと対峙し続けた結果なんとか終わらせることができた。午後5時からはそれをオレの同僚に見せてああだ、こうだと議論。8時半ごろにやっとそれも終わった。
 その後は今日ここに来ていた友人といっしょに日本食を作って同僚の家族にご馳走してあげた。まあまあうまくいったというところだろうか?それにしても10人分を作ったのは初めてだったので分量の難しさにはまいった。給食とか作っている栄養士の皆さんはもっと大変なんだろうなぁ…って思いました。もちろん初めから決められた量を入れるだけなんでしょうが。
 久しぶりに日本の研究室を思わせるような仕事ぶりだった。また帰ったらそれをやらなければならない。うーむ、ここに住んでいることは楽しい。しかし将来の自分を考えたらやっぱりこれじゃダメだと思う。人間いろんな生き方があってそれは自分自身が決めること。気の合う友達と一生幸せに過ごすのものあり、理想を求めて人のために生きるのもやっぱり1つのやり方。だからオレも俺らしくやりたいと思う。やっぱりまだ自分だけのために生きるのは勿体無い。それはまだ後からでも出来るはず。今は辛いことを笑って引き受け頑張ることが必要だと思う。

 2005年12月13日火曜日
  上司との4時間半
 早朝から首都へむかった。最近首都で邦人被害が相次いでいる。JICA事務所の前でも友人が強盗にやられて600ドルをそっくり奪われた。マクドナルドでは他の日本人2人がバックを盗まれた。クリスマス近くなると犯罪が多くなるというが、それは仕方ないことなのかもしれんな。なるべく首都には近づきたくないが今月はもう一度行かなければならん。
 今日はこの前キャンセルになった上司との話し合いだった。夕方からだったけど話し込んでしまい結局午後11時いってしまった。仕事だけの話じゃなくて本当にさまざまな問題について話し合えた。オレの就職、援助について国際協力のこと、日本のこと、グアテマラの農業問題等、非常に建設的な話ができたと思う。彼は団塊世代といわれる歳でオレとは30歳以上の差がある。会社役員をやっていたぐらいの人間とここまでゆっくり話ができるのは本当に有り難いことだと思う。彼らは日本の奇跡的な経済成長を支えた人々である。今の状況はもちろんその時と違っているのはわかっているが、何かの形でそれを次世代に残したいという気持ちがすごくわかった。オレも役に立つ部分は大いに利用していきたいと思っている。
posted by mi corazon como el pacifico at 03:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月12日

2005年12月9日金曜日、10日土曜日

 2005年12月9日金曜日
  案件探しという仕事
 午後からミーティングがあった。大学側が新しい日本人のボランティアを要請できないか?とオレにふっかけてきたからだ。内容としてはGPSの専門家を呼びたいとのこと。この大学に新しい学部ができる。その中に地理、地形学を専門的の授業があるのだ。しかし教える教授陣の力が余りにもなさすぎる。オランダの援助で始まったこのプロジェクトは資金的なものはしっかりしているが技術移転がしっかりしていない。JICAのボランティアは技術移転を主目的で派遣を行っているのでこの案件非常に有効だと思う。オレが一銭もお金を出さなかったから「ボランティアは金ヅル」と観念も少しは減ったはず。
 今日の話だと恐らくとりあえず上司の話を持ちかけることはできそうだ。幸いなことに来週の火曜日は首都に行って彼とミーティングの約束なのでちょうどいい。まあ、他の用意もしなければならないのでそっちはヤバイのですがね(笑)。でもこの案件も注意して話を進める。何しろオレはここに来たとき書いてあった要請書と現実が100%違っていた。次に来る人に同じ思いはさせたくない。オレはこういった性格なのでそれを利用してとても楽しく仕事をさせてもらっているが普通の日本人はこういったことが得意ではないことが多い。
 さて、今夜は友人が帰ってきてまた演奏がある。行ってきます。

2005年12月10日土曜日
  仕事またもや進まず
 土曜出勤ということで朝7時に起きてまたハリケーン被災地へと赴いた。しかし今日はなかなか酷かった。先週お願いしたことを全くやってくれてなかったばかりか人も集まらなかった。まあ、よくあることなんで慣れてしまった本当に失礼ではあると思う。人にお願いをしておいて来ないというのは日本だったらもう二度と一緒に仕事をしてもらえないだろう。
 被災者の辛さは理解できる。電気もガスもなく水は近くの川から汲んでくるか援助物資のミネラルウォーターしかない。夜は0度近くまで下がるのに未だに住んでいるところはトタン屋根で作ったプレハブより壁が薄い小屋。土地も金もないなか、やはり頼れるのは援助以外にない。でもだからこそ頑張ってほしいと思う。やる気を見せてこっちの気を引くぐらいの気持ちがあっていいと思う。しかしそうはやっぱりいかない。ここが途上国の難しい部分だと思う。

agua potable.JPG

 写真は1ヵ月半前に行った被災地。なんともう水の供給まで進んでいた。しかしまだま多くの問題がある。彼らが楽しく通常の生活が送れるようになるまでは数年かかってしまうかもしれない。
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2005年12月09日

友人の忠告より

最近マナウス(ブラジル)にいる親友から
「もっと写真を載せろ〜!」
と言われたのでそのとーりにすることにしました。やっぱ読みやすくなるモンね♪


今日の写真は先日行った講座の宣伝ポスターです。

rotulo.JPG

もちろんこれはオレがやったんじゃありません。なんか地方テレビまで使って宣伝してくれたみたいですよ。そのわりに集まりは悪かったようですが(笑)。
posted by mi corazon como el pacifico at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月6日火曜日〜8日木曜日

 2005年12月6日火曜日
  日本へ帰ること
 上司と話をして来週の火曜日にミーティングをすることになった。目的は3つほどある。1つはオレの仕事である大学改革に関して。2つ目は新しい案件に関して。最後は帰国日程について。どれも重要な話題であり上司が変わったおかげでかなり親身に話を聞いてくれる。そして彼がオレのやってることに興味を抱いていることが一番有り難いことである。
さて今日の話題に移ると・・・実は早く日本に帰りたいと考えている。それはグアテマラがつまらないわけじゃない。仕事もハリケーン後いろいろあったが完全に全部がつぶれてしまったわけじゃない。しっかり充実もしている。ここ最近の書き物が終わればまた外仕事で楽しみにしているぐらいだ。プライベートも多くの親しい友人たちがいる。彼らと過ごすのは本当に楽しい。正直言わせてもらえば彼らと別れるのは辛い。
しかしやはり帰る必要がある。ここにいる限りオレの頭の歯車はゆっくりのままだし成長は遅い。来た当初から今まで本当に学ぶことが多かったが、現在はもう課題が浮き彫り。そう、もう帰って勉強する時だと思うからだ。このままここに残って仕事をしていたらどんなに楽しいだろう。毎日気の合う友人たちと踊ったり音楽ジャムったり…。でも将来の自分のことを考えたらそうはいかん。もっと今やらなければならないことがあるはずだ。
それは今グアテマラにない。日本にある。だから帰りたい。あえて辛いところに踏み込みたいのだ。マンネリというものは恐ろしい。自分を成長させたかったらやはり追い詰めるしかオレに限っては策がない。自分のことは自分がよく知っているはず。
帰国が決まったらメールします。

 2005年12月7日水曜日
怪しいレストラン
昨日開店したらしいカラオケバーっぽい?レストランに行ってきた。こいつはいつも行くようなお洒落なバーやレストランではなく100%グアテマラ人のおっさん、おばさんが集うレストランである。
内装は面白いことにマリリンモンローの写真がそこらじゅうに飾ってある。これはオーナーの趣味なのだろうか?舞台が設けられているのだがそこでお客さんが歌ったりオーナーさんが歌ったりしていた。カラオケみたいに歌う時とギター等の楽器を用いて演奏する場合もあった。しかしわざわざギターを持ってきて演奏とはいったいどーゆーことだろうか???こいつはサクラかなんかだろう。恐らく。
それにしてもグアテマラっぽい演歌チックなラテン音楽は面白い。カントリーミュージックもそうだがなんでこの年代の音楽はみんな似ているのだろう。聞いてて笑えてくる。ポーズまで似ているともう笑いが堪えられん(笑)(笑)。
後から考えたら旅館かなんかの宴会会場みたいなもんかな?おじさんおばさんが思い思いの歌を歌って盛り上がってる光景を考えるとなんとなくそう思った。

 2005年12月8日木曜日
  進み具合は…
 スペイン語の資料作りは骨が折れる。単語1つも間違えられないので辞書でチェックしながらの作業。いくら発音ができてもアクセントとか同じ発音でも2通りの書き方があったりするとそれもまたいちいち確認。ふー、まいった。なんとか1つ終わったがまだあと4つあるのだ。月曜日まで本当にどーにかなるのだろうか…(笑)。
 副学部長のヘスス氏に会って明日のミーティング前打ち合わせをした。こいつは来週上司に会う手土産としなければならんので重要だ。オマエらしっかり働けよー。アンタらが頑張らなきゃオレがいろいろやってもの何の意味もない。ついでに月曜にまた出張料理人となることが決定。ヘスス一家のメシを作るのか。楽しみではあるが大変そうだ。
 その後は壊れた靴を直したりアメリカから帰ってきたPeace Corps.の友人に会ってサンクスギビングの土産話を聞いたりした。オレも休みなんだからそれっぽくやらんとな。なんかいつも変な仕事を入れてしまっているような気がする。しっかり旅行もするべきだな。まだ行きたいところもあるわけだし。

viveres.JPG
 今日の写真はハリケーン被災者に食料を配っているところ。ここでNGOの同僚が携帯電話を盗まれてしまったんだよね。食料をもらいにきて尚且つ盗みを働くとは…貧しいとは難しい、本当に。
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2005年12月07日

寒くなってきた

去年の今頃を思い出した。霜が降りて野菜がダメになったりとか、田舎の物置で一晩を越して寒さで死に掛けたりとか…。今年はそういったことは恐らくなさそう。冷害はあると思うけどその前にハリケーンでいっぱいやられましたし。
去年と打って変わってオレは書類に追われる毎日です。でも我慢我慢。こんな時期も必要だと思います。1月からはガッツリまた働くはず。今月の力仕事は少なめに抑えておきます。
posted by mi corazon como el pacifico at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月1日木曜日〜5日月曜日(師走となりまして…)

 2005年12月1日木曜日
  師走になってしもーた
 午前中に残った大学との仕事を手っ取り早く片付けて親友とランチ。元ここで働いていたレイナルド氏だ。彼は博士を取るために仕事を休んでいる。彼がもし残るならこの大学もいろいろな可能性があったと思うが…今ここに的確な人材は残念ながら存在しない。しかし彼が帰ってきてからはさらに大きな可能性が出てくるはずだ。それまでどうするか?が問題ですな。
 家に帰ったら6時半。3日間浴びてなかったシャワーを浴びてスッキリ。こうやってパソコンに向かっている。それにしても時間がない。でもいろいろ追い詰めてデットラインを自分で作り仕事を進めていこう。そうしないと何も先に進まないだろう。とにかく12月でなんとか仕事に区切りをつけるのだ。それができなければ後で本当に面倒なことになるだろうから…。

 2005年12月2日金曜日
  オレと配属先
 午前中から農学部長と話し合いがあった。内容は新規にボランティアを派遣したいという要望があったのでそれについての概要。もう1つはオレのインタビューを大学の機関誌に載せたいということだった。この1年半大学で働いてきて今頃になってインタビューというのも遅すぎる気がするが、これから来るかもしれない日本のボランティアにとってはなんかの宣伝になるだろう。逆効果の可能性もあるけどね、なにしろオレが言うことですから(笑)。
 でもそんとき思ってしまった。オレは大学でどういった存在だと思われていたのだろうか?1人の先生として扱われていたのか?それともただのお客さんとして扱いなのだろうか?両方感じることがある。疎外感を感じるときもあれば親近感を感じる瞬間もある。こんなこと考えてもしゃーないんだけどね。いい印象であってほしいとは思うけどさ…。

 2005年12月3日土曜日
  びっくりグアテマラ製品
 昨夜いろいろあってサルサを踊ったらなんと靴底が外れてしまった。殆ど使っていない革靴だったのにあっという間に壊れてしまった。やっぱり作り方が雑なんだなぁ〜、と思ってしまった。個人的にはここまで靴が酷いことになってしまった記憶はない。しかも1回のイベントだけでこんなになっちまうとは…。
 気を取り直して今日は土曜日を満喫した。友人とインド料理を食べたり、ゆっくりJazzライブを美味しいコーヒーといっしょに飲んだり聞いたり…。そうそうクラリネットを吹いていたマーティーは今度うちに住むことになるかもしれない。まだ決まってないんだけどこれは来週までのお楽しみ。とても紳士な人物でジョークが面白いのでもし彼が来てくれるというなら喜んで向かえなければ。

 2005年12月4日日曜日
  ハリケーン後の復興状況
 今日はちょっと真面目なことを書こう。すでにハリケーンの被害については飽きるほど記したので今度は復興のことを。本日訪れたのはソロラ県のある集落。ここの住民達はハリケーンで自分の集落が完全に破壊され、地元を捨ててここに移り住んだ(政府が提供した)。もう1ヶ月以上経った今現状はどうなのだろう?それを知りたくてオレはここに来た。
1ヶ月前に訪れたとき、ここはまだビニールの屋根で暮らしていた。しかし今はUSAIDの援助でトタン屋根でしっかりとした材木を使った家ができ始めている。少しは復興が進んでいるようだ…と思ったのもやはり見た目だけ。肝心な部分はちっとも進んでいなかった。オレは農業支援を考えてここに来た。しかし住民と話しているとトンでもない状況に陥っていることが判明した。それは土地不足である。1家族に割り当てられた畑はたったの400u(20m*20m)。これじゃー1年を生きるために必要な作物の確保はいくら頑張っても不可能に近い。どんなに援助が入っても同じことだ。こんな根本的なことを解決できんとは一体どーゆーことなのか…。政府も話しにならん。
来週またここを訪れることになったがなかなか厳しい。土地がない以上オレはどう援助をしたらいいかわからん。しかしお願いされているNGOは仲良しなのでお断りするのもなかなか難しいものがある。休日主体で活動しているだけあり、いい仕事ならお手伝いすることも可能なのだが…それにしても状況が状況なだけにね。

DSC00029.JPG after.JPG
写真を見ればわかると思うが家だけは改善されました(左が1ヶ月前、右が現在)。

 2005年12月5日月曜日
  ドキュメント作成日
 前々からお願いされているドキュメントを作り始めた。とにかく時間のかかる作業である。オレのスペイン語も含めていろいろ表現等も難しい。でも完成すれば今度は皆さんに配る分を全部コピーして配布しなければならない。これはこれでまた骨が折れる作業となりそうだ。まあ、これでオレの仕事がしっかり記録として残るわけだし頑張らねばな。改定作業に時間がかかりそうだが絶対12月中には終わらせてやる。
 もう1つはスペイン語の報告書だ。こっちはそのドキュメントが終わるまで手をつけないと自分で決めている。なんとか気合で終わらせて早くこっちもスタートさせたい。何しろこっちのdeadlineは月曜日と定めた。やっぱ圧力かけないとオレやらないからね。
posted by mi corazon como el pacifico at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月04日

207

11月の訪問者でした。30人ほど減ってしまったけど更新が少なかっただけにしょーがない。来月はもっと頑張ってみせます♪
posted by mi corazon como el pacifico at 17:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月27日日曜日〜30日水曜日

 2005年11月27日日曜日
  収穫ありました
 午前中は村落開発に関する会議があった。オレもコミュニティー支援をしていたため、やはりこういったことには非常に興味がある。村落の問題や手法などは理論と現実が本当にかけ離れていて未だ発展途上の分野である。だからこそ1人で悩まず考えずこうやってみんなで相談するのが一番だろう。同じ失敗をしてもしょーがねーしな。職員も専門家いっしょになって考えれば何かいいものが形作れるはず。
 有意義な会議の後はもう1つ重要なミーティングをとあるグアテマラ人と行った。こっちは来年の農牧省に発表する資料として使わせてもらう。非常に重要なデータである。こいつを使えば少しは自分のやってることの重要性を示すことができるはずだ。それにしても腹が減らん。食欲がない。あんなに美味しいパスタを出されたにもかかわらず半分しか食べられなかった…くそう。

 2005年11月28日月曜日
  帰宅
 事務所によって帰国の手順等の話をした。いよいよ「日本に帰るんだ!」という気持ちが強まり、身が引き締まる思いがした。1つはグアテマラでの任務をしっかり終えてから帰るという新たな決意。もう1つは日本に帰ってからの挑戦とその恐れ。両方の気持ちが入り混じってなんともいえないような高揚感というか緊張感に俺の心の中が包まれてしまった。
 ランチは上司と約束をしていたのだが国立農業学校に行ったまま帰ってこない。恐らく忙しいのだろう。オレは彼を信用しているので別に今回いっしょに食事が出来なくても問題はなかった。しかし2人で考えていた悪巧みができんかったのはちょっと残念だ。まあすぐ次の機会があるので心配ないだろう。
 帰国まで3ヶ月かもしれんし4ヶ月かもしれない。微妙な感じになってきた。どちらにせよ3ヶ月というつもりで頑張ったほうが自分のためにもいいだろう。手続きのことを考えても早めにすべてを進めておかないと後で面倒くさいことになるだろうし。それにしても忙しくなってきた…。

 2005年11月29日火曜日
  2度目の正直は…
 友人を送り出した後2度目のマサテナンゴへ向かう。ここはこの前のミッションでさっぱり用意が出来てなくて怒ったところだ。その後しっかり話し合いをしたので今回は予定通りに進むことを期待して。。。が、往路ではハリケーンで壊れた道路と橋がまだ修復しておらず2時間も多くかかってしまった。けっこう利益のある道路だと思うのだがなぜ直さないのだろう???やっぱグアテマラはわからん。
 そんなわけで遅めに着いたのだが大学のほうは変わっていなかった。今日が学期の最後ということで人は少なかったように思う。しかしそれはわかっていたことなので問題なし。だが俺達の計画のほうはやはり問題が生じていた。
 200人来るといったお客も結局20人。学生と教授陣の連携も取れておらず正直前回とあまり変わらない。こいつがしっかりと進まないのならば大学というところの限界はこの辺なのだろう。なんとも先が思いやられるような具体的な例を見せ付けられた。オレの前で学生と教授陣が口げんかを始めてしまった。オレは正直なところもう少し教授陣にモチベーションがあってもいいように思う。まるで自分達が学ぶ気が一切ないみたいだ。
 とりあえず一応明日の予定を決めて今日は寝ることにした。あー、どうなるかな…ハードな一日になりそうです。

 2005年11月30日水曜日
  2日目の憂鬱
 始まった講習会には周辺の市役所や町役場から団体さんが来ていた。こういった人が集まってくるのはいいことだ。もちろん人数は200人ではなかったが学生や教授陣がしっかり動いてやらねばならないという楔にはなる。
 正直いろいろな問題はあったが無事終わることができた。しかし感じたのはやはり全体的なモチベーションの低さだ。本当に彼らはオレと仕事をしたいのだろうか?それがイマイチわからない。その感触がつかめない。恐らくここに新しいボランティアを送るのは止めるべきだろう。まだ早い。そしてその資格はないように思う。最後まで観察してから決める予定だが…。オレはこの国においては、個人的に大学の可能性に期待をしているんだが…。
posted by mi corazon como el pacifico at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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