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2006年04月04日

全然更新してなくてゴメン!

 日本帰ったら仕事探しであっという間に時が過ぎていく。
グアテマラ人だと思ってたけど本当にすぐに日本人に戻ってしまった。
しいと言えば宇都宮から東京の電車、2時間ってのが短く感じるようになったぐらいか…。

 とりあえず来年のことが決まるまで頑張ってみます。細々としか更新出来ないかもしれませんがどうかたまに顔を出してください。
posted by mi corazon como el pacifico at 19:18| Comment(32) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月12日

帰国しました。

できれば皆さんの連絡先を知りたいのでメールか何かで携帯番号、メアド等を教えていただけると嬉しいです。長い間更新できなくてごめんなさい。
posted by mi corazon como el pacifico at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月06日

2006年2月1日水曜日〜4日土曜日(短いですが)

 2006年2月1日水曜日
  難しい
 とある女性支援をしているNGOがある。去年から目をつけていたのだが日程が合わずなかなか顔を出せなかった。そこに今日は行ってきた。みんな元気そうだったしちょうど講習会をやっているところだった。オレが正面に出てきていろいろ話し始めたんだけど、まあ関係ないことばかり言ってました。日本はどこにあるのか?オレはどのくらいグアテマラにいるのか?等々。
 しかし今日のメインの話は大使館の草の根無償援助を使えないか?だった。この無償援助はもちろんうちらの税金、つまりODAと言われるヤツだ。コイツを使うのは俺ホントは嫌いです。なぜかって、やっぱり失敗が非常に多いからだ。このグアテマラにもたくさんある。せっかく作った井戸。しかしそれを引くための電力を村人が均等に払わなかったためもう使っていない、とか…50%以下と言われている、実際にしっかりと使われている寄贈物は。困ったものだ。
 そんなこともあり現在はそのハードルが非常に厳しくなった。いいことだと思う。大使館は本当に地域の状況を理解せずにノルマを達成するためにどーでもいいところに援助をしていた。やっぱりこれはいい話ではない。だから彼女達のグループも正直難しいだろう。うまく条件が合う、またはJICA、大使館と直結するようなコネクションでもない限り。オレはもう帰ってしまうのでその役割を担うことは出来ない。

 2006年2月2日木曜日
  もう一度勉強する
 スペイン語の勉強を始めることにした。今まで文法のことを考えず適当に話してきた人間はやはり試験向きではない。ということでしっかり先生について最後の復習をすることにした。もう殆ど時間はないけどしょうがない。今まで何もしないでサボってきた自分が悪いのだ。何もしないで帰るよりはよっぽどマシだ。

 2006年2月3日金曜日
  隣県からの来客
 オレのいるケツァルテナンゴ(シェラ)県の隣りにあるサンマルコスから多くの友人たちが来た。オレのライブコンサートを聞きにきてくれたのだ。気に入ってくれただろうか?俺自身この日いろいろ忙しかったため皆さんのお世話が全然できんかった。まあ仕方ないことだよな。あとちょっとで彼らともお別れか…寂しくなるな。日本に帰って友人に会えるのは嬉しいけど、あのハードワークはやっぱりあまりやりたいとは思えない。もちろんここに来なかったらもっとモチベーションの低い状態で修論に取り組まなきゃならなくなっただろうから、その状況よりはマシだったのだろうけど。

 2006年2月4日土曜日
  ゆっくりした
 1日中日本に帰ってからのことをずっとやっていた。
片付けちゃんと終わるかな…。これを無理やりでも終わらせないと後で大変なことになりそうだ。でもうまく時間が取れない。それ以外に優先したいことがあるんだ。はー、困ったなぁ。


ruinas.JPG

さて、今日の写真はイシムチェ遺跡です。カクチケル族が住んでいたこの地域。カクチケル語は残っていますがダイブ文化壊されてしまいました。24カ国語がまだ残っている、というだけでも十分凄いことですが。日本はもう殆ど日本語しかないと言っていい状態だもんね。
posted by mi corazon como el pacifico at 15:02| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月04日

2006年1月29日土曜日〜31日月曜日(1月も最後)

2006年1月29日土曜日
  結婚式で演奏
 Sombrero Negroの助っ人ってことで結婚式の演奏を担当することになった。これもオレにとっては初めての経験ですね。そして会場はシェラで1番高いホテル(一泊200ドルでございます)ボニファス。いくらで結婚式ができるのか?って聞いたら1500~2000ドルと話していた。「だったらオレは楽器買ってジミ婚する」って言ったら、みんなも「いや、オレらもそうするよ♪」と返された(笑)。
 それにしてもオレの演奏で新郎新婦が踊っているのを見るとなんとも言えん。一生に1回の大事な儀式でこのへたれチェリストなんかが弾いてしまっていいんですか??そのわりにオレは間違えることを恐れずGlissandoかけまくりの嫌らしい品のない演奏を披露。コイツ本当にタチが悪いな。そしてなぜか拍手の嵐、、、、なんだこりゃ。
 それにしてもウチのリーダーは本当にイベント慣れしている。半分結婚式の司会をしているみたいだった。やっぱいろんな舞台で演奏しているからコメントなんかも機転がきくんだろーな。それから面白かったのはブーケを新婦が投げるとき取り合いになって転倒している人がいたこと。オレが腹を抱えて大笑いしていたらそれを見たメンバーのみんなはもっと笑っていた。そんな本気になって奪い合わんでもいいのに(笑)。
 そいつが終わった後は友人のパソコンを修理。なんかオレは本当に何でも屋さんみたいになってきたな。本職はここでは大学の先生でございます。でも自分のパソコンは治せないのに人のパソコンは治せるというのはまたなんとも悲しいことだ…まあ症状が症状なだけに仕方ないっすね。

 2006年1月30日日曜日
  休日
 完全にお休みすることにした。家でぼーっとするってのもいいもんだ。直ったパソコンでみなさんメールをしたりなんだりしていた。来月はお客さんが最低1人多くて2人来る可能性がある。それに備えておかなきゃならんからな。やることは山ほどある。のクセに1日を無碍に過ごしてしまうこともある。デカイ人間になりたいならこういった時間も有効に使わなきゃダメなんだろうな…。もっと精進します。

 2006年1月31日月曜日
  後始末
 こいつをしっかりしておかないとな。飛ぶ鳥あとをなんだら…って言うし。これからの1ヶ月はこれと就職活動にすべて比重がかかることになる。
 そんなわけで今日はまず来週ある地方振興庁と会議アポを取ってきた。先週の大会議のおかげで工学部の連中とコンタクトを取ることができ、うむ完璧だ。これでお互いの機材を共有し合いながら仕事を進めることができそうだ。なんと言っても彼らはもとから仲良しだしやっぱメンデス氏の人格ですな。これがある限りこの仕事は続いてくれるはずだ。弱点といえば彼があまりにも忙しすぎることだ。
 もう1つはこの1ヶ月ずーっと待っているドキュメントのための資料。そして今回もまだ完成していなかった…くそう。やっぱりグアテマラ人に頼んだのが間違いだったのかもしれん。しかしこれだけは出来てもらわんと本当に困るのだ。来週かフルに活用させてもらうので♪
posted by mi corazon como el pacifico at 01:01| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月02日

2006年1月26日木曜日〜27日金曜日(長いので2日分だけ)

2006年1月26日木曜日
  有意義だった会議
 殆ど寝ていないが仕方ない。まあどーせ今日は上司もいるから眠くなることはないので心配なし。適度な緊張で望めるといいなぁー、と思いつつシャワーを浴びる。今日ぐらいはピシッとしなきゃということで服装もある程度フォーマルで望んだ(スーツではないけど)。いつもは農業従事者みたいな格好しかしとらんからな(笑)。
 10時待ち合わせだったが念のため30分前に着くとやはり2人ともすでに着いていた。思ったとおりだ、やはり彼らは日本の上司だ。でも誤算だったのは学長までがこの時間にすでに着いていたことだった。援助のためかなんだか知らんがとりあえず時間をしっかり守ってくれたことは本当に有難かった。これで一番大事な時間だけは厳守できた。会議が始まる前に学長室でお互いの自己紹介をして話をした。雰囲気はすこぶる良い。このシェラで行っている算数プロジェクトの話などをしていたが学長自身が数学博士ということもありかなり興味を示していたようだ。初めの「入り」は合格のようだ。
 さて、午前中の会議は主に工学部と新学科のプロジェクトについてだった。もちろんこれは学長の狙いなのだろう。どれも機材が必要で援助してもらおうという魂胆が丸見えである。まあここがうちの上司のすごいところだ。話が始まる前の時点で「今回はみんなの広い意見を聞きにきた。そして学んで帰り次に繋げたい。」と。つまり今回の話が直接援助やボランティアの派遣に直結することはない、と言い切ってくれた。
 昼食も学長といっしょだった。これも驚きだ。オレだと10分といっしょに会ってくれないというのに(笑)。でもこれだけ上司の重要さを認識してくれたことはなかなか有り難い。シェラ一番を争う喫茶店にも連れて行ってくれたりして上司も大喜びだった。
さて、午後の会合だがなんと20数名の人が集まった。ここまでしっかり企画してくれるとはちょっと大学側を見直した。まずはオレの仕事評価として同僚とオレがプレゼンを行う。ここでオレはしっかりと大学の欠点、可能性について包み隠さず話した。ここで自分の実績だけを表に出したところで何の意味もない。何がダメだったか?これを話してこそ次の向上につながる。これに関しては自分の過ちも含めてはっきりと言わせてもらった。
そして終わった後の上司の言葉が印象的だった。冒頭に「彼の話は大学にとって非常に苦いものだったかもしれない」あ、言いすぎちゃったかな?。。。。彼は続けて「しかしこれをポジティブに捕らえお互い協力して発展していかなければならない…etc」とフォローしてくれた。お、助かった。本当に彼はわかっている。
 全部終わった後グループコーディネーターのほうに今日はどうだったか?と聞いたら「何もないところから良くここまで来たね」、と言われた。素直に喜んでいいのかわからなかった。第一オレの仕事は必ずしも成功とは言えないかもしれないからだ。せっかく大学と繋げた他組織もオレが帰ったら途端急にコネクションを絶ってしまう可能性だった十分にあるからだ。でも夕食のとき上司も「感動した」「今回の会議をみれば、キミが2年間しっかり頑張ってきたことが手に取るようにわかる」と同様の賛辞を頂いた。
 褒められるのはもちろん悪くない、というか嬉しいに決まっている。しかしその影にあったいろいろな失敗やだらしなかった部分がある。なんかそれが正当化されてしまっているかのようで素直に喜ぶことが出来なかった自分がいた。つい前日だってせっかく経済学部長が朝食に招待してくれたというのにそれをすっぽかしたのはオレだ。会議の用意だってなんと今週から始めたに限りなく近い。
 まあ言い出せばキリがない。大事なことはおごらずもう一度原点に帰ってこれまでの仕事を自己評価して総括することだと思う。これは絶対に必要なことだろう。でもとりあえずは疲れたので今日は寝かせて(笑)。

reunion cunoc.JPG
これが終了寸前の写真。いろいろあったけどとりあえずうまくいったことがよかったよ♪


2006年1月28日金曜日
  パソコン修理のため首都へ日帰りの旅?
 早朝上司の車で首都へ行った。メチャクチャありがたいことに今日はあの危険なバスに乗らずにすむ♪嬉しいことだ。車では昨日の会議の話も含めてなかなか盛り上がった。やはり彼は新規開拓に非常に熱心だ。法律のほうにもどうやら手を出したいみたいだが恐らくそっちは危ないので止めたほうがいいだろう。内戦のことに触れるとグアテマラでは暗殺者が出ると有名だからね。あとは内政干渉と言われてしまうことも多い。まあ、あえてそれに挑戦するってのが国際協力ってモノなのかもしれないけど。
 もう1つ面白かったのは日本で話題のライブドア事件の話。彼はK代議士が絶対事件に関わっていると断言して怒っていた。まあオレもそれは考えられないこともないと思うけどあの終わってしまった政治家のために地検が動くかねぇ…まあ元警察官僚だからありえるのかもしれないけど。オレは彼も含めてももっと大きな力が働いたと思っている。どちらにせよ日本にとっては非常によくないやり方だったことには変わりない。これを民主主義と言うなら独裁や共産主義となんら変わらん。
 さて、首都についたら速攻工場へ赴いた。そうたったの9日間で再び故障が発生したパソコンのことである。とりあえずは経緯をカウンターの人に説明する。しかし彼はことの重大さを全く認識していないようで、また嘘をついていた。本当に困るのは彼が嘘をつくことだ。前回もBeosに問題があったのに「ウイルスが入った」などと抜かしていた。今回も同じだった。「ちょっとパソコンの中を掃除したら直りました」などと。
 だからオレもついに切れてしまい「技術者を出してください、そうしないとオレもここを離れません」、15分ほど経つとついに1人の技術者代表が来た。そして彼にしっかりと故障の状況を説明してもらいその場で待つこと1時間彼はしっかり治してくれた。結局2時間近くここに滞在したけど肝心の故障原因がBeosでありこのグアテマラに交換方法がないということになるといつまた壊れるかわからないということだ…。ふー、困った。
 いろいろムカツクこともあったけどとりあえずパソコンは復活。結局11時間以上車やバスの中にいた計算になるが帰ってくることはできた。夜8時に着いたあと8時10分にはすでに例のレストランに楽器を持って参上。いつものバンドSombrero Negroとライブコンサートを弾いてきた。正直この瞬間が一番楽しくリラックスできる。メンバーのみんなは本当に親切でフレンドリー。キューバ音楽とか恐らく日本で弾く機会はそうないだろう。貴重な体験を無駄にしないようにしたい。もちろん就職活動等抜かりなくやらなきゃならんけどね(笑)。
posted by mi corazon como el pacifico at 01:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月31日

2006年1月23日月曜日〜25日水曜日(仕事の話ばっかです)

 2006年1月23日月曜日
  オレは営業か…
 と思うぐらい今日は動き回った。今週上司が来るということでその会議の打ち合わせだった。全学科を呼ぶということもあり規模としては過去最大級。しかし先週が新学科設立の開会式があったためにこちらのほうは全く手が付けられなかった。本当はオレが手伝わないで大学だけでやらせるのがセオリーなのかもしれない。
 しかし大学側、特に他学科の教授陣が自分の存在、日本の組織の存在すら知らないとなると話は違う。国際協力とはビジネスなのだ。だから宣伝だってしなきゃいけない。独立法人化した今こういった広報活動はとても重要なものになってくるだろう。だから一番下のポジションにいるオレも例外なくやらなきゃね♪ということで営業みたいに今日は大学内を駆け回りました。そして明日も同じことをすることになるでしょう。

 2006年1月24日火曜日
  発見とアクシデント
 昨日いろいろな学科と話をしたり学長と話をしているとオレが今まで知らなかった大学のプロジェクトが判明した。水質分析、排水処理の、地震対策…そして同時に1年9ヶ月いるオレの存在を知らないでいる人がいたのも驚きだった。やはり広報活動不足というものだろう。やっぱりこういったことは必要なんだなぁ…と今更ながらに思ってしまった。
 とは言ったもののやはり疲れる。学長1人と話すのになんと2時間待ったりとか…。時間に遅れられたりとか。。。もちろんいつものことなんだけどね。
 そしてアクシデント発生。なんと木曜日に発表するはずだった資料、出来上がったのを同僚に見せようとしたら…また電源がつかない。やられた…グアテマラの工場なんて信用するんじゃなかった。前回と全く同じ症状ということはオレは治すことができないということだ。治癒不可能なパソコンを前にオレもお手上げ。とりあえず明日地元で一番腕が立つと言われている修理屋に行ってみるけど期待はしていない。
 同僚は同情してくれ、パソコンを貸すと言ってきた。おう、もちろん明日治らなければかしていただく以外に方法がないです。マジ有難う御座います。やっぱり持つべきものは友だというわけか。来た当初は大変だったけどオレは本当に仕事仲間には恵まれたように思う。

2006年1月25日水曜日
  大失態、そしてパソコン治癒せず…
 朝起きたらなんと8時半。約束は8時だった。。。くそー!!!オレは一体何やってんだ…。そう、今日は経済学部長との会合があったのだ。まさに大失態。急いで現地に向かう。もう言い訳のしようがない。オレの責任以外のナニモノでもないのだ。そしてせっかく会議のためにいろいろ準備をしてきた彼に非常に申し訳が立たない。もちろんこれがもし日本国内だったらオレは始末書ものでしょう。
 現地に着くと彼は待っていた。グアテマラ人だから怒りもせず笑顔で迎えてくれた。でもオレ自身は正直すまない気持ちでイッパイだった。はー、こんな馬鹿者を相手に笑顔で出迎えてくれると…グアテマラは恐ろしい国だ。
 遅れたけど話のほうはしっかり進めることが出来た。これで最低でも木曜日の会議の弾みを着きそうな気がする。彼は非常にいいビジョンを持っている。人間としても出来る人だと思っている。今回の件で信用を失うようなことがあったらそれは1000%オレの責任ということになる。明日が建設的な話し合いになることを祈っている。
 すっごく忙しい調整業務をこなした後は上司との会合が夜にあった。今日は12時間以上労働となってしまったがやっぱ新しく来た上司はすげー。オレが明日に向けて言いたいこと殆どを話す前から理解している。そして意見が本当にオレと同じに近い。この上司がもし1年半前に来ていたらオレの仕事は100%違うものとなっていただろう。
それから職業訓練校のグループコーディネーターの方も来ていていっしょに話に加わってくれた。どうやらウチらの話が面白かったみたいで明日の会議に興味を持ってくれた。「明日こっち来てくださいよ♪」って上司が彼に話していたのがちょっと面白かった。どうやら彼らは仲が良いらしい。オレも帰り際に誘っておいた。やっぱり来てくれる人は多いにこしたことがない。こういった年配で多くの経験を日本で積んでいる彼らにオレの仕事を評価してもらえるのは非常に貴重だ。もしオレの今までの仕事が100%誤りだったとしてもそれも願ったりだ。それよりここで失敗したことを気付かずにもう一度日本で同じことをするより悲しいことはない。
 そして…パソコンは見事に治らなかった。よって今日はこれから徹夜で資料を仕上げます。パワーポイントのことを考えてもなかなかすぐに終わりそうにはない。長い夜になりそうだが好きな音楽と共に必死でやり遂げます。さて、みょーにちは1年9ヶ月の総決算。どーなっちまうかな。個人的には失敗も成功もビジョンも含めて大学関係者と上司の前ではっきり言わせてもらう予定。それがこの大学のためにもなるしJICAのためにもなる。
posted by mi corazon como el pacifico at 05:46| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月25日

2006年1月19日木曜日〜22日日曜日(週末の短め日記)

2006年1月19日木曜日
  いちおう成功したみたい
 昨夜の練習で体が筋肉痛だ。まあ普段使わないような筋肉を使うわけだから当然のことなのだろうけど…。今日も夕方6時から最後のリハ、そしてご飯を食べたあと9時に会場であるクラブに到着。今回のショーはケツァルテッカーなるグアテマラ貧困層支援をしている外国人主体のボランティアが主催したパーティーでうちらも無料で踊る。その代わりサルサの先生のほうは自由に宣伝をしていい契約を取り付けていた。まあ、オレとしてはグアテマラのためになることをしている団体のために働くなら「アリ」と思ったのですぐ引き受けたのですが(オレの実力を知らずに頼むヤツは後悔してしらんぞ…笑)。あとはサルサの先生2人は親友なので彼女達のお手伝いをしてあげたかったということもある。
さて、2日しか練習していないが本当に大丈夫だろうか?とは思ったけど意外と音楽の通りに踊るのは簡単だ。何箇所か分岐点があるからそれまではフリーに踊ることができる。オレの場合はフリーの場面でも振り付けを4つ決めただけであとは自由に音楽を感じるまま踊らしてもらった。とりあえず間違いなく終わることができたけど…うーん、拍手も大きかったが果たして本当のところはどうだったのだろうか?シロウトにはうまく見えたかもしれんがプロからみたら笑っちゃうようなデキなんだろうなぁ…。
 終わった後は重圧から開放されたってことでそのまま踊り続けた。もちろんサルサ以外のものもお構いナシに踊ってました。12時には明日のことがあるので帰ってきたけどなかなか疲れた。ショーに出たのは生涯初めてだったけど意外と楽しかった。そして緊張も少なかった。これは失敗してもオレは失うものがナイってのが大きいとは思うが、適度な緊張で望むことが出来たように思う。楽器を弾くほうがよっぽど緊張するなぁ…ってのが残った印象でした。

2006年1月20日金曜日
  変な筋肉痛
 ショーのおかげでちょっと筋肉痛。しかも非常に部分的なのが笑える。今日は新学科設立の用意等があったが手伝わなかった。これは自分達でやるのがベストだろう。オレがいろいろ入っていってやることはマイナスになるような気がする。とりあえず上司が来たときに見せるコンピューター室等は調べておく必要はあると思うが。
 夜はもう定番となったラテンバンド、Sombrero Negroで今日も弾いた。コードと歌詞が書いてある楽譜を全部コピーしたので今回は殆どの曲に混ざることができた。スケール以外にもコードがわかるとなかなか即興がやりやすくなる。ラテン調の弾き方をなんとなくマスターできたかな♪
メンバーであるロレーナの友人たちが来ていたので彼女が最後にアンコールで1曲歌い非常に盛り上がった。やっぱこれほど音楽を楽しそうに奏でるバンドは今まで見たことがない。いや、とても面白い。

2006年1月21日土曜日
  歓迎会
 新しく来た日本人の歓迎会をやった。
これから大変だろうケド頑張ってほしい。正直プロジェクトってのはプラスとマイナスがある。活動が縛られるという短所がある一方やはり成果がでる、その経験は将来必ず役に立つはず。オレは1人で働いて非常に勉強になったけどやっぱりプロジェクトってのも将来1回は経験してみたい。正直大変だろう。海外で日本人同士と組んで現地人と働くというのは非常にストレスのいる仕事だ。日本で働くのも大変だろうケドそれとはまた違った難しさがあるように思う。社会人経験がない人が言うセリフじゃありませんが(笑)。

 2006年1月22日日曜日
  チェ・ゲバラ
 今日この歌が気に入って何度も聞いてしまった。ウチのバンドで弾いたからなんだけどさ。本当の題名はAsi Siempre Comandante Che Guevaraです。まあゲバラをたたえている歌なんだけど非常にカッコイイ。 実はゲバラ、カストロはキューバ革命の前に潜んでいた国がこのグアテマラ。ということもありこの国で彼はかなり人気があります。大学にもたくさん彼の挿絵がありちょっと写真撮ってきてもいいかも。やっぱり貧乏の味方ってイメージが強い。
 さて、今日も仕事を残してしまった。上司に見せる書類を日本語訳しなければ。あとは木曜日のプレゼンの用意をせねばな。とても重要だ。ある意味大学では最後の仕事といってもいいかもしれん。やるぞー!!!
posted by mi corazon como el pacifico at 04:19| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月21日

2006年1月16日月曜日〜18日水曜日

2006年1月16日月曜日
  会議
 早朝5時半に起きて9時にはソニー工場前。パソコン無事回復。これでなんとか日記は再会できそうだということ今書いてます。2、3日前ぐらいのことは書けるかなぁ…。とりあえずやるだけやったる♪
 そして10時半にはもうバスに乗る。2時半にはもうシェラに着いた。うーん強硬日程だがいた仕方なし。相棒が復活したことだけでも感謝すべきです。
 日帰りした午後はさっそく大学で会議があった。今回はオレにとって非常に重要だった。これからのJICAと大学の繋がりをどうしていくか?という話だ。幸いなことに去年の9月から変わったオレの上司はウチの大学に非常に大きな興味を持っている。これは本当に有り難いことだ。大学側もこれを利用しない手はないと思う。
 ということで話を煮詰めたかったのだが、大学側もなんと今週は新学科設立の開会式等の準備でてんてこ舞い。来週上司が来ることを考えても今週から用意をしてほしかったがここは我慢するしかないっすね。この新学科もオランダの援助で進んでいるプロジェクト。うまくいってさらに多くの援助を得てほしいと思う。

2006年1月17日火曜日
  チェロの先生になる?
 なんて話が来たのは今年初めのこと。シェラにある唯一の国立音楽学校に行った時の話だ。Sombrero Negroのリーダーであるフェルナンドがそこの先生をやっていること、年末にトラでのったオーケストラのメンバーの大半がここを卒業するか在学中である、ということも手伝ってとりあえず見に行ってみたのだ。
 やっぱり話してみるとこんなことになる。「チェロの指導をしてくれないか?」おい、オレはあとちょっとで帰るんだよ。こんな短時間じゃボーイングと指の押さえ方ぐらいしか教えられん(笑)。それからオレはシロウトだということを忘れんでほしい。最近もしっかり失敗してへこまされたというのに♪
 とは言うものの頼まれたからにはやるしかないっすよね。楽器を貸していただいているお礼もしたい。あとは自分の技術がこの国の役に立つというのであれば、それが農業だろうが化学だろうが音楽だろうが関係ない。しかも帰国前である程度時間が取れるというのであればやっぱり引き受けるべきだよね。
 でも有難かったのはオレが帰る前に1回は室内楽の演奏会をやろうって話になったこと。やっぱり音楽学校に通っている学生の60%は途中で来なくなってしまうらしい。卒業できるのは最後には毎年4人と本当に少ない。やっぱこれを食い止めるには音楽は面白いもんだカッコいいもんだ!ってのを植えつけることが一番だ。それにはやっぱ先生方が楽しそうに弾いてる姿はかかせんよね。
 なんかダンサーになったりミュージシャンになったりとグアテマラ人生は本当に日本であり得ないことばかり起こってる。でも本当にせっかくのチャンスだからしっかり楽しんで多くのことを学びたいと思う。

2006年1月18日水曜日
  珍しいケース
 去年シェラに来ていて結構仲良くやっていたデンマーク人からメールが来た。実はオレが教えたアドレスは間違っていたため連絡が途切れていた。しかし彼女は執念で他のグアテマラの友人を通してアドレスを教えてきた。どうやら好かれていたらしい。書いてきた内容は「オレと話した時間はとても楽しかった。本当に親切な人だと思うのでこれからもメールのやり取りをしたい」とのこと。でもちょっとビックリだ。身長は180cmを超える、スタイルもいい。オレといっしょに歩いていたらあまりの差に完全にコメディーに出てくるカップルだ(笑)。どちらにせよしばらく会うことはないだろうから普通にお友達として仲良くやることになるでしょう。それにしてもそこまでしてオレと連絡を取りたいのはナゼなのだろうか。いや、不思議だ。特に好かれるような特別なことはせんかったし…。
 さて明日はサルサショーに出ることになったのでその練習を夜はしていた。出来はまずまずといったところでしょうか。オレは別に天才ダンサーでもなんでもないので…どちらかと言えば天災ダンサーかも(笑)。まあ踊ること、サルサ自体は本当に大好きなので問題なし。是非あしたは緊張しないで音楽を感じるままに踊りたいものです。やっぱそれが音を楽しむ原点ですから。災害が起こらない程度に失敗せずこなします。
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2006年01月19日

2006年1月13日金曜日〜15日日曜日(週末の戯言)

2006年1月13日金曜日
  日記再開
 ぶっ壊れていたパソコンが治ったので記憶が掘り起こせる最大限の日記を書いてみます。恐らくこの日がギリギリのラインだ。
 はー、カゼが治らん。ノドが痛いためマフラーをして大学にいくと案の定同僚が「大丈夫か?」と声をかけてくる。やっぱわかるよね。いつもと明らかに違う格好しているし、水も片手に持っているしな(笑)。そんなのお構いなしに学生が無駄な話をもちかけてくる。「シェラに日本人が新しくきたんだって?オレに紹介してよ〜。知ってるんでしょ??」おい、なんでそんなこと知ってんだコイツは…。しかもこんな体調の悪い日に言うもんだからオレもかなり酷いあしらい方をしてしまったじゃねーか(笑)。
 しかも今日は学長と話をするために2時間ほど待たせられたり本当に疲れるようなことばっかりが起こった。まあ、話に大きな進展があったことは大きい。これで帰れるまでに1仕事してから帰れそうな感触になってきた。農業以外のこともやらんとな。もちろん音楽以外にもです(笑)。

2006年1月14日土曜日
  挫折
 音楽が音我苦になってしまった(笑)。今夜は見事撃沈してしまった。やっぱりオレはグループのみんなのような才能はない。あんな即興でなんでもバンバン弾けるのは本当にありえん。しかも複数の楽器を…。経験が足りんのはもちろんだけどやっぱ違いがありすぎる。さて来週いっぱいは練習時間にあてましょう。こんな演奏を披露しては彼らのグループの名が落ちてしまう。
 さて違う話だがサルサショーに出てくれ、って話が出た。オレなんかを借り出すなんていったいどうなっちまったんだ?よほどの人手不足かトチ狂ったのどっちかだな。まあやれと言われたら楽しんでやらしてはもらいますがこっちも失敗したら責任はとりませんよー(笑)。
 カゼを弾いていたのだがやっとよくなってきたようだ。それにしてもグアテマラに来るようになってから体調をよく崩すようになったと思う。これは途上国のせいなのか自分の体が衰えたせいなのか未だにわからん。どちらにせよ元気になったことはいいことだ。演奏はうまくいかなかったがその傷も来週には癒えているはず。

2006年1月15日日曜日
  キューバの怪物たち
 昨日は完全に失敗し凹んでしまったオレ。それを癒すためにアンティグアに行った。まあ主要目的はパソコンが治ったという連絡が入ったからだ。でもせっかくなのでちょっとこの時間を有効利用しないとね。そして行ったところはアンティグアにある今年からオープンしたライブコンサートが毎日やっているバーであるPeina Latina。ジャンルはアンデス、キューバ、その他ラテン音楽等。オレが今もっとも好きな分野です。
 さてさて、今日のライブはなんとブエナビスタソシアルクラブで弾いていたキューバの巨匠達だった。まさかそんな演奏を拝めるとは思いもせんかった。もちろん演奏は完全に超人的だった。彼らの手にかかれば椅子だってリッパな打楽器だった。コンガ叩きながら歌ってるおじいちゃんはまさにあの映画を彷彿させる。本当に白髪のじいさんなのになぁ〜。このエネルギーはいったいどこから来るのやら…脱帽です。
 演奏が終わって話しをするとすっっっっごいキューバ訛り。聞いてて可愛かったけど同じスペイン語とは思えんよ、本当に。でもオレがチェロを弾くっていったら笑顔で今度いっしょに演奏しようって話してくれた。うまくなって是非いっしょに弾きたいな、1回ぐらいは。さて、グループの中に1人だけ若者が。彼はオレの友人であり、このバーのオーナーであるパコ氏のバンド、Sol Latinaの元メンバー。今は恐らく彼らがグアテマラで活動している間脱退をしてキューバ音楽を勉強するのが目的なのだろう。早い話がSol Latinaの別働隊だからな。それにしても彼の才能もすごい。彼もまた複数の楽器を弾きこなす。ギター、チャランゴ、ケナ、このグループではベース…いったいこの国はどーなってるんだ…。

sombnegro2.JPG
さて写真、オレはどこにいるでしょうか?
ウチのキューバラテンジャズ、Sombrero Negroでした。
posted by mi corazon como el pacifico at 15:03| Comment(3) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月05日

2006年1月1日日曜日〜4日水曜日(さんがにち)

 2006年1月1日日曜日
  元日のグアテマラ
 正直言わせてもらえば全然違う。日本の面影はゼロ。共通点といえば店が全部閉まっていることぐらいだろうか…それはそれでどうしょうもないんだけどね。昨日のコンサートの疲れが残っていたため朝起きたのは10時ごろだった。まあ、今日ばかりは何もすることがないのでゆっくりできるってものだ。
 しかしちょっと仕事の話しで同僚の家に行かなければならなかった。もちろんあっちはあっちでこんな日に仕事の話をされるのもイヤだろうなぁ〜、と思いながらも彼の家に着いた。元々クリスマスか正月に遊びに行くと約束してあったので温かく迎えてくれた。メキシコにいる写真だけだったお兄さんにも実際に会えてなかなか面白かった。
とりあえず仕事の話も無事に済み家に帰って並みの正月を味わってみる。みかんを買ってあったからそいつを食べながら日本茶をすすってみる。うむ、正月っぽい(笑)。リラックスできた1日だったと思う。さて、明日から仕事だ。

 2006年1月2日月曜日
  2日から仕事始めか…
 なんか日本と比べるとはやり仕事が始まるのが早すぎるように感じる。もちろん日本はクリスマスがないのだから当然の話なんだけど。そんなわけで今日はちゃんと畑に行ってきました。しかし肝心の隣県で行うはずだったプロジェクトはやはりキャンセルとなってしまった。心配はしていたがしかたあるまい。これだけ干渉してダメということは今以上に何かアクションをかけても恐らく効果は小さいだろう。
そんなわけで頼まれていたことを開始。なんとシェラの国立音楽学校でチェロの講師をしてほしいとのお願いをされたのだ。とりあえず明日会うことになるが楽しみではある。休日か平日の午前中を使うことになるだろう。非常に短期間となるのでどうしたら継続的なプロジェクトとなってくるか?アイデアはある。もちろん彼らのモチベーションというものがなければ何も始まらん。

 2006年1月3日火曜日
  グアテマラの音楽学校とは
 出張前にここに来れてよかったと思った。今回を逃がしたらもう恐らくこの仕事には関われなくなるぐらい忙しくなってしまっただろう。なかなか面白い音楽学校だった。規模がそこまで大きくなく先生も各楽器1人ずつである。家族的でアットホームさを感じる学校だった。もちろん今日会っただけだから真実はを知るには程遠いが…。
それにしてもいいのは学長等の役職が政治に依存していないところだ。場所によっては2年の間に3人もボスが変わるというとんでもない職場もある。そうなっちまうとプロジェクトも進めようがない。こういった例は都市部近い地域で起こりやすい。なぜなら中央政府の勢力争いに巻き込まれるからだ。ここはそーゆーことだけはどうやらなさそうな雰囲気だ(根拠はない)。
 具体的な話としてはグアテマラ人に身近な曲を楽しく演奏することが大切だと諭してみた。やっぱり音楽なんだから音を楽しむこと。これが一番大切なことだとオレも思います。楽典とかも大切だと本当に思うけど、やっぱり楽しいと思わせることが一番大切だよね。

 2006年1月4日水曜日
  サボルとこうなります(汗)
 音楽ばっかりやってさぼっていたばかりにしっかりバチが当たった。全く用意が出来てい。今週末は3つ会議、週末はコーヒー農家、週明けから東にあるサンタ・ロサ県の田舎で仕事がある。今日はこれらの用意で時間が過ぎてしまった。やっぱりちゃんと前もってやっておかないとダメっすね。本当に瞼が重いです(笑)。ということでこれからバスで首都にむかいます!!!
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2006年01月02日

2005年12月29日木曜日〜31日土曜日(年越しライブ)

 2005年12月29日木曜日
  今年はどうだったか?
 2005年は1年間まるまるグアテマラにいたことになる。もちろんこの20数年間生きてきた中で海外にずっと居続けたのは初めてのことだ。本当にいろいろなことが仕事がうまく動き出した。でも結果はなかなか思わしくない。半年経ったらある程度の結果は残せた。しかし今度はハリケーン。結局残ったものはわずかになってしまった。オカゲサマで働くはずの年末も音楽の年越しとなってしまった。これ自体はとても有り難いことなので別に何も悲観することではないのだが、1年半頑張ってきた仕事が消えてしまったことは残念でならん。そして未だに被害を受けた地域の援助は不十分のまま。なかなか難しい現状を残したままオレはグアテマラを後にすることになりそうだ。不本意ではあるがこればかりはどうしようもない。
 日記もある時期3ヶ月くっきり途切れてしまった。でも日記をみてくれている人がいるってわかったのでやっぱりもう1回書き始めました。こんな殴り書き日記でも読んでくれているヒトがいるというのはありがたいことです。帰ってからもなんらかの形で続けていこうとは思っています。帰国後はスペイン語のホームページを立ち上げる予定でいますがなんとか日本語も粘って頑張りたいと思っています。

 2005年12月30日金曜日
  テレビ取材
 オレの仕事ではなく趣味の音楽のほうで取材があった。シェラが誇る最強のラテンバンドであるSombrero Negro(黒帽子)がテレビインタビューを受けたのだった。すでに有名だとは思うがさらに有名になるな、これで。オレはというと取材にはなるべく参加しないようにした。どーせあと3ヶ月でいなくなるし、あとは学生達のネタにされそうな気がするのでね(笑)。
 コンサートのほうはなかなか楽しかった。アドリブはかなりイマイチだったけどそれ以外は合格点。やっとチェロを弾くのに慣れてきた感じ。まだまだあの全盛期のころの面影は欠片もないけど1週間前よりはよっぽどマシだと言っておこう。
 もう1つ、今日はメンバーの1人であるGladysの誕生日だった。彼女はマンドリン、サックス、打楽器ができるというツワモノ。そしてサルサとフラメンコを踊ることができる。それで美人なんだからもう言うことない。みんなでサプライズということで歌のプレゼントがあったりその他もろもろ。オレも日本の食器等をプレゼントした。ちょっとグアテマラ料理には合わないけど飾り物にでもしてくれ(笑)。
 ということで現在2時半。もう寝ます。おやすみなさ〜い♪

2005年12月31日土曜日
  年越しライブ
 1年の最後を音楽で終えるとは思いもせんかった。この1年は波乱万丈だったがこういった形でしめられたことは嬉しい。来年の今頃は恐らく研究室で迎えることになるのだろうけどまあ、しょうがない。こんなにいい思いをした次の年はキツくなければちょっと釣り合いがとれないと思う。
 さてライブのほうは本当に驚きの連続だった。うちらが弾いているとなんと途中からトランペット奏者、ギターリスト、ピアニストが乱入してきた。しかも上手すぎ。特にいっしょに弾いたトランペット奏者の超絶技巧には本当に舌を巻いた。うちらが休憩をしているとき彼らが1曲やってくれた。ギターリストもとんでもないヤツだった。全くこの国にはいったいどれだけの才能が眠っているのだろうか…。うちのメンバーであるフェルナンドが言うには活かす場ナイとのこと。残念なことだ。
 しかし今日会ったトランペット奏者、ネリー・カノ氏はグアテマラ国立交響楽団の頭だったらしいので妙に納得。彼みたいなヒトが野に埋もれているというのであればこの国の音楽文化はもうオシマイだ。
 さて休憩も終わってもう1回弾こうかなと思ったところで新年が訪れた。みんなでレストランの屋上に上がって四方八方からあがる花火を見物。やっぱり各家庭であげている花火なので小さいけどここまでの数を普通は見ることができない。なかなか貴重な体験でした。年が明けて店長とその家族もいっしょにシャンパンで乾杯。ほろ酔いで演奏となったがデキはまずまず。オレはトランペット奏者のようには弾けないけどやっぱり音を楽しむのが基本ですからね。とにかく最高の年越しとなりました。
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2005年12月31日

2005年12月26日月曜日

 2005年12月26日月曜日
  客人シェラに登場
 グアテマラ東部で水泳指導のボランティアをしている日本人がウチに来た。なにやら休みが取れないらしく12月になってやっと1ヶ月の休暇がとれて(それでも日本よりは全然楽だが)こっちに旅行に来ていたのだ。彼とは初めて会ったときから何気に気があったもんで仲良くやっている。海外で働く日本人は基本的に偏屈者、キワ者が多いとされているが(オレも例外ではない…笑)彼とはうまくやれるようだ。まあ仕事的な接点は一切無いからかもしれませんが。
 今日1日はいろいろと忙しかった。帰国申請のための書類を学部長にお願いしてもらったりとか。これは彼を探してわざわざ喫茶店に呼んで書かせてしまった。こんなこと普通だったらできんよね。やっぱグアテマラって面白いよ(笑)。

 2005年12月27日火曜日
  誕生会でのライブコンサート
 今夜はSombrero Negroの一員としてあるカフェテリアでのライブコンサートに参加した。オレもこのバンドに慣れてきたためこの前以上にさまざまな曲に参加することができた。もちろんこの前よりもっと楽しめたね。さらによかったことは客があまり聞いていなかったためいろんなことを試せたこと。Improvisation(即興)をするということはもちろんスケールや知らなければならない基礎はあるけど、一番大切なのは経験。これナシにはやっぱりどうなるもんでもない。だから今回はいろいろな試みをさせてもらった。マイクを切っていろいろなハーモニーを実験させてもらったり、他の即興の人に混ざっていろいろジャマをしてみたりと…(笑)。
 友人も見に来てくれてとても感動した、と言っていたのが印象的だった。やっぱこのバンド本当にうまいと思う。日本に来ていいディレクターに恵まれれば一発ヒットだろうな。オレは下手くそなのにこんなところで弾かせてもらって恐縮ですわ。このグループはみんな才能があると思うけど、特にすごいのはやはりボスのフェルナンドっすね。彼の作曲したヤツを今日も3つぐらいやったけどカッコよすぎですよ。今度録音したヤツをホームページに載せたいぐらいっすね。

 2005年12月28日水曜日
  今日は仕事でした
 有機農法の経験が深いアメリカ人の夫婦を連れて、グアテマラで有機農法を試みている男であるビクトル氏の農場を訪れた。彼とは親しくいっしょに仕事もしている。彼はお調子者なところもあるが、やはり新しいことに挑戦するパワー、好奇心には驚かされるものがある。こういった人がグアテマラを変えていくのだろう。
 そんなわけで今日はこれからの仕事の話もしたがグアテマラとアメリカの農業交流といったところだろうか。非常にいい紹介ができたと思っている。お互いの農業交流としてアメリカに訪れる計画も話された。これが最後とならないことを祈るばかりである。この家族は非常に優しい方なので恐らくどんな人が来ても暖かく迎えることでしょう。
 さて、もう1つの今日のイベントはレコーディング。ジャズミュージシャンの演奏を補佐するためハーモニー役として参上。ちょっとアドリブをやるにはまだ力が足りんということで少しだけ力になった。しかしニューイヤーコンサートはギターリストがホンジュラスに遊びに行ってしまうためオレが頑張らなければならなくなりそうだ。こいつが終わったらオレはまたしばらく仕事に没頭しなければならなくなりそう。まあ週末はしっかりと楽しませてもらう予定ですけどね。

写真はコンサートのヤツです。柱があって全体像がみえないけどこんな感じで演奏しています。
sombnegro3.JPG sombnegro4.JPG
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2005年12月29日

2005年12月23日金曜日〜25日日曜日(イブからクリスマスまで)

 2005年12月23日金曜日
  Sombrero Negro加入
 仕事がキャンセルになってしまった。これでクリスマス前のミッションはすべて終了。あとはゆっくりイエスキリストが誕生するのを待つだけになった。そんなこともあり今日はラテン音楽では一番のバンドであるSombrero Negro(黒帽子の意味)の家に遊びに行った。実はグループに入らないか?って誘われていたのだ。俺当初のグアテマラ目標はラテン音楽に触れること。ラテンアメリカの楽器を弾くことだった。しかしこんな小さい街でそんなことができるわけがない、とタカをくくっていたオレは痛いしっぺ返しをくった。でもこうやって今もう一度そのチャンスがオレの目の前にやってきた。こいつを見逃すわけにはいかん。
 彼の家はアーティストさながらの家だ。録音機材、ステレオ機材、作曲機材、すべてが揃っている。楽器もヴァイオリン、ピアノ、フルート、サックス、ギターなどのいわゆる楽器と呼ばれるものからアンデスのサンポーヤ、ケナ等のラテン楽器もある。そして驚きなのは彼がその楽器のすべてを弾くことができるというところだ。まさに空いた口が塞がらないとはこのことだ。
 そんな彼はオレのためにチェロの楽譜を作ってくれた。Improvisation(即興)のコツも教えてくれた。なんでこんなに親切なのだろうか?と疑ってしまうほどである。オレなんてただグアテマラに来たちょっとした旅行者みたいなものなのに。オレに親切にすることは彼にとっては何の利益もない。純粋にいっしょに音楽を楽しみたいということなのだろう。ホントに嬉しいことだ。
 そんなわけで今日はいつも聴衆者であるはずのRoyal Parisというレストランで、演奏者側になった。もちろんタダ飯ですよ、これがミュージシャンの特権だ(笑)。みんなはアルコールを口にしているけどオレはそこまでの余裕はない。みんなは酔っ払ってもなんでも弾けるだろうからいいけどオレはそうはいかん♪
 デキは初めてにしてはいいのではないか?仕事として金を取って演奏したのは初めて。レストランでのライブ演奏も初めてのこと。Improvisationは最初こそ戸惑ったもののとにかく音を聞くことだということがわかった。曲を読むのだ。そうすると自然と自分の弾きたい音が頭に浮かんできてそれを気持ちのままに弾く。
 家に帰ってもなんだかわからんがおかしな高揚感のようなものに包まれてあまり眠れなかった。結局起きてしまい、キューバ音楽を聴いてしまった。いよいよ取り付かれてしまったようだ…(笑)。

 2005年12月24日土曜日
  すてきなクリスマスイブ→日付変更→ビックリクリスマス
 今日はイブディナーに2つも招待されていた。1つはオレにチェロを与えてくれた恩人であるメルビン氏、もう1つは同僚で今年は何かとお世話になったメンデス氏である。午前、午後は時間がしっかりあったため招待のお礼として演奏する曲を同居人と練習したり久しぶりに2人でゆっくりと様々なトピックについて話したりしていた。
 夜はまずメルビン宅へ。驚いたのはおじいさんが98歳だったこと。すごかったのは彼の見た目が70代ぐらいだったこと。同居人が「長生きの秘訣はなんですか?」って聞いたら「秘訣を教えてしまったらそれは秘訣にならんだろ?」と切り返されていたところがかなり笑えた。うん、このおじいさんまだ頭もかなり切れるようだ。演奏自体はちょっと明かりが暗くて楽譜が見えなかったりして厳しかった。ま、楽しめたことが一番ですな♪
 夜10時からはメンデス宅へ。こっちはあまりにも金持ちの家過ぎてビビりました。見るからに上流階級っぽい人がたくさん。みんな医者とか会社の社長とかそんなのばっかりだ。まあメンデス氏は薬局、医療器具専門店の社長であり、大学教授。当たり前のことかもしれんな。家もシャンデリアとかあるしヤバすぎ。そんなこともあり家族は本当に親切な人ばっかりだった。
 しかし驚いたのはここからだ。いよいよ日付が25日に変わったとき、ケツァルテナンゴ(シェラ)市のいたるところから花火が打ちあがった。ちょっと数えるのは不可能なぐらいです。爆竹が多かったのがかなり気に障ったがまあ仕方ない。音を楽しむグアテマラ人と解釈するのが無難なところだ(笑)。2階から見たんだけど本当にすごかった。四方八方から花火が上がっているのだ。もちろん騒音として考えてもかなり酷かったといえますが。
 グアテマラ文化?を堪能したあとはまたもやお礼の印として演奏を披露。今度は皆さんの反応もよく喜んでくれた。同居人とやったね♪と思わず握手でした。帰ったのは朝3時でした。つかれた〜〜〜、もうねます…。

 2005年12月25日日曜日
  クリスマスランチ
 眠い目をこすって起きる。うーむ、今日はクリスマスランチを友人宅でやるんだった。とわかっているだけに頑張らねばならん。力を振り絞って野菜の皮をむき始めた。今日の家はアメリカ人でベジタリアンがいるので肉は使えない。魚も使っていいのかわからんのでとりあえずは昆布だしですべてを料理する。10人分を作るのは初めてじゃないけどやっぱり疲れる。途中で同居人は起きてきたけど無理をして手伝わせなかった。やっぱり悪いからね。
 時間どーりに着くと颯爽と用意を始めた。彼らの食事もちゃくちゃくと進んでいるようでいい匂いがしてきた。一方ではターキーを丸焼きにしていた。これもクリスマスならでわだ。オレはクリスマスには似合わない日本食を作り終えてみんなと談笑。できた食事は庭に持っていて野外でのお食事。クリスマスとはとても思えない。
 食事は本当に美味しかった。ターキーもオレが一番食べたのではないか?と思うぐらいご馳走になった。弦が切れるというハプニングはあったものの楽器も演奏した。喜んでもらえた。これはありがたいことだ。しかしなんともしっくりこなかった。やっぱりオレは日本人なのだ。異文化に適用しようとしてもできない部分がある。見てる人にはわかるようで「みんなの話している英語わかる?」と聞かれてしまった。これは「理解をしているか?」という意味だけではなく「エンジョイしているか?」という意味だったはず。確かに英語がすべて聞けていないというのは本当にのこと。でもやっぱりそれだけではないだろう。何かこう引っかかるものがあるのだ。
 でもそんなことを気にしてもしょうがない。誰にでもあるに決まっているのだ。むしろ無いように見せるほうが疲れるだろう。あるならあるなりに接したらいいと思う。終わって帰ってなんとなく腑に落ちなかったオレはベットの中でそう結論づけて眠りに落ちた。

almuerzo.JPG nacimiento.JPG

25日のクリスマスランチ。右の写真はキリスト生誕を風船で描いたもの。やっぱ彼才能あるね。うまく出来ていると思いませんか?
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2005年12月24日

2005年12月20日火曜日〜22日木曜日(クリスマスコンサート)

 2005年12月20日火曜日
  練習、そしてひたすら鍛錬…
 今日はマジで大変だった。合計7時間ぐらい練習しましたよ。そして指はボロボロ、スピーカを昨日運んだ腕は筋肉痛。その疲れた腕を使っての演奏はさらにオレを疲れさせた。でもその疲労を感じさせないぐらい楽しかった。
 リハーサルに行くと30人ぐらいの弦楽奏者が来ていた。中にはメキシコから来ているプロのヴァイオリン奏者もいた。面白かったのはコンサートマスターだ。こいつの顔はまさに石原良純だ。似すぎて怖いぐらいだ(笑)。グアテマラ人のルーツはアジア人だから男の人は特に友人と顔が似ていることがよくある。
 その石原先生の指導でリハーサルを行った。子供達の弦楽合奏団なのでなんか昔を思い出すようだ。しかもみんながオレのことを「先生」と呼ぶのにはちょっとまいった。ここにいるとどこにいってもそういった敬称をつけられることが多い。あまり好きでないだけにやっぱり名前で呼んでほしいですね。ここでお願いしても全く意味ないけどね。
 演奏のデキ自体はまあまあといったころでしょうか?

 2005年12月21日水曜日
  クリスマスコンサート
 朝起きたら直ぐに練習開始。そっから9時半まで1人で練習したあと今度はチェロパートで2時間ぐらい。そしてリハーサルと…合計7時間半ほどチェロを弾いたことになるな。昨日も合わせると13時間ほど弾いたことになるな…。笑ねぇ〜、なんてったって指は痛い、胸はチェロダコができた。でもあまりにも久しぶりなため本当に楽しかった。
 決してうまいオーケストラではなく、コンマスも石原良純だけど(笑)なんといってもラテンの明るさを持っている弦楽合奏団だった。お客さんも500人入るホールに400人ほど来てくれたと思う。最後はデキが微妙だったにも拘らずスタンディングオベーション。予想外のアンコールが出る始末。どいつもこいつも含めて面白かった。
 打ち上げのときはいろいろんな人と話ができた。フルートを8年やっている人。オレたちの街ケツァルテナンゴに飽き足らずメキシコのトルーカで演奏をしているヴァイオリン奏者等、こんな小さな1都市にここまでのアーティストがいるとは知りもしなかった(笑)。もう2年近くこの街にいるというのにまだ知らないことがあったとは。
 さて、せっかく手に入ったチェロだ。しっかりと利用させてもらおう。ということで悪巧みは明日から始まります。お休み期間を利用してしっかりと用意させていただきます♪

 2005年12月22日木曜日
  そして今日も…
 朝から同居人がフッかけてきた。「クリスマスソングをやってみんなを驚かせない?」確かにいいアイデアだ。何しろラッキーなことに楽譜が手に入ってしまった。チェロパートだけだがそっからスケールを音で探してハーモニーをチャチャっとつければ簡単なクリスマスソングなら様になるはず。ということで40分ほどの間に3,4曲を無理やり完成させた。昨日とは打って変わってこのリハーサルの少なさ。さすがはジャズ奏者だ。恐るべし。即興とはこーゆーことなんだな。しっかりと学ばせてもらうぞ♪
 午後はミーティングがあった。2週間前に行ってきた首都で上司と話し合った内容について副学長と今度新しくできる学科の学科長に詳しく話した。大学の中央集権化を進めたいというのがオレと上司の狙いだ。こいつをすることでプロジェクトの責任感、一体感、組織化が生まれる。お互いの監視ってもんがあるからだ。もちろんグアテマラだからそんなモンがあっても変わらねーだろ?と言いたいかもしれんけど現状よりはマシになると思う。何しろオレがどんな仕事をするのも容認してしまうような状況はやっぱりありえない。まあ、オカゲサマでオレがいろいろな経験を積むことができたのでこの状況には感謝しなきゃならんのだけどね(笑)。
 さて仕事が終わって夜。ジャズのライブコンサートに殴りこみをしてクリスマスソングをやりました。楽しかった〜。みんな喜んでくれたし、なんといってもサプライズでやれたのがよかった。その後即興でなんかクラシックの曲をやってといわれてそっちは想定外でしたがまあ、楽しめたのでそれもヨシということで。
 明日はさらに踏み込ませてもらいます。
高校生以来だな、ここまで音楽を楽しいと思ったのは♪
さて写真男は誰でしょう?yasu con cello.JPG 控え室のフォトでした♪
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2005年12月23日

2005年12月17日土曜日〜19日月曜日

 2005年12月17日土曜日
  復興の行方
 こっちの仕事はなかなか難しくなってきた。何しろ自分が考えていた方向には進まないことだけは確かだ。NGO側の知識と経験不足もかなり尾を引いている。自分の友人が運営に携わっているだけに断るのは辛いが、ダメなときはしっかりダメと言わせてもらいます。それが仕事ってもんです。こんなことを考えているとやっぱり仕事場で親友を作るのは不可能に近いかもな。なんて今日は思ってしまった。
 何が難しいのかといえばそれはやっぱり受け取る側の態度でもある。災害が起こったところというのは当然援助がなければやっていけない。しかし援助があり過ぎると援助慣れをしてしまい住民のモチベーションが消えてしまう。恐らくなんでももらえると思い楽な方向に走るのだろう。どこまで困窮しても人間は楽なほうへ向いてしまうというのは…なかなか難しいものだ。今日の場所も同じこと。どんなに用意をしてくれ、と言ってもやっぱりしてくれない。近くにある他の地域よりマシだとは思ったけどやはり厳しいように思う。正直話し合い自体は進んだのだがこのプロジェクトは非常に心配だ。援助する側も初心者が運営しているため説明してもどうにもならん部分がある。はぁー。。。グアテマラに来てこういった現場を一体何回みたのだろうか・・・。

 2005年12月18日日曜日
  残り少ないなかで…
 もし帰国が早まるとしたら本当に残されたときは少ない。この僅かな時間を有効に活かしたい。だから本当にやることを絞ることにした。どう考えても今やりたいことが全部できるとはオレには思えない。これだけは確かだ。できない目標を作ろうとは思わない。なんとか残されたときを1分も無駄にせず使いたいと思う。まずは「これだけはやる!」と決めたものをこなすことだけを考える予定。
あー、毎日時間がない〜と思いながらも無碍に時を過ごしてしまうオレは…。誰か教えてくれ、どうしたら会社の社長みたいに分刻みのスケジュールをこなせるのか(笑)。

 2005年12月19日月曜日
  突然の誘い
 ほぼ仕事納めといったところか?今週はミーティングこそあるものの大掛かりな仕事はもうない。去年とは大違いだ。まあ台風の影響等もあるのだろう。今日の話し合いも1時間半と短いものですぐに終わった。まあすべては来年の2ヶ月間にかかっているな。この仕事が終わったらオレは晴れて帰国となる。
 正直不安はある。それを隠す気はない。でも同居人の彼も同じ不安を抱えていた。彼は弁護士業を15年間。それを辞めてここに来ている。39歳というとこれからの人生を本当にどうしなければいけないか、これを考えないわけにはいかない時期である。そう思うとオレはまだマシなほうかもしれない。多くの選択肢があるしまだ余裕もある、もちろん彼と比べればの話だけど。
 一生音楽をやりながら暮らすってのも1つのいい人生だと思う。実際それを聞いて幸せだと思ってくれる人がいるから。会社でバリバリ働くのもいいと思う。でもオレには他にやりたいことがある。今それに向かって経験を積むだけだ。
 さて、題名の通り夜中の11時ごろ突然電話がかかってきた。何かと思ったらオレの名前を知っている。そしてオレがチェロを弾くことを知っていた。そしてお願いというのは「明後日行われるクリスマスコンサートに出演してくれんか?」ということだった。
 うーん、正直チェロが弾けることは狂喜するぐらい嬉しいが、準備期間がたったの1日だとすると…。しかし断る理由はない。何しろ1年半ぶりの再会なのだ。これは譲れない。ということで明日がマジで楽しみになってきた!!!
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2005年12月17日土曜日〜19日月曜日

 2005年12月17日土曜日
  復興の行方
 こっちの仕事はなかなか難しくなってきた。何しろ自分が考えていた方向には進まないことだけは確かだ。NGO側の知識と経験不足もかなり尾を引いている。自分の友人が運営に携わっているだけに断るのは辛いが、ダメなときはしっかりダメと言わせてもらいます。それが仕事ってもんです。こんなことを考えているとやっぱり仕事場で親友を作るのは不可能に近いかもな。なんて今日は思ってしまった。
 何が難しいのかといえばそれはやっぱり受け取る側の態度でもある。災害が起こったところというのは当然援助がなければやっていけない。しかし援助があり過ぎると援助慣れをしてしまい住民のモチベーションが消えてしまう。恐らくなんでももらえると思い楽な方向に走るのだろう。どこまで困窮しても人間は楽なほうへ向いてしまうというのは…なかなか難しいものだ。今日の場所も同じこと。どんなに用意をしてくれ、と言ってもやっぱりしてくれない。近くにある他の地域よりマシだとは思ったけどやはり厳しいように思う。正直話し合い自体は進んだのだがこのプロジェクトは非常に心配だ。援助する側も初心者が運営しているため説明してもどうにもならん部分がある。はぁー。。。グアテマラに来てこういった現場を一体何回みたのだろうか・・・。

 2005年12月18日日曜日
  残り少ないなかで…
 もし帰国が早まるとしたら本当に残されたときは少ない。この僅かな時間を有効に活かしたい。だから本当にやることを絞ることにした。どう考えても今やりたいことが全部できるとはオレには思えない。これだけは確かだ。できない目標を作ろうとは思わない。なんとか残されたときを1分も無駄にせず使いたいと思う。まずは「これだけはやる!」と決めたものをこなすことだけを考える予定。
あー、毎日時間がない〜と思いながらも無碍に時を過ごしてしまうオレは…。誰か教えてくれ、どうしたら会社の社長みたいに分刻みのスケジュールをこなせるのか(笑)。

 2005年12月19日月曜日
  突然の誘い
 ほぼ仕事納めといったところか?今週はミーティングこそあるものの大掛かりな仕事はもうない。去年とは大違いだ。まあ台風の影響等もあるのだろう。今日の話し合いも1時間半と短いものですぐに終わった。まあすべては来年の2ヶ月間にかかっているな。この仕事が終わったらオレは晴れて帰国となる。
 正直不安はある。それを隠す気はない。でも同居人の彼も同じ不安を抱えていた。彼は弁護士業を15年間。それを辞めてここに来ている。39歳というとこれからの人生を本当にどうしなければいけないか、これを考えないわけにはいかない時期である。そう思うとオレはまだマシなほうかもしれない。多くの選択肢があるしまだ余裕もある、もちろん彼と比べればの話だけど。
 一生音楽をやりながら暮らすってのも1つのいい人生だと思う。実際それを聞いて幸せだと思ってくれる人がいるから。会社でバリバリ働くのもいいと思う。でもオレには他にやりたいことがある。今それに向かって経験を積むだけだ。
 さて、題名の通り夜中の11時ごろ突然電話がかかってきた。何かと思ったらオレの名前を知っている。そしてオレがチェロを弾くことを知っていた。そしてお願いというのは「明後日行われるクリスマスコンサートに出演してくれんか?」ということだった。
 うーん、正直チェロが弾けることは狂喜するぐらい嬉しいが、準備期間がたったの1日だとすると…。しかし断る理由はない。何しろ1年半ぶりの再会なのだ。これは譲れない。ということで明日がマジで楽しみになってきた!!!
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2005年12月20日

2005年12月14日水曜日〜16日金曜日

 2005年12月14日水曜日
  バスの中の7時間半
 昨夜は事務所のパソコン修理をお願いされて結局朝6時になってしまった。パソコンのことがわかるってことを教えるのはよくないな…。もう二度と手伝わないよ、オレ。これで1週間連続の3時間睡眠。
 それでもいい仕事ができた後はゆっくりバスで帰ればいいや、なんて思っていたのが大間違い。まずバスターミナルの位置が変わっていたことを知らず危険なグアテマラシティー第1地区を徒歩で移動することに。12月の犯罪の多いなか1年半の経験を最大限に利用して危ないこともなくなんとかバスターミナルに到着。しかしここからがまた大変だった。乗ったバスは初めにパンク。その後エンジン故障で3時間立ち往生。その間バスの中で本を読みながらゆっくりしていた。後はしっかり睡眠不足解消のため寝ていました。そんな中で12時に発車したバスは夜7時半にこちらに着いた。実に7時間半の行程である。
 疲れた体にムチを打って今度は友人の演奏会に赴いた。今日はグアテマラ伝統楽器マリンバとJazzのコラボ。ちょっとピアノの音の調整を間違ったのか小さくて聞こえづらかったこと以外は言うことナシのデキでしたね。頭痛薬を飲んで演奏会に行くヤツもよっぽどのバカだろうけどやりました。その後は打ち上げで飲みにいったけど今度は腹痛に襲われてあえなく撃沈。やっぱり久しぶりに酷使した自分の体はもう限界に達していた。ということで今はもう家にいます。お休みなさい(笑)。Zzzzz…..

 2005年12月15日木曜日
  サルサ教室で…
 仕事が2時で完全に終わった。んで同居人がサルサを習いたいということで知り合いのサルサ教室に連れていくことに。今日用事で来ていた日本人もいっしょに2週間ぶりに遊びの訪れた。オレは彼女達ともう親友なので別にお金を払って踊る必要はない。というより結局教える側にまわらされるのだ(笑)。ま、それはそれで面白いんだけど。
 無事そいつが終わった後ちょっと踊った人たちと話していると1人のイギリス人と仲良くなった。その後同居人がジャズライブをレストランでやるというのでそれに誘って4人でアルバマールというこのシェラでは有名なチェーン店(みたいな?違うか??)に赴いた。困ったのはその人はあまりスペイン語が話せなかったこと。オレはよかったんだけどもう1人の日本人は英語できん。そうなるとオレが通訳ということになり…。が、彼女はマンチェスター出身だったので英語の訛りがかなり酷い。ヒドイというのは失礼だが本当に違うのだ。スコットランドの英語はアメリカ人でもコミュニケーションが難しい。オレは1回話したことあるが、おおよそネイティブの英語とは思えず「どこの人ですか?」と聞いてしまったぐらいだ(笑)。
 彼女の場合はいちおーイングランドの範囲内なのでまあ大丈夫ではあったがとにかく聞きづらかったことは言うまでもない。ただでさえうまくない英語なのに今日はけっこう疲れた。でも収穫は彼女がとてもいい人ですぐに友人なれたことだ。これから最低でも2ヶ月いるそうなのでいっしょに遊べたりしたらいいな。29歳だけど目が大きくて美人。同居人は39歳で独身なので紹介してあげるか♪

 2005年12月16日金曜日
  同居人に刺激されて
 オレといっしょに先週から住み始めた男がいる。彼といっしょにいると本当に刺激が多い。彼の凄いと思うところはやっぱり行動力だ。本当に自分が今やりたいと思っていることを一生懸命やっている。それは残された時間が少ないからだが、それは言い訳にはならない。オレもイングランドやアメリカにいたときはそうだった。1日たりとも無駄にしなかった。それに比べて今は本当にダレたと思う。やはり慣れというものは恐ろしい。本当は1日1日がとても貴重なはずなのにそれに気がつかない、または忘れてしまっている。
 彼といることでそれを再び思い出した。本当に1日を楽しくしかも有意義に過ごしている。オレもこれだけは捨てられんな。本当は自分の十八番だったはずのものをしっかり彼に取られている。ちょっと迷ったこともあったけど彼をうちに呼んだことは間違いではなかった。新鮮な自分に戻ることができたように思う。そんなわけで今日から、いや今から絶対彼には負けん。
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2005年12月16日

2005年12月11日日曜日〜13日火曜日

 2005年12月11日日曜日
  久しぶりの同居人
 宇都宮に住んでいるときは3人ぐらいといっしょに暮らしたことがある。もちろん同時じゃないんですけど。昨日から友人がここ住むことになった。彼はワシントンで弁護士をやっている方だ。頭がいいからか知らないがとにかく話がうまくて面白い。ジョークも絶妙でいっしょにいるとホント楽しい。だからウチに住むことになったのだがそれも1ヶ月。彼も帰ってまた弁護士業に戻るからだ。ここに来る前は特許系を取り扱う弁護士だったらしいが今度は移民等の問題に挑戦したいらしい。それがこの中南米に来た理由でもあるのだろう。やっぱり人の役に立つ仕事がしたいとのこと。偉いなぁ…。オレはまだ一人前には程遠い。
 今日泊まりに来ていた日本人の友達とJazzを聞きにいった。彼のクラリネットはもちろん今日のショーは本当に素晴らしかった。笑顔で楽器を弾くっていいねー。友人も大満足で帰宅しました。帰ってからちょっと頑張って勉強しようと思ったけど力がでない…。明日にすべてをかけますよ。死ぬ気でやれば絶対終わる、間違いない(自己洗脳か…)。

2005年12月12日月曜日
  久しぶりに死ぬほど頑張ってみた
 やっぱ気合があれば人間なんとかなるんだなぁ〜、思ってしまった(笑)。結局寝ないでそのまま朝をむかえた。その後もずっと午後の4時までパソコンと対峙し続けた結果なんとか終わらせることができた。午後5時からはそれをオレの同僚に見せてああだ、こうだと議論。8時半ごろにやっとそれも終わった。
 その後は今日ここに来ていた友人といっしょに日本食を作って同僚の家族にご馳走してあげた。まあまあうまくいったというところだろうか?それにしても10人分を作ったのは初めてだったので分量の難しさにはまいった。給食とか作っている栄養士の皆さんはもっと大変なんだろうなぁ…って思いました。もちろん初めから決められた量を入れるだけなんでしょうが。
 久しぶりに日本の研究室を思わせるような仕事ぶりだった。また帰ったらそれをやらなければならない。うーむ、ここに住んでいることは楽しい。しかし将来の自分を考えたらやっぱりこれじゃダメだと思う。人間いろんな生き方があってそれは自分自身が決めること。気の合う友達と一生幸せに過ごすのものあり、理想を求めて人のために生きるのもやっぱり1つのやり方。だからオレも俺らしくやりたいと思う。やっぱりまだ自分だけのために生きるのは勿体無い。それはまだ後からでも出来るはず。今は辛いことを笑って引き受け頑張ることが必要だと思う。

 2005年12月13日火曜日
  上司との4時間半
 早朝から首都へむかった。最近首都で邦人被害が相次いでいる。JICA事務所の前でも友人が強盗にやられて600ドルをそっくり奪われた。マクドナルドでは他の日本人2人がバックを盗まれた。クリスマス近くなると犯罪が多くなるというが、それは仕方ないことなのかもしれんな。なるべく首都には近づきたくないが今月はもう一度行かなければならん。
 今日はこの前キャンセルになった上司との話し合いだった。夕方からだったけど話し込んでしまい結局午後11時いってしまった。仕事だけの話じゃなくて本当にさまざまな問題について話し合えた。オレの就職、援助について国際協力のこと、日本のこと、グアテマラの農業問題等、非常に建設的な話ができたと思う。彼は団塊世代といわれる歳でオレとは30歳以上の差がある。会社役員をやっていたぐらいの人間とここまでゆっくり話ができるのは本当に有り難いことだと思う。彼らは日本の奇跡的な経済成長を支えた人々である。今の状況はもちろんその時と違っているのはわかっているが、何かの形でそれを次世代に残したいという気持ちがすごくわかった。オレも役に立つ部分は大いに利用していきたいと思っている。
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2005年12月12日

2005年12月9日金曜日、10日土曜日

 2005年12月9日金曜日
  案件探しという仕事
 午後からミーティングがあった。大学側が新しい日本人のボランティアを要請できないか?とオレにふっかけてきたからだ。内容としてはGPSの専門家を呼びたいとのこと。この大学に新しい学部ができる。その中に地理、地形学を専門的の授業があるのだ。しかし教える教授陣の力が余りにもなさすぎる。オランダの援助で始まったこのプロジェクトは資金的なものはしっかりしているが技術移転がしっかりしていない。JICAのボランティアは技術移転を主目的で派遣を行っているのでこの案件非常に有効だと思う。オレが一銭もお金を出さなかったから「ボランティアは金ヅル」と観念も少しは減ったはず。
 今日の話だと恐らくとりあえず上司の話を持ちかけることはできそうだ。幸いなことに来週の火曜日は首都に行って彼とミーティングの約束なのでちょうどいい。まあ、他の用意もしなければならないのでそっちはヤバイのですがね(笑)。でもこの案件も注意して話を進める。何しろオレはここに来たとき書いてあった要請書と現実が100%違っていた。次に来る人に同じ思いはさせたくない。オレはこういった性格なのでそれを利用してとても楽しく仕事をさせてもらっているが普通の日本人はこういったことが得意ではないことが多い。
 さて、今夜は友人が帰ってきてまた演奏がある。行ってきます。

2005年12月10日土曜日
  仕事またもや進まず
 土曜出勤ということで朝7時に起きてまたハリケーン被災地へと赴いた。しかし今日はなかなか酷かった。先週お願いしたことを全くやってくれてなかったばかりか人も集まらなかった。まあ、よくあることなんで慣れてしまった本当に失礼ではあると思う。人にお願いをしておいて来ないというのは日本だったらもう二度と一緒に仕事をしてもらえないだろう。
 被災者の辛さは理解できる。電気もガスもなく水は近くの川から汲んでくるか援助物資のミネラルウォーターしかない。夜は0度近くまで下がるのに未だに住んでいるところはトタン屋根で作ったプレハブより壁が薄い小屋。土地も金もないなか、やはり頼れるのは援助以外にない。でもだからこそ頑張ってほしいと思う。やる気を見せてこっちの気を引くぐらいの気持ちがあっていいと思う。しかしそうはやっぱりいかない。ここが途上国の難しい部分だと思う。

agua potable.JPG

 写真は1ヵ月半前に行った被災地。なんともう水の供給まで進んでいた。しかしまだま多くの問題がある。彼らが楽しく通常の生活が送れるようになるまでは数年かかってしまうかもしれない。
posted by mi corazon como el pacifico at 05:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月09日

2005年12月6日火曜日〜8日木曜日

 2005年12月6日火曜日
  日本へ帰ること
 上司と話をして来週の火曜日にミーティングをすることになった。目的は3つほどある。1つはオレの仕事である大学改革に関して。2つ目は新しい案件に関して。最後は帰国日程について。どれも重要な話題であり上司が変わったおかげでかなり親身に話を聞いてくれる。そして彼がオレのやってることに興味を抱いていることが一番有り難いことである。
さて今日の話題に移ると・・・実は早く日本に帰りたいと考えている。それはグアテマラがつまらないわけじゃない。仕事もハリケーン後いろいろあったが完全に全部がつぶれてしまったわけじゃない。しっかり充実もしている。ここ最近の書き物が終わればまた外仕事で楽しみにしているぐらいだ。プライベートも多くの親しい友人たちがいる。彼らと過ごすのは本当に楽しい。正直言わせてもらえば彼らと別れるのは辛い。
しかしやはり帰る必要がある。ここにいる限りオレの頭の歯車はゆっくりのままだし成長は遅い。来た当初から今まで本当に学ぶことが多かったが、現在はもう課題が浮き彫り。そう、もう帰って勉強する時だと思うからだ。このままここに残って仕事をしていたらどんなに楽しいだろう。毎日気の合う友人たちと踊ったり音楽ジャムったり…。でも将来の自分のことを考えたらそうはいかん。もっと今やらなければならないことがあるはずだ。
それは今グアテマラにない。日本にある。だから帰りたい。あえて辛いところに踏み込みたいのだ。マンネリというものは恐ろしい。自分を成長させたかったらやはり追い詰めるしかオレに限っては策がない。自分のことは自分がよく知っているはず。
帰国が決まったらメールします。

 2005年12月7日水曜日
怪しいレストラン
昨日開店したらしいカラオケバーっぽい?レストランに行ってきた。こいつはいつも行くようなお洒落なバーやレストランではなく100%グアテマラ人のおっさん、おばさんが集うレストランである。
内装は面白いことにマリリンモンローの写真がそこらじゅうに飾ってある。これはオーナーの趣味なのだろうか?舞台が設けられているのだがそこでお客さんが歌ったりオーナーさんが歌ったりしていた。カラオケみたいに歌う時とギター等の楽器を用いて演奏する場合もあった。しかしわざわざギターを持ってきて演奏とはいったいどーゆーことだろうか???こいつはサクラかなんかだろう。恐らく。
それにしてもグアテマラっぽい演歌チックなラテン音楽は面白い。カントリーミュージックもそうだがなんでこの年代の音楽はみんな似ているのだろう。聞いてて笑えてくる。ポーズまで似ているともう笑いが堪えられん(笑)(笑)。
後から考えたら旅館かなんかの宴会会場みたいなもんかな?おじさんおばさんが思い思いの歌を歌って盛り上がってる光景を考えるとなんとなくそう思った。

 2005年12月8日木曜日
  進み具合は…
 スペイン語の資料作りは骨が折れる。単語1つも間違えられないので辞書でチェックしながらの作業。いくら発音ができてもアクセントとか同じ発音でも2通りの書き方があったりするとそれもまたいちいち確認。ふー、まいった。なんとか1つ終わったがまだあと4つあるのだ。月曜日まで本当にどーにかなるのだろうか…(笑)。
 副学部長のヘスス氏に会って明日のミーティング前打ち合わせをした。こいつは来週上司に会う手土産としなければならんので重要だ。オマエらしっかり働けよー。アンタらが頑張らなきゃオレがいろいろやってもの何の意味もない。ついでに月曜にまた出張料理人となることが決定。ヘスス一家のメシを作るのか。楽しみではあるが大変そうだ。
 その後は壊れた靴を直したりアメリカから帰ってきたPeace Corps.の友人に会ってサンクスギビングの土産話を聞いたりした。オレも休みなんだからそれっぽくやらんとな。なんかいつも変な仕事を入れてしまっているような気がする。しっかり旅行もするべきだな。まだ行きたいところもあるわけだし。

viveres.JPG
 今日の写真はハリケーン被災者に食料を配っているところ。ここでNGOの同僚が携帯電話を盗まれてしまったんだよね。食料をもらいにきて尚且つ盗みを働くとは…貧しいとは難しい、本当に。
posted by mi corazon como el pacifico at 15:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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